私が育った津島というところは愛知県の西の端のほうにあって、旧来川魚をよく食べてきた地域だ。我が家でも私がまだ小さい頃夏の川祭りの時期や、年始には決まってもろこ寿司を食べていた。食べていたとは言っても子供心にもろこはとても苦いもので、食べられるようになったのは小学校6年生くらいになってからだ。もろこ寿司というのは、もろこと称される淡水魚の小魚を、佃煮にしてから押し寿司にしたもので、このようなタイプの押し寿司は濃尾平野一円と、その近郊にみられる。岐阜県の中程や長野県の佐久地方にもネタは違えど佃煮を押した寿司がある。
このもろこ寿司に使われるもろことは、小魚の混称であって、タモロコ、モツゴ、デメモロコ、カワバタモロコといった魚たちのこと。現在、小売店で入手できるもろこの佃煮の多くがモツゴの佃煮となっているのだけれど、津島や旧美和町木田のあたりで聞き取りすると、かつてはもっぱらタモロコを使っていたらしい。津島にはタモロコを指す「ほんもろこ」という地方名もある。タモロコのもろこ煮が減ったのは地域の水環境の変化・劣化と深く関係していると思っている。
ところで、たまたま生きたもろこ(モツゴ、ゼゼラ、イトモロコ)がほどほどの量手に入ったので、久しぶりに津島の旧市街あたりの炊き方で、もろこ煮を作ってみる。もろこは一晩置いて泥(糞)を出させる。すすいでから沸騰した湯でさっと湯通ししたものを一旦ざるにあけ、適当に冷ましてから煮汁を作ってしょうがの細切りと共に煮る。煮汁は酒、しょうゆ、ざらめ糖を使い、わずかに酢(本当は梅酢がいい)を加えて作る。酒がもったいなかったら水も加えていいけれど、薄めすぎると味が悪くなる。水飴は邪道なので使わない。そこへ出がらしのお茶パックを入れて、煮立ったらもろこをばらばらと入れる。
火は弱火に落として、煮立てないようにしてゆるゆると炊く。絶対に箸で混ぜたり、鍋をゆすったりしてはいけない。これで40分ほど炊いたら、しっかり煮汁を残した状態で火を切り、一晩置く。十分冷ましてから再び火をつけ、味をみて整えて、あとは弱火で20分ほどかけて煮上げる。
写真の程度に煮汁が減ったら、頃合いを見計らってざるにあけ、汁を切って冷ます。これでできあがり。
今回はこいくち醤油と白醤油を半々で使ってみた。かつて、天王通りに面した朝日寿司のもろこは、白醤油だけで炊いた、さわやかなものだった。
このような炊き方はかつては広く共有されていたものと思われる一方、今は知る人も少ない。今でももろこの佃煮はあちこちで売られているけれども、このタイプの佃煮はほとんど目にすることがない。あのとろっとしすぎた佃煮は、本来のタイプとは異なる。水飴を使ったものも邪道である。こういうことを覚えているひとは、あと何年地域に残っているのだろう。地域の生物資源を背景に成立してきた川魚料理の多くが、近い将来に消えようとしている。
このもろこ寿司に使われるもろことは、小魚の混称であって、タモロコ、モツゴ、デメモロコ、カワバタモロコといった魚たちのこと。現在、小売店で入手できるもろこの佃煮の多くがモツゴの佃煮となっているのだけれど、津島や旧美和町木田のあたりで聞き取りすると、かつてはもっぱらタモロコを使っていたらしい。津島にはタモロコを指す「ほんもろこ」という地方名もある。タモロコのもろこ煮が減ったのは地域の水環境の変化・劣化と深く関係していると思っている。
ところで、たまたま生きたもろこ(モツゴ、ゼゼラ、イトモロコ)がほどほどの量手に入ったので、久しぶりに津島の旧市街あたりの炊き方で、もろこ煮を作ってみる。もろこは一晩置いて泥(糞)を出させる。すすいでから沸騰した湯でさっと湯通ししたものを一旦ざるにあけ、適当に冷ましてから煮汁を作ってしょうがの細切りと共に煮る。煮汁は酒、しょうゆ、ざらめ糖を使い、わずかに酢(本当は梅酢がいい)を加えて作る。酒がもったいなかったら水も加えていいけれど、薄めすぎると味が悪くなる。水飴は邪道なので使わない。そこへ出がらしのお茶パックを入れて、煮立ったらもろこをばらばらと入れる。
火は弱火に落として、煮立てないようにしてゆるゆると炊く。絶対に箸で混ぜたり、鍋をゆすったりしてはいけない。これで40分ほど炊いたら、しっかり煮汁を残した状態で火を切り、一晩置く。十分冷ましてから再び火をつけ、味をみて整えて、あとは弱火で20分ほどかけて煮上げる。
写真の程度に煮汁が減ったら、頃合いを見計らってざるにあけ、汁を切って冷ます。これでできあがり。
今回はこいくち醤油と白醤油を半々で使ってみた。かつて、天王通りに面した朝日寿司のもろこは、白醤油だけで炊いた、さわやかなものだった。
このような炊き方はかつては広く共有されていたものと思われる一方、今は知る人も少ない。今でももろこの佃煮はあちこちで売られているけれども、このタイプの佃煮はほとんど目にすることがない。あのとろっとしすぎた佃煮は、本来のタイプとは異なる。水飴を使ったものも邪道である。こういうことを覚えているひとは、あと何年地域に残っているのだろう。地域の生物資源を背景に成立してきた川魚料理の多くが、近い将来に消えようとしている。