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8月, 2019の投稿を表示しています

別嬪の老舗、丸よ

わけあってうなぎの老舗について、さまざまなことを調べている。調べるにはもちろん資料研究も大事だけれど、やはり実際に店舗に行ってみないと、分からないことだらけだ。資料だけで物事を考えてしまうというのは、ときにリアルからかけ離れてしまうことがあるから、注意が必要だと思っている。 さて、愛知の東、豊橋の本陣跡に丸よという明治初期創業のうなぎ屋がある。元は割烹であった織清の職人を雇い、江戸期からの宿屋がうなぎ専門店を始めた。織清はうなぎ料理を関東の流行りものとして出し始めた。ここ丸よに至っても、うなぎというハイカラ料理を扱うにあたって、皮目を上にして客に見せるという奇抜なアイディアを採用した。そこに別嬪の語源があるという。 丸よのうなぎは老舗としては関東風のほぼ西限にあたる(※関西には江戸流として関東風を扱うところがある)背開き、蒸しを加えたものだけれど、皮目にもしっかりとタレがつき、香ばしく仕上がっている。米は4代以上続く老舗の米屋から仕入れているもので、粒の小さなものを柔らかく炊いて、もち米混じりのような食感が魅力的だ。タレの味わいも少し醤油の際立った、東海地方としてはあっさりしたものとなっている。ハイカラ料理も姿を変えなければいずれ伝統の味となる。小さなお商売にこだわり続ける、うなぎ屋の姿ここにあり、である。

シンコという関東に特異なもの

日本人は初物をありがたがる。食べ物を通して季節を感じる、その中にある初物という存在はとてもいとおしいし、改めて繊細で純粋な、食べ物に感謝するという気持ちのうえに成り立っているものだと思う。特に魚の場合、新仔、シンコという概念がある。まだ出始めで生まれたての、あるいは、育ち盛りのまだ幼いものを指して、旬のものとして楽しむ。その最たるものがシンコ、コノシロの子供である。江戸前寿司にとって、季節感を最大限に印象付けるのはコノシロの成長だ。コノシロは地域によって多少の差はあるものの、春、だいたい4から5月頃に産卵する。この子供が6月の終わり頃になると1円玉を超えるサイズになってくる。これをシンコと呼んで、関東江戸前の寿司屋では競って扱うようになる。もともと、江戸前の海(という表現もおかしいけれど)で獲っていたのが、東京湾ではほとんど獲れなくなってきている。現在も内房で少し漁があるようだが、主たる産地は伊勢湾三河湾と、有明海だ。シンコはキロあたり何万もするもので、地元には一切、出回らない。身が柔らかく、繊細なシンコは氷水に浸かって、急いで東京に送られる。世の中のシンコはほぼすべて築地、今は豊洲に集まるといっていいだろう。そんな魚は日本中を探してもシンコくらいしかないのではなかろうか。シンコを使った握り寿司は愛知県や福岡、佐賀県など、産地の県でも食べられるが、扱う店舗がごく限られるうえに、これらは東京で競り落とされたものが産地に逆輸入されているものだ。それなら、東京、あるいは関東で食べた方がいいということになる。ほぼ、関東の郷土限定食材だと言っていい。 7月半ばに神奈川の気のいい寿司屋でいただいたシンコは、3枚付けだった。一巻の寿司に、腹開きにしたシンコがけなげに3枚、握られている。前の週には6枚付けだったという。これが2枚、ないしは1枚半になったら、シンコの季節は終わり。週を経るごとあっという間に成長して、シンコの旬は終わりを迎える。

居酒屋にて

福岡は舞鶴に古い居酒屋がある。昭和53年発行のカラーブックス「博多の味」にも記載のある店だ。ここには数ある博多の名店が掲載されていて、中には平成に入る頃に店を閉められてしまったようなところもあれば、チェーン店化して大繁盛というところもある。この本は生粋福岡の文化人の書いたもので、文化資料としても面白い内容だ。さてこの舞鶴のアヤシイ居酒屋をようやく訪問することができた。飾り気のない味付けで、器盛りも素朴である。こういうものが残ってるっていいな。舞鶴というところは天神の繁華街からは少し離れていて、そこかしこに変な店が局在している。 最後の"めんたま"はこの店の名物なので、行ったことのある方ならすぐにどこか分かるはず。

