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7月, 2019の投稿を表示しています

ガストロを食べる

私はこれまでに数多の魚を食べてきたけれど、それでもなお食べてみたい魚というのはある。そんな魚のうちのひとつがガストロだった。別名ウロコマグロとも呼ばれる、サバ科のなかでもユニークなもので、大きな鱗を持っている。マグロの延縄で混獲されたものが、身だけになって日本にも少数やってくる。そんな魚を友人が見つけたというのでわざわざ買っておいてくれた。 ありがたやと持ち帰り、さっさと撮影して食べてみる。肉はご覧のように白っぽく、皮目には大きな鱗の跡がある。 まずは何もせずに焼いてみる。水気をとってフライパンに油を少しひき、両面を中弱火でじっくりと焼いて、少しだけ香り付けをしたもの。繊維が太いので肉のようでもあり、味わいはマグロ的だ。ついで切り落としたものをマース煮。これは水と泡盛、屋我地の塩に新生姜を薄切りして、煮たったところにガストロを加えて強火で煮たもの。マグロは煮ると繊維のかたさが気になるけれど、これは気にならない。やや厚い皮のところはとろっとしていて、たいへん面白い。一緒に煮たツルムラサキとの相性もいい。最後にゴーヤを厚く切って、砂糖醤油(この日は白砂糖にした)のやや薄味で煮たもの。これも面白くてうまかった。解凍品がときどきスーパーに出回っているので、もし運よく出会った方は色々と試してほしい。

喫茶店のこと

私が育った愛知県というところは、都会でもないのに喫茶店の密度が異常に高い地域だと言える。場合によっては街角にひとつずつ、あるいは並んであることもあるし、朝の6時台から営業するところも少なくない(しかも、この時間からちゃんと客がいる)。また、この地域にはモーニングという慣習があって、朝はコーヒー一杯の値段でトーストやバナナ、ヨーグルト、場合によっては赤飯や味噌汁がついてくることもある。飲み屋も、外食も元々少ない土地柄ながら、喫茶店は地域にとってなくてはならない存在となっている。そんな土地柄で育ったものだから、私は喫茶店がだいすきだ。中でも、常連さんの世間話を又聞きしたり、あるいはその輪のなかにたまに入らせてもらったりする、そういう時間がたまらなく好きだ。喫茶店では地域に関する耳寄りな情報が流れてくることも多い。地域のことを知るならまずは喫茶店に行くべきだと思うのは大げさだろうか。 さてこの福岡には喫茶店がたいへん少ない。これが福岡にきてびっくりしたことのひとつだった。同じような大規模都市なら、京都にも神戸にも、それなりに喫茶店がある。福岡にはあれと思うほどに少ない。古いひとに聞いてみるとかつては福岡にも市街のあちこちに喫茶店があったそうだけれど、バブルが弾けた頃にバタバタとつぶれていってしまったらしい。福岡にはうまくて安い外食がたくさんあるから、ビジネスマンもわざわざ喫茶店にはやってこない。喫茶店というのは街の余裕を象徴する存在なのかもしれない。そんな福岡で訪れた喫茶店での写真を少し。この頃はホットサンドの多様性が知りたくてこればかり注文しているけれど、本当はチーズトーストが一番好きで、次がシナモントーストとフレンチトーストだということを、ここに明言しておきたい。チーズトーストも、みだりに脂くどいものや、マヨネーズをつかっているものはだめ。ここのチーズトーストは絶品だった。

