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4月, 2020の投稿を表示しています

雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カイワリというさかな

あちこち、なにもかもが自粛の渦の中にある。その最たる影響下にあるのが飲食店だろう。持ち帰り専門店ではかえって繁盛している場合もあるけれども、普通の店ではこうはいかないし、居酒屋の場合にはもっとたいへんな状況だ。まちからあらゆるにぎわいが消えてしまうかもしれないとさえ思ってしまう。かつての大戦以来という神事祭事の中止の報も続々と耳に入ってくる。 そんな世の中に心を掻き乱される毎日に、豊かな食卓が一種のオアシスとなる。幸いにして、日常の食料品の買い物には今のところ支障を来してはいない。この平穏が崩れ去ったとき、私の心の安寧は消滅することになるだろう。 さて、東の方からカイワリを恵贈いただく。釣り人も人との接触を避けた結果、お裾分けの機会に窮しているらしかった。カイワリの旬は春だ。この魚は概して年中うまい優等生なのだけれど、その中にも旬がある。釣りものをきちんと処理してあるので美しい。半分凍った状態でやってきたが、せっかくのものなのでまずはと刺身にする。マアジやマルマジのように皮は手で剥いても、包丁で引いてもいい。 残りの分は煮付けなどにするにはもったいないから、酢締めとする。三枚におろした身(私は毛抜きで小骨も抜き取っている)の表裏に塩焼き程度の塩を振って、ラップをかけて一晩置く。今回は4匹分だったので、表裏で小さじに2杯分くらいだろう。朝になったら表面の塩を水で洗い流して、酢100cc、上白糖小さじ1杯、それに柚酢(柚子を搾って塩をわずかに加えて貯蔵した調味料)を25ccばかり加えて、これにカイワリを浸す。平たいバットにカイワリを身を下にして並べて注ぎ入れる。30分ほどしたらひっくり返して皮を下にして、空気がほとんど入らないようにピッチリと、魚に張り付くようにラップをかけて冷蔵庫に置く。8時間ほど、夜になったらこの汁をすべて切り、よく水気を拭き取ってからキッチンペーパーで包み、さらにラップに包んで冷蔵庫で丸1日置くとできあがり。ここから数日は食べられる。この日はマイワシ、ブリの刺身と合い盛りとなった。 頭や骨の部分も、もちろん余すところなく使いたい。普通の煮付けもいいけれど、今回は数があるのだし食べ飽きることを考えて、せんば汁とする。魚と塩を使った汁物には潮汁というのがある。これはもちろんうまいがきわめて繊細な料理であるのでアジやサバ、サワラなどでは一

思い出のポテトサラダで

我が家の思い出の味のひとつにポテトサラダがある。我が家では毎月必ず一度はポテトサラダ、ポテサラを食べていた。その味に慣れすぎて、はじめて家の外で食べた"ポテトサラダ"と称される食べ物を受け付けなかったほどだ。我が家は品数の多い食卓が特徴で、これは父親の影響によるものだが、ポテサラはその救世主となっていたふしがある。これは一度にたくさんでき、しかも残った分は翌日にも食べられる。 私は母親からほとんど料理を習ったことがない。習ったものと言えばきゅうりの切り方(これは家庭科のために必要だった)、卵のゆで方、ホットケーキの焼き方、チーズケーキの作り方、味噌汁の味噌の溶き方と、だいたいこの程度である。他の料理は勝手に見て覚えたし、覚えていないものもある。餃子やお好み焼き、ハンバーグなどは小さい頃から一緒に作っていた。ポテトサラダは、芋をつぶすところとマヨネーズを混ぜるところだけ手伝ったことがある。家庭料理について考えていたらそんなことを思い出したのだった。 さて、それではそのポテトサラダを作ってみたい。じゃがいも650グラム、巨大なのなら2個、中くらいなら4個くらいになるものをしっかりとこすり洗いして、傷んだところや芽の部分を取り除いたらだいたいピンポン玉程度の大きさにカットしてレンジにかける。耐熱ガラスのボウルに入れて、ふわっとすき間ができるようにラップをかける。700ワットで5分、5分、4分と、計14分チンしてようやく火が通る。チンした直後は熱すぎるので、しばらくさましておく。 新玉ねぎ4分の1は薄くみじん切りにしておく。きゅうり1本は薄切り。りんご半分を四つ割りにして、へたのところ、たねのところを取り除いたら皮つきのまま薄切りにする。0.1%くらいの塩水に浸けて色止めすることを忘れずに。3分くらいで水気を切る。あら熱が取れてきたじゃがいもの皮を剥く。きちんと火が通っていれば、爪先で剥がすようにして指で剥くことができる。まだ熱いから、ときどき指先を水に浸して、冷やしながらあつあつっと剥いていく。剥き終えたら棒でよくつぶす。へらなんかでつぶしてもいい。よくつぶれたらここに新玉ねぎと、ゆで卵のみじん切りも加える。そう、ゆで卵が必要。これは別で作っておいて、やや粗くみじん切りにして加える。ここにマヨネーズを50から60グラム、加える。マヨネーズが好きな

