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今年も豆ご飯を作った

 異常に暑い夏が過ぎようとしている。 この暑さは、確実に農作物にも影響している。豆作りも困難をきわめたらしいが、幸いにして今年も、すばらしい出来のだだちゃ豆を恵んでいただいた。しかも量はたっぷりある。 少量ずつに小分けして湯がき、今年もやはり豆ご飯を作った。注書きのとおりに豆というかさやをこすり合わせるようにして洗い、塩を加えたたっぷりの湯で湯がいていく。火が入ってくるとトウモロコシのように甘く爽やかな香りがただよう。暑い暑い残暑の口の中に涼しさを運んでくる。豆ご飯にするものはかたゆでだ。沸騰した湯の中に入れて強火のまま、1分半で取り上げて氷水で冷やす。あらかた冷えたら豆とさやとに分ける。米は少しだけもち米を混ぜ、1時間ばかり吸水させてから(水はやや少なめにした)豆とさやを両方入れて早炊きで炊く。さやに塩気があるので、味付けなし。 豆はあと入れの方がうつくしい。けれどこの日は一緒に炊いた方がいいと思った。これは甘さと、香りとを食べるものだ。
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シラハエのからあげ

まだおおらかだった時代に、愛知県西部での風物詩に春の終わりの稚アユ釣りがあった。堰を越えられずに汽水域にたまっているアユを、小さなサシムシで釣るというもので、多いと100匹くらい釣れる。必ず混じるのがオイカワで、だいたい1割程度は本種が混じる日がある。釣ってきたアユはからあげとなって、我が家の食卓を賑わせていた。思えば、幼少の頃はまだ「からあげ」と言えばもっぱら小魚の揚げ物であって、食卓に鶏のからあげが登場するようになったのは少し後になってからだ。 愛知県西部では、戦後しばらくの時代までシラハエ(オイカワ)釣りの文化があった。領内川、日光川、大江川、庄内川などかつてはそれなりの水質の水が流れており、秋から春がシラハエ釣りの季節になっていた。そういう光景が産業排水と伊勢湾台風とによって急速に廃れ、最後に残ったのがあの稚アユ釣りであったと思う。実際に、稚アユではなくもっぱらシラハエばかりを狙って釣っていた老人がいたことを思い出す。 オイカワがもっともうまいのは1月頃で、3月からは次第に繁殖に気を取られて肉が薄くなっていく。特にオスなど、握って分かるほどにうすぺたくなる。それでいて死ぬといち早く柔らかくなるから、例えば甘露煮などには向いていない。水がぬるんだ後ならもっぱらからあげにするのが良いと思う。これなら、雌雄混じっていても問題ない。 からあげ、の粉はなんでも良くて、好みによって片栗粉、小麦粉、天ぷら粉など使い分けたらいい。市販の唐揚げ粉には濃い味がついていて、つまみにするならその方が好都合に思われることもある。ただ、オイカワが不憫になるので私はあまり使わない。天ぷら粉ははじめから卵成分が入っている上、ベーキングパウダーも入っているので実はかなり使いやすい。川でオイカワとアユを捕まえてきて、腹を適当に出したら(冬のものなら腹を入れたままの方がいいこともある)塩コショウを振って、そのあとで天ぷら粉を水で溶かずに粉としてまとわせる。これを油で適温で、少し長めに、軽くなるまで揚げるだけでほどよいからあげになる。 冬場に比べると場所を選ぶものの、オイカワのからあげはやっぱりおいしい。海魚のような余計な油や酸味もない。一緒に入れたアユより、オイカワの方がうまかった。

カレーにマンダイ

 しばらく前のことになるけれど、石垣島に行った。あそこは程よく過ごしやすくていい。何より、個人商店が残っているし、ローカルな食材も買いやすい。ただし、雑魚、小魚を扱う店はほとんど消滅しているのが残念なことだ。街を通るとたくさんの観光客が目に入った。 日中はとにかく忙しい。忙しいのでさっとできるもので食事を作り、食べる。そうかと言ってカップ麺ではモチベーションが下がるので、おいしい、と思えるものを自炊する。 マンダイというのはアカマンボウのどこにでもある呼び名で、マグロの延縄のある町ではひといき安い切り身として売られている。この魚は加熱料理に使いやすく、たいていはムニエルやフライに使われている。カレーにも向いている。 にんにく、しょうが、青とうがらしを刻む。しょうがは皮も剥かないで、そのまま、少し厚めに何枚か作る。厚揚げを角切りに、たまねぎはくし切りにする。その他入れたりものを入れたらよろしいので、紫芋を少しだけ分厚い輪切りにする。この芋は火が通りやすい。マンダイは大きな切り身で売られているものを一口大にしておく。 サラダ油を鍋に入れ、にんにく、しょうが、それと青とうがらしを炒めて香りが出てきたらたまねぎ、紫芋を加えてさっと絡めるように炒める。表面だけ火が通れば十分。具材がかぶる程度、よりも少し多めに水を加えて、煮たってきたらマンダイと厚揚げを加えて、さらにココナツミルクも加えて少し火を弱めて煮ていく。煮る時間は火が通ればもう十分である。好みの塩味をつけ(つけすぎない:単に塩でいいけれどナンプラーもいい)、コリアンダーを大量に、シナモンを少しだけ加えたらカレーリーフをちぎって好きなだけ加える。米さえ炊いておけばこの汁気のあるカレーでお腹いっぱい食べられる。

