サバヒーのことは、以前一度このブログで取り上げている。 台湾のサバヒーと粥 https://share.google/1xmK4v87kcdn0vuYP ただここで書き留めたのは私が触れてきた台湾サバヒーカルチャーのほんの一端であって、総論として、今の台湾の人々にとってのサバヒーのありようとはなにか?を論じるには、不十分なように思われる。実際、私はこれまで何度も台湾に渡って、それらの目的はサバヒー文化を調べることではなかったけれども、結果的にあらかたの全体像が見えてくるところまでは訪問できた気がしている。写真についてはあとあとで追記することにして、いったん私が見て、食べて、聞いて、感じてきたサバヒー文化についていくらか書き残しておきたい。 サバヒー、司目魚、あるいは虱目魚を初めて食べたのは、2014年のことである。2014年というのは私にとっての初めての台湾訪問の年で、このとき台湾で食べると決めていたのがサバヒーと、ボンベイダックことテナガミズテングであった。旅は2月。台北、基隆での滞在から始まり、高雄から屏東に向けて南下する道すがら、サバヒーを食べることに成功した。台北ではふたつの市内市場を見学していて、ここで初めて、鮮魚として売られるサバヒーを見た。基隆では市場にも、スーパーにも行っていないので、少なくとも形の分かるものは見ていない。 台北から高雄まで台湾高鐵を使って移動し、そこからは車に乗り換えて少しずつ南下する。現地の研究者に事前にサバヒーが食べたいということは伝えてあったものの、ここまで連れていってもらった飲食店では影も形もなく残念に思っていた。高雄、というか左営に着いたのはもう四時半か五時だったか、とにかくすでに夕方なのであり、あたりはみるみる暗くなってしまった。その真っ暗な道すがら、立ち寄った店で食べたのがサバヒーの腹のスープ(虱目魚肚湯)なのであった。この店にはなんとサバヒーはメニュー表になかったのであるが、現地の研究者が交渉してくれたおかげで、出してもらうことができた。この店があったのは枋寮という小さな街で、ロードサイドの海鮮料理店であった。はじめて食べたサバヒーの印象は柔らかい。そして、骨が気になるということだった。後々になって知るのだが、今やほとんどの台湾のサバヒーはひじょうに最適化された形で加工されており、特に腹の部分、つまり魚肚は...
去る5月10日から、魚滋会で琵琶湖にいた。個人的に調べておきたいことがあり、その前から滋賀県には出入りしていたのだけれど、始まりは10日、長浜駅から。魚滋会と 名をつける前、最初に開催したのが琵琶湖で、その時にもいた方も数名参加した。 前回の時には、沖島に行って、まだ春の魚たちが盛りになる前の時期を楽しんだ。琵琶湖には四季折々の楽しみがあるから、次は別の時期にやりましょうと話していたものの、その後の急速なパンデミックは島での開催可能性を閉ざしてしまった。改めて今年であれば、沖島に再び行くこと選択肢にはあった。ただし、前回と今回の大きく異なるのは自炊という要素のウェートで、そもそも初回は1泊で、自炊要素はゼロだった。 私も、それなりに琵琶湖に長く付き合っているので、どの地域に、どういう尺度の、どういう楽しみがあるかはある程度把握している。新しい人たちの思い思いの動きもある。ただ、魚滋会を企画したコンセプトに立ち返ったとき、やはり地域にもともとある料理の魅力をフラットに再確認する、という点が重視されるので、あまりきをてらうような選択はしないで、むしろ地域にとっては伝統的と思われているものを選んだ。 今はちょうど、琵琶湖の春の盛りから、夏へと切り替わるタイミングにあたる。湖畔を見渡すと水の入った田がまだ完全には面をなしておらず、ところどころに歯抜けがみられる。本来、琵琶湖に近いエリアの田植えはゴールデンウィーク中には済ませるのが通例だったが、次第に遅くなっている。麦作をするところが増えたこともその一因だと思う。開催前日にまとまった降雨があり、水位が上がったことで宿泊地の近くでもフナやドジョウの産卵をみることができた。このような魚について、味の点で言えば最盛期からは落ちる。それでも、その変化にこそ淡水魚の四季がある。 2日目には湖北海津の漁業者、宮崎さんと田村さんに協力を仰いで、たくさんの湖魚をへとへとになるまで料理して食べた。7時半から食べ始めたのに、ようやく寝られたのは2時過ぎだった。