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投稿

沖縄のいゆじ その5

だらだらと続けてきた沖縄のいゆじ、も今回で最後になる。今回の沖縄は、あくまであそびとして立案し、実現したものだ。これまでの沖縄への旅はすべて、研究、仕事が中心だったので、そのときにできなかったことはできるだけした。うつわ屋に好きなだけ行き、登り窯のかま焚きを見て、またあらゆる直売所で買い物をした。できなかったのはいくつかの飲み屋への訪問である。さて、今回もっとも実現したかったのが、ターイユシンジーこと、フナの煎じ汁である。これこそ、沖縄にやってこないと完成の難しい料理ではないだろうか。このシンジ-は熱が出たとき、風邪を引いたとき、またその他の不調時に沖縄の、少なくとも中南部のひとびとが口にしてきた民間の薬である。この主役がターイユことフナであり、またニガナーなのだ。那覇には今もターイユを売る店がある。しかしこのターイユは果たして沖縄のひとびとが食べてきたフナと同じものなのだろうか?沖縄島南部のフナは過日の放流行為によって交雑が進み、在来の血を大きく損じてしまっている。私はフナの味は系統によって異なると考えているので、これでは真のターイユシンジーを食べたということにはならないと思う。そこで、沖縄島の在来の可能性がきわめて高い某所でフナを必要最小限採集し、この料理に使うことにした。ターイユシンジーの作り方は至って簡単なものだ。まずはフナを泡盛に泳がせて、動かなくなるまで待つ。小鍋にフナの全身がかぶる程度の水を加え、そこへニガナーをふたつかみほど、長さ5センチほどに刻んで加える。フナは鱗も、内臓も一切とらない。内臓の病には内臓ごと食べることで対処しようという考えである。これを弱中火で火にかける。強火にするとフナの体表がボロボロになってしまうから、弱くする。沸騰してきたらはじめのアクだけを取り除き、弱火に落として1時間から1時間半ほど煮る。はじめは灰色がかった透明だった煮汁がポタージュのように濁って濃厚になり、ニガナーの葉から溶け出した色素が混ざって黄色っぽくなっている。硬いニガナーの葉ももはや柔らかい。最後に塩をひとつまみ加えて調味する。 満身創痍となりつつあったこの会のメンバーにとって、ターイユシンジーはいかなるものであっただろう。ニガナーと、胆汁による苦みは強烈だけれど、フナの持ち味のうまみがとても強く、これが長くつづく。それでいて生臭い風味がかけらも感じられないの…
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料理の楽しみ

料理の楽しみ、というのがある。長く料理をつづけていくためには、とにかく楽しむことが重要だ。楽しむためには、ストレスにならない程度に何らかの制約をつけてやるのが簡単だ。よくあるのは1ヶ月何円以内でやる、みたいなもの。限られた金額の中で、いかにおいしく食べるか、さながらパズルのような食材との駆け引きを楽しんでみる。そういう書籍も出ているが、こればかりでは気持ちが苦しくなる。だいたい、1ヶ月スパンだとミッションをクリアできたという達成感を味わえる頻度が低すぎる。かといって、1日ごとに決めてしまうと縛りがきつすぎて疲れてしまう。たとえば、夕食には必ず汁物をつける。これを決めると、ミッションをクリアするだけではなくて、献立を決めるのが楽になるという利益を得られる。献立というのは無限に考えられてしまうから、ときに考えることに疲れてしまう。なので、汁物を必ずつけると決めてしまえば少なくとも一品、選択の幅がぐっと狭まってくれる。このように、一定のルールを決めることは選択の苦しみから解放してくれる。フライパンひとつでできるものにする、というような、道具で制約をつけるのもいい。私の場合、夕食は30分以内でできるもの、と決めておいてある。ただし、魚料理についてはこの限りでない。時間のかかるものは、夕食の時間だけに作らないで、あらかじめ下準備を済ませておくようにしている。ルールを決めると、不思議とこのルールを破りたくなる瞬間が必ず訪れる。そんなときは大胆に、ためらいなく思い切りルール破りしてやる。そうすると、言い知れない解放感、自由な発想の気持ちよさで、とても料理がはかどる。いつも自由よりも、こうしてときどき、たまに自由があった方がうれしいのが人間の不思議なところである。要するに、飽きないようにやる、ということが大事なわけだ。私の場合、地域の古い味付けを再現したりすることもあり、そういうときには徹底的に脳みそを使っている。その分息抜き的な料理も必要で、バターしょうゆごはんとか、トンテキとか、パスタ、こういうものが息抜き要員となっている。カレーもひとつの息抜きである。カレーはきわめて単純な、期待どおりに応えてくれる足し算の料理だ。足し合わせたとおりの味になる予定調和感、そきてこれを比較的手軽に味わうことができるのはカレーならではかもしれない。もちろん、ときどき料理を作らないようにすること…