ふらふらと歩いてハンバーガー

日頃から魚ばかり食べていると、正反対のものが食べたくなる。これは京都人が天下一品のこってりなラーメンを生み出した心理に似ているのかもしれない。正反対のものの代表格が焼き肉!ステーキ!でも、そんなものがいつもいつも食べられるわけもないので、結局ジャンクフードのマクドナルドに落ち着く。マクドナルドのハンバーガーはほどほどにおいしいのだけど、ほどほどにおいしくない。ハンバーガーは好きなのだけど、何かが足りていないのだ。そんな物足りなさを埋めたくて、ときどきハンバーガー屋を探して入ることがある。本来のハンバーガーはもっとうまいのではないか、という、気持ちの穴である。この日もたまたま福岡のいつもは歩かない市街地を歩き、たまたまよく分からない路地に迷い込み。とすると、薄暗いシャッターの奥にある不思議な小汚ないバーガー屋にぶつかった。 メニューはシンプル。チーズバーガーを注文すると、目の前でバンズとパティとを焼き始めた。パティから染み出た脂は、バンズに移していく。味付けは塩とコショウのみで、余計なソースはかけない。私は元来、とんかつにもハンバーグにもソースをかけない人間なので、これはとてもありがたい。 肉のうまみと、たまねぎの甘み、パンの風味だけで勝負するようなバーガーはこの日の気分にぴったりだった。このカルチュアルなバーガースタイルは60年代のアメリカでは一般的なものだったそうだが、70年代にマクドナルドによるファーストフードの波が来て、数年のうちにほとんど絶滅してしまったらしい。実際にはマクドナルドはドッグフードと呼ばれてアメリカでは受けなかった(低所得者層の日常食となった)が、ファーストフードスタイルのバーガーショップが次々に参入して、この時間と手間のかかる"じじ臭い"バーガースタイルは姿を消してしまったというのである。今、日本ではあらゆる食べ物についてファスト化、外食化が進んでいるけれど、そんなものとは比べ物にならない速度でアメリカのバーガー史は塗り変わってしまったのだ。これはとてもおそろしいことだと思う。 ところで、日本のハンバーガーはたいていバンズが冷たいけれど、やはりパンは温かいほうがいい。冷たいパンでは単なるサンドイッチでしかない。アメリカでは何度かハンバーガーを食べて、そのどれも日本のものよりうまかったけれど、この日のハ

田舎風トムヤムクンを作る

トムヤムクンといえば、タイを代表する料理のひとつだと言える。一方で、中国の炒飯、日本のラーメンのように、その内実は多様だ。決まっているのはクン、すなわちエビが入っているスープ状のもの、レモングラスか、コブミカンか、あるいはその両方が香草として利用されているということくらいで、あとはとても自由な料理だと考えてもらったらいい。近年ではココナッツミルクを使った濃厚なものが流行っているらしいけれど、あまり食欲のわかないようなときには、田舎風のあっさりしたトムヤムクンがいい。これを先日入手したシバエビを使って作ることにする。 料理の当日にやってもいいけれど、面倒なこととしてエビの下処理がある。エビは頭と殻とを取り(尻尾は残しても残さなくてもよい)、背から切り込みを入れて背わたを取り出しておく。頭と殻は水から湯がいて、限界まで煮詰めておく。煮詰めきったところでナンプラーを少しだけ加えておくと、エビのうまみの詰まったうま味汁ができあがる。うま味汁は冷蔵庫に、エビは冷凍しておけばいつでもトムヤムクンができるというわけだ。ここからはおよそ二人分の分量。水3カップににんにくのスライスをひとかけ、しょうがの薄切りを数枚、コブミカンの葉を数枚、レモングラスをひとつかみ、それにパクチーの根を加えて煮る。普通の家庭には生のコブミカンの葉も、レモングラスもないと思うがどうにか調達してほしい。香りが立ってきたら鶏ガラスープの素を小さじ1杯、エビうま味汁を小さじ2杯、ナムプラーを大さじ1杯加える。その後はスズキの切り身をいくらか入れて、たけのこ、厚切りのマッシュルーム、紫玉ねぎのくし切り、半分に切ったトマトを順に加える。このあたりで唐辛子を好きなだけ入れ、ライムを丸ごと1個搾る。一番最後にエビを加えて(ここが一番大事。必ず最後にすること)、火が通ったら器に盛る。レモングラスは食べるときに邪魔になるから、適当に取り除いたらいい。現地風を楽しみたいならそのまま入れておくべきだね。このあとはパクチーを好きなだけ盛る。あまり細かく刻みすぎないこと。 トムヤムクンはそのままでも、この中ににゅうめんを入れて食べるのもいいし、ご飯にスープをかけながら食べるのもまた現地風でいい。トムヤムクンの具材はなんでもよく、エビ以外にはイカや白身の魚が入っていることが多いように思う。柔らかいすり身の団子が入っている