いい肉で肉じゃが

先週は鮮魚で大きな買い物をしまったがために、あまり満足に料理のできない日々がつづいてしまった。喜ばしいことではあるのだけれど、つねに作りたい料理を作っていたい私のような人間にとっては、ときにストレス的でもあったりする。また、刺身ばかりだとブログの記事にはなりにくい。まことにぜいたくすぎる悩みだ。 刺身になる魚をあらかた、使いきったところで、冷蔵庫の中には何があるか考えてみた。野菜ベースで言えば、きゅうり、ねぎ、新玉ねぎ。常温の貯蔵棚には玉ねぎと小芋、それににんじんがある。肉じゃがにしようと思いつく。 肉じゃが、とひとくちに言ってもさまざまな調理のパターン、味付けのパターンがあるのであって、気分によって変えていい。今日は冷凍庫に後生大事にとっておいた、すき焼きになるようないい牛肉があるので、これを生かしたものにする。新じゃがの小芋の良さも生かしたい。小芋はたわしでこすりながら表面の汚れをしっかり落とし、傷んで黒くなっているところを落としたら水気を拭いて二つ割りにする。これを油で素揚げする。160度くらいの温度で、皮からいい香りが出てくる程度、だいたい6割くらい火が通るまで揚げる。揚げ時間は5分くらい。芋の大きさによっても変わってくるだろう。鍋に小芋がかぶるくらいのだし汁を用意する。今回はたまたま、猪肉をしゃぶしゃぶした昆布ベースのだし汁がとってあった。ここに使い古しの昆布と、島根の地伝酒を2分の1カップ加えて、煮立てた中にじゃがいもと冷凍の実山椒、鷹の爪半分を加えて、10分ほど中火で煮る。地伝酒のない家庭では、酒とみりんとを等割で計2分の1カップになるように加えればよい。ただし、うまみは地伝酒よりも断然落ちてしまうことを勘定に入れておかなければならない。 さて煮えてきたら厚いめのくし切りにした新玉ねぎを加えて、またきび糖を大さじ1加える。玉ねぎにはすぐに火が通るので、この上に薄切りの牛肉を乗せて火を遠し、火が通るやいなやたまり醤油大さじ1と、濃口醤油を大さじ1.5加えて、1分ほど、ひと煮立ちさせたらできあがり。牛肉の香りをできるだけ飛ばさず、また硬くしないためには、牛肉を最後に、またさらにあとから醤油を足すのがよい。 好みによっては最後にかつおぶしを振って食べるのもいいだろう。ふつう、肉じゃがを炊くときにはかつおぶしのだしを使う。これを使わないのは、い

カマツカの煮付けを

カマツカを煮て食べる地域は多い。福岡でははや(オイカワ)に次ぐ一般に名の知れた食用淡水魚なのであって、ときにこの魚が大好きだという方に遭遇する。私の出身地域ではすなくじと呼ばれていて(すなを"くじる"ことから)、まずいとされていた。私自身はというと、冬場にオイカワなどに混ざって捕れたものを、塩焼きや天ぷらにして食べることが多かった。 さてこのカマツカ、福岡での一般的な調理法は煮付けであり、ついで塩焼きとなる。島根の古書を読んでいると思いがけずカマツカの記述に出合う。能義平野ではごじょいし、斐伊川ではすなむぐりと呼んで、味のいいことを褒めている。島根の人びとは川魚を季節ごとに食べていた。カマツカの旬は産卵前の春とある。ちょうどいいところへ雌のカマツカをふたつ捕まえてきたので、旬らしく卵の味わえる煮付けをつくることとした。 カマツカは少しだけ水に泳がせて糞を出させてから、鱗を粗々取り除く。はらわたは除かない。口のところから竹串を打って体をまっすぐにし、素焼きにする。素焼きは焦げないように中火で行い、8割程度の生焼けで火からおろし、よく冷ます。串は抜き取っておく(うまく抜けなければそのままでもよい)。島根には地伝酒がある。地伝酒は万能調味料だ。小鍋に水1カップ半、地伝酒大さじ3、本みりん大さじ2を加えて、冷たいうちから素焼きのカマツカを入れて、中弱火にかける。カマツカのほぼ全身が煮汁に浸かるように、鍋は五徳のうえで傾けて火にかける。 煮たったらあくが少し出るのでこれをとる。3分ほど立ったら弱火にして、10分から15分ほど煮る。ここにうすくち醤油を大さじ1加えて、ひと煮立ちしたら火をとめ、皿に盛る。 カマツカはとても変なかたちをしている。背をこちらに向けた方がすがたがいい。素焼きにしてから使うと頭が落ちにくいし、なにより風味がよくなる。余計な臭み消しなどは必要ない。腹には目一杯の卵がつまっている。これはカマツカ料理のひとつの最適解と言えるだろう。地伝酒がカマツカのよさを最大限引き出している。