かにごはん

九州のひとは、とにかくモクズガニが好きな印象がある。九州中、どこへ行っても川の話、水辺の話に出てくるのがモクズガニであって、また多くの川のもの捕りが廃れた現在に至っても、九州の川、ほどほどにきれいな川なら誰かはカニを捕っている。福岡や佐賀では、スーパーの店頭で見かけることも珍しくはない。これは比較的都市部であっても同様に思える。
ところで、私もかつては毎年冬の風が吹く頃になると決まってモクズガニを捕りに出かけていた。このモクズガニはたいていそのまま蒸すか、または味噌汁にして食べていた。むしろそれ以外の料理をやったような記憶がないくらい。これは郷土では普通であったように思われる。そもそも、濃尾平野のデルタ下部ではモクズガニを食うのはもっぱら川筋のひとであって、それ以外にはメジャーな食べ物ではなかった。その料理が、たいてい蒸すか茹でるか、または味噌汁なのである。モクズガニは豆味噌の汁に合う。では、九州ではどうだろうか。北部九州で聞き取りをしてみると、一般的な食べ方は蒸しでも味噌汁でもない。曰く、醤油や酒、ときに砂糖を加えた汁で煮るというものだ。すべてのひとが、このモクズガニをいくらでも食べられたわけではない。枝の用水や小川沿いに暮らすひとびとにとっては数匹のカニがお宝なのだ。これを大事に泥を吐かせては、このように炊いて食べたというのである。川で権利をもってカニ捕りをするひとびとについてもこれは同様で、このような話を佐賀市、神埼市、筑後市、田主丸、福岡市といった地域で聞き取っている。
さて、この醤油で煮たカニの味が知りたくて、知人に頼んで作ってもらおうと思っていたところが、なんと福岡県内の直売所で入手することができた。

とは言え、1匹食べて、味を確認してしまえばあまり用事はない。そもそも、私はかつてモクズガニを食べすぎたせいか、この味に飽いてしまっているのだ。しかも、細かく足の肉などを食べていこうとするとかなり面倒だ。醤油で炊いてあるこのカニは、ふんどしを取って甲を剥き、真っ二つに割ってから足の付け根の筋肉を味噌も殻も構わず噛みしゃぶってしまうのが道理である。これもまた若干のストレスがある。まだ内子がしっかり入っていればこのストレスも和らぐわけだが、この時期なのでそういうこともない。しかし、購入したパックは6匹入りである。考えた末に、これをぜいたくに使ってかにごはんを作…

