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12月, 2019の投稿を表示しています

ナマズのすっぽん煮

冬にはさまざまな川魚が体に栄養を蓄えて、そのうえ水のにおいもなくなってうまくなってくる。これは小魚も大魚も押並べて同じである。ナマズという魚もその例に漏れないものであって、皮下に黄色い脂の層がついてくる。こんなときがナマズの旬にあたる。 ナマズの肉は柔らかく、また脂が肉に差し込んでいかないから、本来ウナギのように蒲焼きに向いた魚ではない。一時は近大ナマズがウナギの代用品としてブームになりかけたが、ナマズはナマズ。ナマズにはナマズ固有のよさがある。 さてこの魚、かつては日本各地で主に煮炊き料理に使われてきた。そんな中でも関東にあるのがすっぽん煮というもの。すっぽん煮の云われにはすっぽんのように煮るから、などとあるが、実際のところはどうだろう。すっぽん煮にはいわゆる揚げ煮と、生から煮るもの、焼いたのを煮るものがある。共通しているのは酒をたくさん使って煮立てるというところで、他はかなり幅のある料理だ。ここでは、埼玉で食べたすっぽん煮を参考に、実際に作ってみる。 今回のナマズは40センチほどのもの。頭を包丁の峰で何度も叩いておとなしくさせ、首のところに背中から刃を入れて背骨に切れ込みを入れて、血を出す。下顎に目打ちを打って固定し、背中から開いて2枚におろす。頭はふたつに割りエラを取る。これを冷水に入れて、血が出なくなるまでよく洗う。きれいになったら塩を小さじに2杯程度加えて塩揉みし、水で濯いで塩気を落とす。 鍋に水2カップと酒1カップを入れて、ナマズを入れて火にかける。強火でがっと煮るのが重要。泡が吹いてあくが出てくるのでこれを取る。沸騰して数分したらざらめ糖を50グラム加えて、ごぼう、しょうがの薄切り、ねぎのそぎ切りも加えて、続けて強いめの火で煮る。沸騰してから16、7分、肉にほぼ火が通ったところで濃口醤油を好み次第で大さじ2から3杯加えて、2分だけ煮る。あとは皿に盛って完成。 工房うむきさんの鯰皿に持ってみた。鯰懲罰である。私が店で食べた味を再現するなら、ざらめの分量をさらに15グラムほど増やせばよい。店屋でいただいたものにはたっぷりとかつお節がかかっていたが、そんなことではせっかくのナマズが台無しになる。せいぜい山椒を振るくらいにしておくべきだろう。ナマズの質が良ければいやみもなく、ふわっとした仕上がりになる。皮の表面に粘膜がついていても、に

ふなみそ その2

本当にたくさんの方に先の記事をお読みいただいたようで、心からうれしく思う。地域の文化は、継承者がいなければいとも簡単に潰えてしまう。あなたの身近にも、ふなみそ作りの先達がいらっしゃるかもしれない。もしそうなら、作り方を習い、そして文字に残してほしい。できれば、自分でも作ってみてほしい。継承者は多ければ多い方がいい。 さて、まだ少しフナが余っていたので、別の作り方でもふなみそをする。こちらは、鱗のついたまま、焼かずに炊く方法その1だ。今回は25センチほどのフナを3匹と、20センチほどのフナが1匹。サイズが揃わないこともある。 まずはフナの頭を叩いておとなしくさせ、エラを切って血を出す。鱗を取らずに腹の右側から刃を入れ、内蔵をあらかた出す。この際、胸鰭のあたりにある苦玉(胆のう。黒っぽいのですぐ分かる)を傷付けないように気を付ける。腹の中をよく洗い、血をある程度拭き取る。鍋にたっぷりと湯を沸かして、ここに放り込む。生きたまま放り込むと暴れて危ないので、ふたをすること。また生きたままだと鱗がある程度剥がれてしまう。本当はしばらく置いて、フナが絶命してからやるとよい。今回はまだフナが生きていたので、湯に入れたら鱗がかなり剥がれてしまった。 湯に入れたフナを30秒ほどで取り出し、冷水で軽く洗う。鍋に豆(目黒豆)を敷き詰め、その上に湯引いたフナを乗せて、たっぷりの番茶の煮出し汁で煮る。(フナが小さい場合には、豆だけ先に1時間程度煮ておくのがよい。)豆の量はフナが4匹だけだったので、150グラムとした。はじめは強火で煮て、あくがたっぷり出てくるからこれをよく掬いとる。 15分ほど強火で煮たら、あとは中弱火に落として煮る。生から煮ている分、強火にあたって形崩れしやすい。煮あげざるを使うと魚が泳がないので、少しは崩れにくくなる。これで都合4時間程度、水が減ったらその分を足しながら煮る。水から出ている部分は当然煮えないので、できるたまけ小まめに差し水する。この間、左右をひっくり返したりする必要はなく、もしそんなことをしたらたちまちに煮崩れてしまうだろう。とにかく、フナを触らない。はじめは番茶の色で少々緑がかっていた煮汁が、次第に茶色になってくる。 4時間連続で煮るのが難しかったら、1時間ずつに分けてもよい。4時間というのは目安で、フナが大きければもう少