エツのこと

エツというのは最大で50センチ、だいたい40センチほどになるカタクチイワシ科の魚で、日本では有明海の奥部だけに分布している。本種は中国や朝鮮半島にもいて、近縁の種は東南アジア各地やインド洋にも分布しているけれど、日本にはエツだけだ。エツの体は非常に特徴的で、平たい銀白色の体は細く刀のように伸長している。長い臀ビレ、長い上顎など、とにかく国内では他の魚にないユニークな特徴をあわせ持っている。エツが育つのは海の中だが、本種の生活史は川とは切っても切り離せない。本種の卵は塩分がごく少ない場所でしかうまく孵ることができないから、産卵期にもなると川の上流まで遡上してくる。これを捕らえるのがエツ流し網で、濁った川の水に丈1.5メートル、長さ150メートル程度の網を流して、川の上流へと移動するエツを引っ掛ける。エツの良し悪しは、鱗の剥がれ具合で分かるという。エツの流し網は単純な一枚の刺し網で、ここにちょんがけのように掛かったものを最低限しか触らないで手際よく外す。この時、鱗がたくさん剥がれたり、ヒレにうっ血が出てはダメなのだ。イワシの仲間であるエツの鱗はきわめて薄く、当然とても剥がれやすい。エツは、筑後川で金の砂を食んで、真にうまくなる、というのが川の漁師に言い慣わされてきた逸話だ。たしかに、川で採れるエツは海のものよりも金色が強く感じる。成熟が一気に進んでからだ全体に力がみなぎっている。この時期のエツは脂があり骨も柔らかくなるが、卵を産んで海に帰る頃には骨が硬くなって刺身には不向きになるらしい。弘法大師も海のエツまでは気を配ることができなかったようだ。 さてそんな繊細な魚なものだから鮮度が落ちるのも早くて、生食できるようなものの流通はほとんど筑後川の下流周辺に限定されている。料理屋にエツのコースを注文すると、ランチなら朝漁、夕食ならば昼漁(夕方に流す)のものを漁師から取り寄せて使う。朝のものを夜に使うことはできないからだ。そのエツの漁期には遊覧船(エツ船)の運航があって、エツ料理を食べながらエツ漁をする小舟(狩り舟)を眺めることができる。こうした舟遊びはかつて日本各地にあったものだけれど、今も残っているのはほとんどが鵜飼い(アユ)だけで、エツを対象としたこの遊びが現在まで残っているのは奇跡的としか言いようがない。その奇跡を体験しに、この週末に興味のある人間を集めて筑後川は大川市

しらうおの玉子とじ

 今年はしらうお(シロウオ)が高い。おおむね10年前の倍くらいに高騰している状態だ。シロウオの産地は北海道から熊本に至る日本各地にあるけれど、年々産地は減っているうえ、それぞれの産地での漁獲量も基本的には横ばいというより右肩下がりになっているところが多い。本種の住む沿岸環境や、産卵場所の環境の問題が大きい。特に河口域からの石、礫の減少が大きな影響を与えている。このような減少はダムや堰堤など、いわゆる横断工作物によって引き起こされている。かつて、1トンをゆうに超える(帳簿が残っている範囲で2トンとも言われる)漁獲のあった室見川では、ついに漁獲が50キロを下回るようになり今シーズンは休漁している。しかし、卵を産む場所がないのだから漁を休んだところで回復するわけがない。全国の多くの漁場が似たり寄ったりの状況にさらされていることを深刻に捉えるべきだろう。 さてそのシロウオ(この地では明確にしらうおと発音する)を買ってきて、することと言ったらやはり玉子とじだ。今年は鳥インフルエンザの影響で玉子も値上がりしている。 シロウオの玉子とじには、やたらに味をつけない方がいい。シロウオそのものにハゼらしいうまみがあるからこれを損なわないようにする。しかしうすすぎても味がボケる。 今回はつくしとわらびも加えるので、それらはあらかじめ下処理しておく。小鍋に水一合を沸かして、うすくち醤油、酒、みりんを各大さじ1。そこに上白糖を小さじに二杯加える。つくし20本を半分に切って加え、中火で少し炊いてからシロウオを加える。シロウオは生きているものの表面をさっと水洗いする程度でかまわない。火は中火のまま、シロウオを50グラム、ざっと40匹程度加えて、しっかり白くなったらわらびの芽を加え、すぐに玉子2個分をかけ回す。菜箸で少し整えて、火を切ってふたをして熱を通す。シロウオ単体の玉子とじもぜいたくでいいけれど、ここにつくしが入ると苦みが加わって楽しい、季節感のあるものになる。悪く言えばかさ増し。