沖縄のいゆじ その4

昨夜にたんまりと魚を食べたにもかかわらず、からだがとても軽く感じる。前夜と比べて少しばかり早く就寝したからだろうか。でも、結局起き上がったのは10時を回ってからだ。
ダルマーことヨコシマクロダイを購入したときに、一緒にクチナジがついてきた。ついてきたというか、セット売りだったというのが正しい。セット売りのものについて、ひとつだけ買わせてもらうというのは邪道であるので、一緒に買っただけのことである。クチナジというのはタマンことハマフエフキ、シルイユことシロダイ・メイチダイ類、ときにウムナガ-またなホーナガ-ことキツネフエフキも除いたフエフキダイ科の魚を指す言葉だ(ムルーという言葉も使われる。ただし、この言葉はときにアジ科の魚を指すことがある)。口が長い魚、という意味をもつこの魚は概して安く、あんまり大事に売られていないものでもある。この日買ったタテシマフエフキは刺し網で獲れたもので、たしかに鮮度はほどほどだ。揚げ物や焼き物は面倒だし、こういう個体は焼くとたいていにおいが出る。そこで、全身丸ごとを使ってボロボロジューシーを作ってみる。
ボロボロジューシーとはいわゆる雑炊のことで、ジューシー=雑炊と同源である。ただし、沖縄で単にジューシーというと雑炊ではなく汁気のないまぜご飯のことを意味するので注意する必要がある。刻み昆布の入ったジューシーおにぎりはコンビニでも売られていることがある。ボロボロジューシーとなれば間違いなく雑炊のことだ。
タテシマフエフキ3匹は鱗を取り、内臓を取り出してよく洗う。これに湯をかけてから、鍋に並べて、かぶるくらいの水に少しの泡盛を加えて強火で煮立てる。沸騰したら少しだけ火を落としてアクを掬いながら煮詰めていく。15分ほどでほとんどアクが出なくなるので、ここで魚を取り出して身をほぐし、骨と分ける。フエフキダイ類はあまりだしが出ないから、かつおぶし一掴みを水1カップ半に煮出しておいて、魚の煮汁に加える。ここに、洗った米2合を入れ、煮立てて強火にしてから弱火に落として25分ほど炊く。水気が足らないなら途中で少しずつ足す。米が煮上がってきたらほぐした魚の身と、細かく刻んだカンダバー3分の1束分を加えて、ここに沖縄の地味噌を20グラムほど加える。疲れていたら多く入れるし、そうでないなら少なくていい。


この料理はきわめて自由なもので、具材はそのときにある魚…

沖縄のいゆじ その3

沖縄の日暮れは遅い。外は暑いけれど、湿度は福岡よりも低いのではないか。ときどき、1時間ほどざーっと雨が降ってくる。たんまり買い込んだ魚を、頭を整理しながら下処理しては、どういう順番でどのように食べていくか決めていく。5キロほどあるオーマチ、アオチビキの釣りのもの。これをおろして、少しずつ使っていく。オーマチは肉に水気があり、舌にあたりのよい肉質が特徴だ。これは刺身と、てこねずしにつくる。単にマチとしてつぶして売られていたイシチビキは、沖縄風の煮付けにする。冷たい鍋に並べてから、泡盛、黒砂糖、醤油を注いで、川ごと厚く切ったしょうがとともに強火でガンガンに炊きあげる。これは必ずしも沖縄風ではないけれど、味付けは沖縄の飲み屋にならったものだ。
フカヤービタローと呼ばれるハナフエダイには、2種が混在することが最近分かった。このうちのひとつがハナフエダイであり、もうひとつがウスハナフエダイだ。両者はきわめてよく似ているが、ハナフエダイは背の黄色と青色の斑紋が明瞭なので、一見ウスハナの方が鮮度が悪いように見えてしまう。同じ釣りで釣れた同じサイズのものを買って、食べ比べにきをてらうことなくマース煮とする。両者の味わいは全く区別がつかないが、ウスハナはわずかに肉が柔らかい印象だった。
刺身盛りはブチブダイ、コブシメ、キハダ、イトヒキフエダイ、ゴマアイゴ、とする。写真ではどれがどれだか分からないけれど、白身のそれぞれに個性があって楽しい。これだけの量を作っても、若者で食べるとすぐになくなっていく。カーエーことゴマアイゴは、沖縄の三大高級魚には入らないが、これを専門に狙って釣るひともあるような魚だ。本種は刺し網による漁獲が多い。今回は脳天を見事に突かれた、2キロほどのものを入手して、ためしに背節を刺し身に作ってみた。するとこれがクセになるようなうまさなのだ。腹からはきちんとアイゴのにおいがするのに、肉からはその卑しいにおいが気になるほどは出てこない。これはこの夜一番の発見だった。カーエーを専門に狙ううちなーの釣り人も、きっと刺身では食べていないだろう。