ふなみその作り方

11月27日。いいフナの日を過ぎて1週間ばかりがすぎると、そろそろ初霜がおりる。初霜がおりて、昼間にも手掴みできるくらいフナの動きが鈍くなったら、いよいよ寒ぶなのシーズンインとなる。 ふなみそはフナを味噌、砂糖で煮込んだ料理で、その分布は愛知県、三重県、岐阜県、滋賀県にまたがっている。愛知県西部や岐阜県南西部では冬になるとスーパーの惣菜売り場でも普通に見かけることのできる馴染みある食べ物だ。このふなみそ、従来は家庭で作られていたもので、家庭や地域によって少しずつ作り方にちがいがある。たとえば、フナを生から使うか、焼いてから使うか。しょうがを入れるか、番茶の煮出し汁を入れるか、何も入れないか。味噌をいつ入れるか。大豆を入れるか。そういうところにあれこれのローカルルールがある。もっとも、今となっては"あった"に近いかもしれない。今は家庭で自作される機会が激減しているうえ、店によってちがっていた味も、小さな加工屋や鮮魚店の閉店が相次ぎ、相当が失われてしまった。今年も少なくとも一軒のふなみそが失われた。どこにでもあった文化がいよいよなくなるという危機感にどうしようもない焦りを感じる。こういう焦りを共有できる同郷人は、果たしてどれだけいるのだろう。ふなみそは確実に、家庭から離れつつある。 私はふなみそのことを調べ始めて、もう10年以上になる。ふなみそのことを調べているわけではないけれど、どうしても避けては通れないのがこのふなみそなのだ。ふなみそ作りももうずいぶんになるけれど、本当に納得できるものを作れるようになったのはここ数年のことで、それまでは川魚の料理全般にたいする技術的な未熟さや、フナ自体の質の問題で自分の中でも心から納得できるところに至っていなかった。ふなみそに肝心なのは、もちろんいいフナの入手だ。フナの大きさは手のひら少し越えるくらいがよく、それより大きいと鍋に入らないのと、豆との煮炊き時間の差が大きくなる。フナに限らず、川の生き物には川のにおいがつきやすい。できるだけ洗剤の流れていないような場所のもの。泥っぽい場所であることには問題がない。フナは泥場の生き物だ。それでいて、時期に恵まれたもの。そう考えてみると質のいいフナの確保は意外に難しい。今回はたまたま出かけたかつての水郷で、水中でじっとしている太ったフナを見つけ、夢中で掴んできた。こい

かますだしの雑煮

高知のすしの多様さについては、ここで何度か取り上げているとおもう。では、雑煮はどうだろう。高知にはすましの雑煮と味噌の雑煮とがあり 、もちの種類も必ずしも角もちに限らず、丸もちである場合もあるようだ。 そんな高知の市街地で、妙齢のかつてのおねえさん(70代)から、雑煮について聞き取る。この方の家では代々すましの雑煮で、かますのだしを取ったものが最高のものであるらしい。高知はだしの文化もおもしろく、かつお節、さば節といった節類だけでなく、いりこ、こびら(マイワシ)、えそ、あじじゃこ(マアジ)など、さまざまな煮干しが使われている。かますの煮干しは量的にはさほど多くない。また、出るのは晩秋で、人気があり年末には売り切れることもあるらしい。そんな話を一通り聞いてから、それならとかます(アカカマス)の煮干しを買い求める。 かますは前の晩から水に浸しておく。1カップあたり1本として、例によって3人前で4カップに4本。朝になったらこれを中火で煮る。沸騰したら弱火にして3から5分、あくを取りながら煮る。煮だしたかますは取り出して、砂糖醤油で煮るといいおかずになる。 ここに塩を小さじ1、うすくち醤油を小さじ2分の1加えて調味する(高知の場合、醤油はないこともある)。この汁でもちを煮て、柔らかくなったらお椀に盛る。ほかには京菜(水菜)と、かまぼこ、茹でえび。えびは「なんでもいい、あるもの」ということだったので、浦戸湾に多いヨシエビを使ってみた。 かますのだしとは、こんなにもうまいものだったのかと驚く。これはなるほど、あじじゃこやいりこでは出すことのできない味だ。ところで、この雑煮に対して、水菜は最近の流行りものである、というリプライをいただいた。高知県は横に長く、地域によって状況は異なるから、聞き取りを行った高知市街がかつてどうであったのか、調べてみる必要があるだろう。高知中部にはツケナ、あるいは潮江菜と呼ばれる在来の水菜に似た野菜があったようで(近年少数の栽培がある)、これが水菜に置き換わったのかもしれない。尾張のもち菜が次第に小松菜に置き換わりつつある現状を思い出し、機会を見つけて調べてみたいと思うけれども、あまりに遠い高知で、しかも趣味的なことに使う余裕はないのだということを自覚する。