君はバターチキンカレーを食べているか

私にとってカレーは一種の頭の体操だ。頭のなかで作りたいカレーのイメージを固めてから、足し算の順序を考えて、料理を始める。ときに創作的であり、ときに典型的なもの。気分次第でどちらでも構わない。凝り固まりやすい職場、凝り固まりやすい社会の中にあって、カレーを作り、そして食べるということは息抜きそのものだ。 今日は朝早く、変な時間に起き出してしまった。こんなときにはカレーだね。寝床の中で冷蔵庫の中身を思い浮かべてみると、足りない材料がある。これを買い足して、いわゆるバターチキンカレーを作ってみる。たぶん福岡に来てからは初めて作るんじゃないかな。 分量はだいたい3人分。鶏のささみ(部位はなんでもいい)ふたつを一口大に切って、ここにヨーグルト大さじ4、レモン汁少々(レモンがないので橙を使用)、それにクミンとコリアンダー粉を加えて30分ほど漬け込む。クミン多め、コリアンダー少なめ。ヨーグルトに少しだけ色がつく程度でいい。たまねぎ半分、にんにく一かけは細かいみじん切りに。しょうがは大きいまま、皮もつけたままで薄切りを5枚ほど用意する。カルダモン3粒は包丁の角で二つ割りにしておく。フライパンにサラダ油を大さじ3杯ほど熱して、そこへカルダモン、にんにく、しょうが、唐辛子(好みだが、最低限でいい)を加えて、香りを出す。強火過ぎるとにんにくと唐辛子が焦げてえぐみが出てくるから、弱火で、5分ほど加熱するイメージだ。ここへバターを大さじ1加えて香りを出す。バターが溶けきったらたまねぎのみじん切りを加えて、中火で火が通るまで炒める。トマト缶を4分の3加えて、焦がさないよう中弱火に落として炒めていく。残ったトマト缶はすぐに何かで使いきるか、またはラップに包んで冷凍しておけばよい。汁気が次第に減り、炒められたトマト特有の香りが出てくるまで、だいたい5分ほど炒める。ヨーグルトに漬け込んでおいた鶏肉は、魚焼きグリルにアルミホイルを敷いて、そのうえにつけ汁ごと広げて、一番強い火で少し焦げ目がつくまで焼く。アルミホイルは二つ折りにしてから、四辺を折り曲げて乗せると汁がこぼれない。 焼けたらフライパンに投入し、さらに水を2分の1カップ加える。馴染ませながらへらでかき混ぜ、ここからは弱火で調理する。なんとなく鶏肉表面のヨーグルトとトマトが馴染んだら、生クリームを100cc加えて、さらにガラムマサ

煎り酒を作っては蒲焼き

長い長い、食べ物の歴史を考えている。私の食べ物の興味の中心は、昭和初期から現在、また未来に至る食べ物の系譜であり、そこに横たわるさまざまな文化的事象だ。進化、統合、多様化、退縮といった、生物の進化にも通ずるような経緯を経て、食べ物の世界は刻一刻と、着実に変わっていく。古いものがなくなることを悼むのは単純だけれど、なくなっていく経緯もまた冷静に観測していたい気持ちが内心にある。ある時代の断面ともいえる食文化を調べるためには、その時代のことだけではなくて、少し遡った時代のことも調べてみる必要がある。食文化は多様であり、分岐的であり、また重層的である。 このところはずっと、うなぎの系譜を調べつづけている。そんなところに、ツイッターで知り合ったooi@n_mさんから、島根の食文化に関する文献を紹介してもらう。この一節にかつての蒲焼きに関する記述があり、これがどのような味のものなのか、ずっと確かめたい気持ちをもっていた。当然その時代にはまだ養殖うなぎの大規模流通がないから、天然のものを使わなければどんな味か分からない。自分で捕ることもできるけれど、ここは漁師さんの捕まえたもの、しかも潮入の場所のものを使いたい。そんなこと、人によってはささいでくだらないと思われるようなことを考えているうちに、幸運にも有明の小振りな天然うなぎを送っていただく機会に恵まれた。またとないチャンスがきた。 まずは煎り酒を作る。煎り酒の作り方にも、当然ながら個人差がある。島根ではフナやコイの糸造りや、ワカサギを付け焼きするときなど、さまざまなシーンで煎り酒を使ってきた。この煎り酒に欠かすことのできないものが地伝酒。島根に伝わる灰持酒(この言葉はたぬまゆさんに教えてもらう)で、深いあまみとうまみを持った、みりんに近い味の酒類だ。色はうつくしい琥珀色で、これはメイラード反応が素早く進むことによるものという。 この煎り酒を1合、水を半合、そこに梅干しを2個と梅酢を小さじに1杯、塩ごく少々、薄口醤油を大さじ2杯で中火にかける。今どきの梅は甘くて塩気が足りないから、わずかの梅酢と塩とを足して調整する。煮たったら鰹節を一掴みより少し少ない程度加えて、弱火に変えてじっくりと、液の量が3割ないし4割ほどになるまで煮る。とにかく焦がさないこと。これを濾したら煎り酒のできあがりだ。今回はうなぎにかけるので少し