お一人様のぼぶら飯

昔のひとの話にときどき登場するのがかて飯や麦飯だ。日本人が等しく白米の飯を日常的に食べるようになったのはごく最近のことで、それまでは米を節約するために、根菜などを足してかさ増ししたかて飯を食べていた地域がかなりあった。特に水田耕作面積の小さい山間や漁村では、かなりの程度このような飯を主食として食べていたと言って良いだろう。私がしばし滞在していた志摩地域もそうで、さすがに今はなくなってしまっているけれど、かつてはサツマイモやぼぶら、すなわちカボチャのかて飯を食べていた。山がちなリアス式海岸のつづく志摩半島、特に先志摩の地域は陸路を伝っての物質供給が脆弱なところで、ここでは限られた土地で作ったきんこやぼぶらが食糧として重要な役割を果たしていた。さてこのぼぶら飯の作り方は聞き書 三重県の食事に記載がある。ただし、たぶんに漏れずこの本の書き方では実際に作ってみることは難しい。今回は私ひとり分の分量で作ってみたので、備忘録として書き付けておく。ささげ4分の1合をよく洗ってから半日ほど水に浸しておく。ささげ、水1カップを中火で沸かし3分ほどしたらその水を捨てて、また小鍋に戻し、水2カップを加えて20分中弱火で煮る。煮えたら一旦冷ましておく。米2分の1合をさっとといで小鍋に加える。カボチャは4分の1個をたねをスプーンでとり、たてに4等分したら皮を包丁で剥いて、厚さ1.5センチ程度に切っていく。量ってみると皮をとった状態で230グラムだった。皮つき、種つきで350グラム。カボチャを小鍋に加えたら、状況を見て加水する。すなわち、カボチャがひたひたに浸るくらいの水加減とする。中強火で沸かして沸騰したら塩をひとつまみ加える。中火に落としてふたを開けたまま5分、ふたをして弱火にしたら10分加熱し、火を切って10分蒸らす。ふたを開けてみて、水気が多ければもう少し中弱火で加熱してもいい。最後にカボチャを崩しながら混ぜてできあがり。カボチャの適当な甘みが食欲を誘うし、何より見た目があざやかだ。しかし、当時のひとびとにとってみれば、このいやに黄色いぼぶら飯よりも、真っ白な白飯のほうを求めていたことだろう。こういう想像力がないと色々なことを聞き漏らしてしまったり、妙な誤解をもったままになってしまったりする。

沖縄のいゆじ その2

沖縄では一軒家を借りきって、寝食をそこで過ごした。いくら小康状態にあるとは言っても、市中から感染リスクが消え去ったわけでもないし、また我々が持ち込んでいないとは言えない。したがって、この滞在において、外食のシーンはかなり少なくなることになった。その分、朝食、夕食を自炊して楽しむことにした。2日目の朝は夜更かしのせいもあってゆるゆると、起き出したらすでに9時半を回っていた。米を炊き、おかずにはスクを空揚げにして食べる。その1で説明が遅れたけれど、スクというのはこの時期の沖縄を代表する、まさに旬の食材だ。例年この時期になると、「スク水揚げ」のニュースが琉球新報から流れる。スク水ではなく、スクの水揚げである。 スクはアイゴ類の幼魚のことで、沖縄が梅雨明けを迎えた頃、沖合で浮遊生活を送っていたものが、新月の大潮回りを中心に大群で接岸して、イノーと呼ばれる浅い珊瑚礁の内側へと加入してくる。これを専用の袋網を用いて、潜り漁でつかまえる。こんな風にしてアイゴ類の幼魚を食べているのは全国でも沖縄だけだ。しかも、この生のスクが手に入るのはたったの2週間ほど。ここを逃すとまた来年まで待たねばならない。 スクは小さめのものと、大きめとでたいてい分けて売られている。大きめのものは空揚げにするとなんともうまいのだ。表面をさっと水洗いして、片栗粉をつけて揚げる。ここに少しだけ塩をふって、またときにシークヮーサーをひと搾りして食べる。ビールのつまみにもいいけれど、まだ岸の藻を食べていないスクの、上品な香りを楽しめる空揚げは、飯のおかずにもうってつけだ。スクにはときに混じり物があり、今回はグルクングヮー(ヒメタカサゴ)が混じっていた。これも空揚げでよし。
朝の腹ごしらえを終えてから、この日は直売所を回って魚を集めていった。沖縄の魚を見ると、鮮やかな色合いに楽しい気持ちになってくる。沖縄の魚は総じて安いと思う。高いのはマクブ(シロクラベラ)やアカジン(スジアラ)などのごく限られたものだけである。 結局この日は、ほとんど魚を買うだけで終わっていったな、なんて思う。魚に加えて、沖縄ならではの食材も色々と買い入れた。これは島バナナ。ブドウを思わせる酸味が楽しい。

この日の夜はこれでもかというくらい、魚を食べることになった。このことはまた次回。