ますやに関東の川魚をみる

すし道楽をした東京滞在。実はもうひとつ、楽しみにしていたことがあった。場所は埼玉県吉川市。ナマズを名物として売り出している。ここの老舗「ますや」に、ツイッターで知り合ったMさんらと出掛けた。私の郷里の名物のひとつに、実はナマズの蒲焼きがあった。これはナマズを頭から背開きにして、つけ焼きにしたもので、上街道や津島神社の参道にこれを出す店がいくつもあったのである。しかしそれももはや何十年も前のことで、今やナマズの蒲焼きは名物ではなくなってしまった。店がなくて食べられもしないものが名物というのはありえない。少し前まではかろうじて近隣の町に老舗があったが、これは近年のウナギの高騰でなくなってしまった。伊勢湾台風の日開も乗り越えた、大きな鯰絵のある老舗だった。 さて、埼玉にナマズの町あり、ということはもう20年も前には知っていたのだけれど、訪問の機会に恵まれてこなかった。20年経ってようやく、埼玉県に足を踏み入れたわけだ。東京からは案外あっけなく吉川に着いてしまう。せっかくなので待ち合わせよりも少しだけ早めに着いて、町をあれこれ物色して歩く。あまり面白いものはなく、駅近くのスーパーマーケットでもこれはというものがない。鮮魚の取り揃えについては、やはり関東の一員ということを感じさせるけれども、川魚が置いてあるわけではない。町歩きで発見したものと言えば、ナマズをあしらったマンホールくらいだった。 ますやは旧道沿いにある。この旧道にはほかにもナマズを売りにした店があり、うなぎ屋もある。古くは東京からたくさんの人が来ていたのだろう。ここでは基本のなまず御膳のようなものをいただいた。主人は銀座の割烹で修業されたとのことで、揚げ物などもすばらしい。コイの刺身は霞ヶ浦のものとはちがって、小振りで脂気のないものを使っているようだった。ここで私が一番惹かれたものは、実はナマズではなく、雑魚の煮物だった。タモロコを煮たものだけれど、色は赤みが強く、そして何より、きちんと醤油辛い。これぞ関東の赤煮だと思わせる味であった。 元々はくちぼそ、すなわちモツゴを使っていたのが、近年では捕れなくなったために養殖のタモロコを使っているという。この関東の佃煮、赤煮は、近年の減塩志向の影響を大きく受け、どんどん醤油の割合を減らして、甘みを加えている。梅干しなどもそうだが、こういうことをすると本来のう

すし あれこれ

記録用にすしの写真を載せておく。私はたいてい、東京に行くと寿司、うなぎ、そば、喫茶店に行くようにしている。うなぎは仕事だけれど、いずれも東京に行かないと食べられない。特に寿司とそばについては、ここ福岡ではなかなかそれらしいものが食べられないため、東京で"食い溜め"しておくに限る。寿司というとぜいたくなイメージがあるかもしれないが、東京に寿司屋は数多あり、庶民的な価格のものから目玉が飛び出るような高級寿司までさまざまだ。もちろん、前者の中にもこれはと思えるものがあり、こういう感覚は福岡にはない。福岡には握り寿司の文化が根付いていない。さらに蛇足的に書いておくと、東京は基本的な物価が高いため、なにも考えずに適当な飲み屋やイタ飯屋に入ると外れを引いてしまうことが多くなる。で、有名店はおよそ例外なく混んでいて入りづらい。余所者としてはそういう印象がある。 さて先月末には友人の結婚式で東京に出掛けたので、二軒の寿司屋を訪ねた。ひとつは下町の街角にあって、常連客で賑わっていた。もうひとつは対照的に観光客ばかりの店。価格帯は前者の方が少しだけ上だが、ほとんど変わりはない。寿司の形や握り方などを見て楽しむ。