シラタエビのそうめん

このところの忙しさは常軌を逸したものだったようで、出張や体調不良も重なり一切の更新ができずにいた。有明海の湾奥西部にあたる佐賀鹿島では、さざれと呼ばれるシラタエビを煮た汁を使ってそうめんを食べるという。このことは少し前に聞いていたのだけど、たまたま機会があって漁師さんの家でいただくことができた。 写真手前にさざれがあり、その奥に煮汁がある。煮汁そのまま、あるいは少しだけ市販のめんつゆを加えて、そこにねぎと、青ごしょう(青唐辛子のこと)を加えて、さらにさざれそのものも加えてそうめんを食べる。 エビの風味は実に味わい深いもので、豊かな有明の海を口いっぱいにかんじる。このさざれは棚じぶという、大きな四つ手網を水が満ちているときに上下させて、網の上を通る魚介類を捕るという、きわめて原始的な方法で捕られたものだ。かなりの頻度で網を上げるのだけれど、ちゃんと生き物が入ってくる。現在でもこれなのだから、かつてのまえうみ、有明海の豊かさというのはいかほどであったのだろう。シラタエビ自体の分布は有明海に限らず日本の各地内湾のようだけど、こんな風におかずとり(古い鹿島の方はおかずのことをしゃ、あるいはしゃあと言う)としてシラタエビが捕れるのは有明海、それも今となっては限られたエリアだけだろうね。 さてこのそうめん汁を自分でも作ってみる。さざれは傷むのが早いから、とにかく新しいものを使う。小鍋に水2カップ、酒と薄口醤油をお玉に各1杯、それにきび砂糖を大さじに3杯で煮汁を作る。白砂糖だとくどくなるので、きび砂糖か、はちみつがよい。煮汁を煮立てて、ここにさっと水洗いしたさざれ(ふたつかみだから、だいたい200グラムくらいだろう)をばっと加える。再度沸騰させて、あくを2回ほど取る。取りすぎると味におもしろみがなくなる。中火で15分ほど煮たら火を止めて冷ます。ある程度冷めたらエビと煮汁を分けて、それぞれ冷蔵庫に入れておく。エビは煮汁を吸い取るので、水加減が少なかったら煮ている途中に水を差しておく。エビはそのままおかずになるし、野菜と炊き合わせにするのもおもしろい。きっとほかのエビでもできるのだろうけど、この殻の柔らかさはさざれに独特のものだ。

明石の小ダコでたこめし

福岡にやってきてからというもの、タコを全然食べなくなっている。タコというのは我々若くて貧しい人間にとってはぜいたく品だ。しかも、下手に少し安い輸入解凍品の茹でダコなど買おうものなら確実に後悔する。島暮らしをしていた頃には自分でマダコやスナダコ、テナガダコといったものを比較的頻繁に捕っていたので、大きなものは切り分けて、小さなものは丸のまま冷凍しておいて、食べたいときに使っていた。今思えばぜいたくの極みのような暮らしである。ちなみにどうやって捕っていたかというと、カゴに入ったものを捕ったり、潜って岩穴にいるものをヤスで突いたり、あるいは夜に灯りを焚いて、寄ってきたものを掛け針で引っ掛けたりしていた。 さてそんな高級なマダコを、明石のたこの会のたこさん(タコではなく、人間)から送っていただいた。小さなタコが2杯と、中ぐらいのものが1杯。このうちの小さなタコ、100グラムくらいのものを使ってたこめしを作ることにする。米2合は洗ってよく浸水させる。タコはざるに入れて塩を振り(大さじに1杯もあればいい)、ざるに押し付けるようにして塩揉みする。そのあと水でよくすすぐとおよそヌメリが取れてくる。これを適当な大きさに切る。足の部分は長さが1から2センチくらい。もちろんもっと大きくてもいい。頭の部分も目と口のあたり以外はぜんぶ刻む。炊飯器に米と、水を1.2合分。柔らかいものが好きな方は1.5合分くらい入れて、薄口醤油を大さじ2杯、みりんを大さじ1.5杯加えてかき混ぜる。その上に洗った昆布を乗せて、さらにその上に刻んだタコを平たく広げて乗せる。最後に香りづけに実山椒を適当にぱらぱらと加える。今の時期は生のものがあるからそれを使う。あとは普通に炊くだけでできる。炊き上がったら、昆布と実山椒を取り出して、タコとご飯とをよく混ぜておく。味見をしてみて塩気が足りなかったら少し塩を振ったらいい。 たこめしは生から炊くのがいちばん。香りも、味も、丸ごとタコというかんじがする。大きなタコを使う場合には身が堅くなりがちなので、うすく削ぐように切ったものを使うほうがいい。