きなこもち

私は小さい頃異常なほどにきなこもちが好きで、このもちをしょっちゅう食べていた記憶がある。このあるごとに祖母からもらうつきたてのもち、そして近所の振る舞いで年に数回我が家にやってくる五目もち(ただしこういう呼び名があったわけではない)の中でも真っ先に食べていたのがきなこもちだった。それがいつしかあまり食べなくなり、家でせがむこともなくなった。おそらく、中学に上がる頃には自分の中での“流行り”は終息していた。 ところで最近はときたまきなこもちが食べたくなることがある。それで、我が家には上等なきなこを常備することにして、食べたいときにきなこもちを食べる。 はじめてきなこの調合を任された時、こんなにたくさんの砂糖を入れないと理想の味にならないのか、と思ったものだ。それはポテトサラダにマヨネーズが思ったよりもたくさん入っていることに似ている。きなこ(味付けきなこ)はとにかくたくさんあった方がいいから、余ってもいいのでたくさん作る。当たり前だがきなこというのは大豆の粉で、おのずから甘みがあるわけではないので自分で調合する。分量はきなこと、上白糖をかさで等量入れてかまわない。少し甘さを控えるなら、上白糖の量はきなこの8割程度にする。ここに塩を少々加える。きなこの総量にもよるので少々としか書けないけれど、少なくともたしかに塩が入っていると感じられる程度に加える。ぜんざいにも塩が入っているでしょう、この塩が大事。もちは解凍したら焼いて、焼き上がったものを沸騰した湯に放り込む。20から30秒ほどで取り出し、きなこをたっぷりとつけて食べる。焼いただけではもちの表面にきなこがつかない(小学生の自分の失敗を書いている)。 きなこは、一度つけるだけにしないで、ひとくち食べては断面にまたつけ、を繰り返して食べていく。昔、きなこもちをたくさん食べる時に、湯を横に置いて、湯にもちを通しながら食べていたような記憶がある。あれはどこの記憶だろうか。ちなみに、きなこもちにさらに佃煮の汁をかけて食うとうまい。

朝熊小菜のこと

 私は青菜が好きで、さらに言うとその漬け物も好きだ。そういうわけで各地でよく分からない青い菜や、その漬け物を買っている。 三重県には朝熊小菜というものがあって、これが小松菜の仲間ではない菜だ。形は大根の抜き菜に似ているけれども、葉が先の方だけに固まってついている。伊勢地方の朝熊山で作られる在来の菜なのでこの名がある。なお、香りはやはり大根の抜き菜に似ている。 アブラナ科なので採種はきっと簡単なのだと思うが育てるのが難しいらしい。というのも、朝熊を離れて他の場所で種をまくと、育ちすぎてしまって朝熊小菜としての形を保てないというのだ。朝熊の冷気を引き受けて、抑制的に育つ。それではじめてしなやかで長い葉柄ができていく。 この小菜は汁にしてうまく、何より漬け物がうまい。塩だけで漬かった小菜漬、特に寒さの塩梅がもっともよくなる頃合いのものは塩気(かなり薄い)と葉柄の甘みのバランスが最高になり、また風味もよくなる。この茎のところだけを細かく刻んで、炊き立てのご飯に混ぜ込んだり、あるいは湯がけにすると風味が立つ。葉の部分についても混ぜ込んだらいいのだけれど、それはしないで適当に刻んで汁に使う。その方がよりぜいたくで、小菜の個性を楽しめる。全くもったいない食べ方がひきわりの納豆と混ぜることで、少量の納豆と、大量の小菜漬を混ぜるのがいい。 この最高の小菜を送ってくれるけもさんに心からのお礼を言いたい。絶妙な気候の育む朝熊小菜、いつまでもありますように。