金沢の雑煮

いよいよ冬も本番になってきた。ここ福岡では晴れ間が少なくなり、どんよりと鉛色の日が増えてくる。いくら九州と言えども、この地が日本海に面しているということを実感する。 古い雑煮の資料を読んでいたときに、一番シンパシーを感じたのが金沢の雑煮だ。私の生まれ育った尾張の雑煮は、シンプルの極みであるもの。その実もちを除いてはもち菜とかつお節しか入っていない、すましの汁だ。こういう雑煮は長野や関東にもあるけれど、その代表選手は金沢だ。 金沢の雑煮の基本形は、せりともちのみ。または、そこにかまぼこが入る。近年では他にもかつお節を振りかけたり、鶏肉を入れることがあるらしい。そうしたくなる気持ちは分かる。だいたいシンプル雑煮のエリアでは、どこも具が増えてくる傾向にある。さてその作り方はいたってシンプル。水3カップに洗った昆布を浸して一晩置く。これを火にかけ、沸騰直前で取り出す。その後は沸かして火を止め、かつお節を加えてかつおと昆布の合わせだしとする。かつお節を濾したら沸騰させてうすくち醤油を小さじ2分の1、塩を小さじ2分の1、みりんを大さじ1、酒を大さじ1加えて、その汁でもちを柔らかくなるまで煮る。煮あがったらお椀に移して、最後に刻んだせりを添える。 汁はだいたい3人前の分量。せりの香りとわずかな苦み、これに上品で繊細な澄ましの味をじんわりといただくもの。西日本に住んでいるとこういう感覚は持ちようがないけれど、東日本ではせりの入った雑煮は多い。味付けが軽いので、だしの良さが生きる。こういうときにはいいかつお節を使いたい。せっかくなので2椀目はかまぼこと、刻んだゆずの入ったものにした。こちらも、金沢に伝統的なもののようだ。

琵琶湖の宝石 あめのいお

琵琶湖流域にあめのいお、という魚がいる。琵琶湖固有種のビワマスのことで、今もこの魚をビワマス、あるいはマスではなく、あめのいおと呼ぶ話者がある。 日本列島のマス類、アマゴ、ヤマメ、ビワマスのグループの分類学的整理はいまだに収束していない。ビワマスは遺伝的にも明らかに別系統のものであるし、またその生態的な特異性からも別種とすべきだろう。彼らは琵琶湖の流入河川で産卵する。産まれた子供は5月頃に琵琶湖へと下って、しばらくをそこで過ごす。成長後、秋の大雨を利用して、再び川へとやってくる。こういうところからあめのいお、すなわち雨の魚と呼ばれているわけだ。 現在はこの魚は基本的に琵琶湖の沖合で刺し網やトローリングで漁獲されている。ビワマスが沖合で獲れるようになったのはせいぜいここ60年くらいのことで、それまでは偶然網にかかる程度であったと思われる。したがって、それまでの湖民にとってのビワマスはあくまで浜や川で獲れる、あめのいおでしかなかった。ビワマスは産卵が近付くと、それまで剥がれやすかった鱗が皮下に埋没して剥がれにくくなり、皮は厚くなり、そして体に婚姻色が現れてくる。体は全体に黒っぽくなり、体側にピンク色の不定形の横帯が出てくる。こういうものは沖合で獲れる銀色のものとは異なり、卵や精巣に栄養がとられて脂が落ち、肉が柔らかくなってくる。要するに味が明らかに落ちてくる。彼らは産卵すると死んでひまうので、全身全霊をかけて繁殖に取り組むわけだ。 現在、主として川にのぼってくる10月から11月は禁漁である。だからこういう繁殖を控えたビワマスを食べるということは難しくなっている。ビワマスの繁殖盛期はたいてい11月だが、禁漁明けの12月にもごく少数が川に上がるので、こういうものを獲るか、または別の漁法での混獲個体にその可能性がある。しかし、特に雄の婚姻色個体は現在では市場価値が全くなくなってしまっているので、まず出回ることはない。だから、かつて湖民が食べていたあめのいおの味を知る、ということは、非常に困難になっていると言わざるを得ない。沖合で獲れるものの方がうまいのだから、それでよかろうという声もあるだろう。しかし、熊野のサンマ寿司はやはり、脂の乗った三陸沖のものではなく、脂の枯れ切った枝のようなサンマを使いたい。ビワマスにもこういうことがあるはずである。 さて、幸運なことに、昨年