スマのあらを使ってせんば煮

せんば煮、またはせんば汁という料理がある。これは今や大阪の郷土料理のひとつであって、塩さばと大根ありきのもののように思われているけれど、塩魚さえ使っていさえすればなんでもありの料理だ。実際に古い書物を読んでみると、「鰹、鮭ノ類ノ塩漬魚ヲ、湯ニテ煠デコボシ、鰹節煮出汁ニテ煮タルモノ」とあったり、あるいはタイなど、ほかの魚も登場する。要するにある程度大きな魚を使えばいいということだ。 2キロくらいのスマを片身をとって、残りの頭や骨はつけたままで分けてもらってきた。スマはカツオの仲間で、小さくてもうまみの強いいい魚。私はこれのいいものがあるとついつい後先考えずに買ってしまう。もちろん身の部分は刺身やたたきにして食べてしまい、頭と中骨(背骨)、腹のところが残る。中骨にはまだまだ、いわゆる中落ちがついていて、骨からはだしもとれる。そういうわけで、これを使ってせんば煮を作ってみることにする。スマのあらは適当に切り分け、頭は半分に割ってからカマのところを切り分け、全体に塩を振る。塩焼きくらいの分量でいい。これを冷蔵庫で2日間置く。鍋に湯を沸かして、塩の馴染んだあらを加えて、表面をしっかりと湯引きする。ざるにとって冷水で洗う。鍋にかつおだしを沸かして、あらを加えたら強火か、それより少し弱い火で煮る。あくがたくさん出てくるので丹念にとる。あくが出なくなったら薄口醤油と酒、ほんの少しのみりんを加えて煮る。あらから塩気が出てくるから、醤油を入れすぎないこと。あとは好みの野菜というか、時季の野菜を加えたらいい。この日は冷蔵庫にあったおくらと、玉ねぎを入れてみた。もちろん冬場ならこれが大根になるのだろう。大根を使うときには一度茹でこぼしたほうがいい。また冬場などは生姜を細く刻んで加えると体があったまっていいだろう。 玉ねぎの甘みと、スマの酸味とが合わさって夏向きの味わいになった。魚あらの料理、質素な中にも遊び心が大切だ。

明石に逃亡の夜

うまいものをうまいと言い合いながら、うまいものについてどっぷりと語り合いたくなることがよくある。それでも、そんな私の欲求を満たしてくれるような機会はなかなかめぐってはこない。たぶん、食べ物に対する欲、執着というものが強くないひとのほうが多いのだと思う。欲はやがて知的な欲求へと変化して、どんどんと底知れぬ深みに沈んでいく。そういうわけで、うまいものの会のお誘いがあったときにはできるだけ無理を押してでも出かけるようにしている。この日は明石蛸の会。本番のタコ釣りには参加しないで、飲み会にだけお邪魔してきた。明石もんだけを使った魚料理の数々に、三重県は尾鷲土産の虎の尾(尾鷲の伝統唐辛子)、ゆべし、からすみも飛び出した。うまいもんのことばかりしゃべってしゃべって四時間余り。名残惜しくも福岡へと戻ったのだった。

ガパオライスを作る

我が家のベランダではタイバジルを育てている。私が育てているのはタイバジルやコブミカン(バイマックルー)といった、なかなか生のものが手に入らない香草類。タイバジルはフォーの重要な薬味であるし、タイ風の海鮮サラダには欠かすことのできない存在だ。そのタイバジルも5月末に種まきしたものが少しずつ伸びてきて、いよいよ間引きが必要なくらいになった。冷蔵庫の中身と相談して、ガパオライスを作ることにする。タイの炒め物はちょっと甘いものが多い。にんにくと生の唐辛子をみじん切りに、紫玉ねぎ半分をみじん切りに、パプリカ半分は少し粗めのみじん切りにしておく。にんにくと唐辛子を油で炒めて、辛いにおいが出てきたら豚挽き肉200gを加えて炒める。少し水を入れてやるとパラパラになりやすい。挽き肉におおかた火が通ったら紫玉ねぎとパプリカを同時に加えて、すぐに黒糖を小さじ1杯加える。焦げ付かないように混ぜるように炒めて、今度はナンプラーを大さじ1杯と、オイスターソースを少々加える。少し味見して、塩を少々加えて調味する。この間に野菜は十分火が通るので(若干しゃきしゃき感が残っている方がいい)、火を止めたらタイバジルの葉を散らしてさっくりと混ぜる。ここにパクチーも加えていいし、パクチーはあとから生の状態で乗せるだけでもいい。本当は調味料にカピ(エビなどを発酵させた調味料)があるといい。カピを使うなら、ナンプラーとオイスターソースを減らす必要があるけれど、たぶんふつうの家庭にはないし、簡単には買えない。それと、カピを使うときには油でよく炒めて使うべきで、この際にう○このようなにおいが立ちこめるので、家庭向きではないだろう。話が逸れたけれど、器にご飯と、目玉焼きと一緒に盛って完成。日本で食べるガパオライスには必ずといっていいほど目玉焼きが乗っているけれど、もちろん目玉焼き抜きでもいい。

夏の定番ソーメンチャンプルー

混ぜこぜになったものをチャンプルーという。これはマレー語のチャンプルとも、あるいは日本語にもなっているちゃんぽんと同源という説もある。今の日本でチャンプルーと言えば、もっぱらゴーヤーチャンプルーのことを指すようになっている。しかし沖縄に行ってみると実に多様なチャンプルーがあるのであって、それらは沖縄の車麩を使ったフーチャンプルーであったり、ナーベラチャンプルーであったり、ソーメンチャンプルーであったりする。夏場にご飯を炊くのも面倒だというときには、たびたびこのソーメンチャンプルーを作る。素麺を炒めるという発想は一見奇抜なようで、しかし焼きうどんや焼きそば、焼きビーフンのことを考えてみれば、麺を炒める、あるいは油で絡めて食べるというのはさほど突飛なことではないと思う。 ソーメンチャンプルーの具材はなんでもいい。肉はあるもの、牛でも豚でも、コンビーフでもいいし、なんなら肉抜きでもよい。肉は小間切れでも、あるいはミンチでもいい。とにかく適当でいいのだ。炒り玉子もなくていい。野菜はあるものでよくて、ゴーヤー、もやし、ナーベラ(ヘチマ)、なすといったものがよく使われる。この日はなすと、あとは細いねぎや島らっきょうの芽のところが冷蔵庫にあったので、これらをまとめてチャンプルーの具とする。素麺は少しかために茹でて、冷水でよく洗ってぬめりを取り、適当にほぐしておく。この際少しだけサラダ油かごま油をかけておくと、麺がくっつかない。フライパンに油を少し多めに敷いて(なすが油を吸うため)、にんにくのみじん切りを香りが出るまで炒めたら、肉(この日は牛肉があった)を適当にそぎ切りにしたものを入れ、火が通ったら5ミリ程度に薄切りしたなすを炒める。わずかの振り塩をして下味をつけたら、素麺を塊にならないよう何回かに分けて加えて、そこに薄口醤油を少々、水っぽくならない程度に加える。薄口醤油でなく、めんつゆを使ってもいい。最後に細ねぎと島らっきょうの芽を加えて、さっくりと強めの火で炒めたらできあがり。麺をしっかり炒めようと思うと、素麺がフライパンにこびりついてぷつぷつと切れ、短くなってしまう。だから麺は最低限、温まる程度に炒めればよい。私はところどころが炒まって、パリパリになっているのが好きなのだけれど、これは意外に難しい。 コーレーグース(泡盛に島唐辛子を漬け込み寝かせたもの)をたっぷり

京都で川魚料理の夜

川魚のことを調べるために、もう何年も京都に通っている。京都の場合、単発の取材はたいていうまくいかないので、同じところに何度も通って、顔を覚えてもらう必要がある。だから何度も行く。そういうわけで昼間は忙しいけれど、夜はそういう、調べないといけないことから解放されて、気に入った飲み屋に入ることが多い。京都は観光客が多い。そういう客層向けの店もあるけれど、探せばちゃんといい店がある。こういうところにまちとしての層の厚みを感じる。 さてこの日はというと、夜も川魚を食べに出かけた(調査抜きに行っているので、これはあそびだ)。アユを食べられるお店は、もちろん福岡にもたくさんあるし、京都にももちろん、いくらでもある。けれど、京都産のアユを調理して食べさせてくれるお店は今や数えるほどしかない。しかも、自前で捕ったものを出すところはここ一軒だけだろう。アユの仕事はどれもすばらしく、また生の青たで(これはヤナギタデ)を使った本物のたで酢、たで酢味噌が味わえることもいい。何度食べても飽きることのない味わいだ。アユは川によって風味が異なり、また大きさによって向いている料理もちがう。そういう個性を活かすことも腕のうちだと言える。この日は土曜日だったせいか、大変な盛況で客席が空くことはなかった。 アユを見ればすぐに分かるのだけれど、残念なことにこの日はほとんど、鴨川のアユがなかった。三条大橋のあたりで長く続いた公共工事の影響で、いつもの漁場にアユがいないという。京都の料理の真髄は川魚料理にある。アユだけでなく、身近な川魚が数多く棲むことのできる川づくりを進めてほしいと願わずにはいられない。冬には鷺知らずと呼ばれるオイカワの一年生が楽しみだ。