半助豆腐

半助というものがある。かつて、1円のことを円助と呼ぶ俗語があった。その半分、つまり50銭が半助ということになる。現在は銭という通貨はなくなってしまったけれど、関西、特に大阪でうなぎの頭を指してこのように呼んでいる。 関西風の蒲焼きは頭をつけたままで腹から裂き、頭を切り落とさずに焼く。そこで余ってくるのがカミシモ、要するに頭と尾の先である。シモのほうは切ったり切らなかったりだけれど、カミのほうは蒲焼きとして完成したのちに切り落として、半助として販売されている。今はさすがに50銭では買えないが、安い値段で買うことができる。北九州では頭もつけたままで売られていて、普通、細かく叩いて酢の物にしたりするのだという。 大阪には半助豆腐なるものがあるので、今日はこれを作ってみる。半助をふたつ、それに尾の先もふたつある。材料となるのはこれに加えてねぎ1本と、豆腐(焼き豆腐か木綿豆腐がよい)半丁だけだ。鍋にかつおのだしをとって、これを1.5カップ。そこへ薄口醤油、みりん、酒をすべて大さじ2杯加えて、半助を加えて冷たいうちから煮る。こうするとよく味が出る。煮たってきたら適当に切った豆腐と、ねぎを加えて、火が通るまで煮る。とても簡単。 この日は九条ねぎを使ってみた。煮汁がとてもおいしいので、ぜんぶ飲みきってしまう。

うなぎの柳川鍋

あまりに暑いので、ろくに料理をしていない。焼き肉に行ったり、唐揚げを買って食べたりと実に独居若手サラリーマンを絵に描いたような生活を強いられている。だって、あつすぎる。 さて、そんなあついあつい日々も、少しの弛みを見せ始めた。退廃的な生活ばかりもしていられないから、いっちょ気合いを入れて料理らしいこともしなければならない。そんなことを考えていたら、頼んでおいた柳川鍋が届く。そういうわけで、あれこれと食材を買い集めてから、冷凍庫のうなぎ半切れを取り出す。 うなぎを家で温めるのが難しいといって、テレビでもずいぶん、色々な方法が流れてきたことと思う。しかし、大した苦労をしなくても、うなぎを温めるのは簡単だ。関東風にふわふわと蒸したものや、まだ冷めきっていないものなら、電子レンジでラップをかけずにちんするだけでよい。この際タレや脂が多少飛び散るのは覚悟の上である。冷蔵や冷凍を経てしっかり冷えかたまってしまったもの、蒸しを入れていない焼き方のものは、オーブントースターにアルミホイルを敷いて、焼くだけでよい。好みによってはわずかに酒を振りかけてから焼いてもいい。冷凍のものも、冷蔵のものも、室温に戻してから焼くのがベターである。これでうまく食べられないうなぎというのは、元々まずいうなぎに他ならない、と放言してしまおう。本当のことである。 さて、京都にはうなぎ屋がほとんどない。京都の中流のひとひとは、夏場、これは土用丑の日に限らないけれど、川魚屋で焼いてもらったうなぎを買い求めて家で食べていた。要は中食としてのうなぎが根付いていた。かさましするときには、柳川鍋。玉子とごぼうも一緒に食べるので、バランスもいい。かつおぶしでだしを引いて、1カップほど。ここに酒と薄口醤油、みりんを各大さじ1、砂糖を大さじ2分の1加えて割下を作る。ごぼうの薄いささがきを加えて、火にかける。煮たったら3分ほど弱火で煮て、そこへ九条ねぎをそぎ切りしたものを少し加える。同時に、オーブントースターで温めておいたうなぎを幅2から3センチくらいに切って加え、1分ほど煮たら火を止めて、溶き卵をそっとかけ回す。最後に三葉を乗せたら完成。リハビリ料理にはこれくらいがちょうどいい。 柳川鍋にすると半分のうなぎでも立派な一人前になる。ほかにもおかずがあれば二人前とも言えるだろう。今となってはうなぎが高いから、こ

北九州の餃子

餃子の食べ比べにあちこち出かけたので、メモとして貼っておくだけ。餃子は魚とちがって、何も考えずに、ただいたずらにうまいうまいと食べるだけだから、気楽でいい。北九州は戦後大陸から引き揚げてきた方がたくさんいらっしゃった影響もあって、餃子屋が多いらしい。なお、鐵の町だったから鉄板、鉄鍋だというのは、いかにもこじつけではないかと思う。そんな変なことを言わずに、ただあるものを許容すればいい。しかし一方で、ただあるだけのものを記録しておくのは意外に難しい。

鯛めしをつくる

鯛めしという料理は、なぜだか「男の料理」の代表格として語られることが多いような気がしている。そもそも、男の料理、女の料理などという考え方自体がナンセンスだ。昔話で言えば、たしかに川魚や生魚、野鳥の料理は男の仕事、それ以外が女の仕事という時代はあった。それでも、その本質的な部分はいまどきに語られる「男の料理」とは異なるものだ。 さて、鯛めしにはいろいろな作り方があると思う。ここでは私が日頃やっている方法を書く。まずはタイの切り身に降り塩して、普通に塩焼きを作る。少し焼きすぎくらい焼いてよい。焼けたタイを荒々ほぐして、小骨をきちんと取り除く。背骨の付近の、いわゆる中落ちにあたる部分はとらない。またカマの部分については表面だけ身をとって、あとはあまりいじくらない。ほぐした身は冷蔵庫に。背骨と背鰭(の担鰭骨付きの部分)、カマのところは再びグリルに入れて、表面がチリチリと焦げてくる、その寸前くらいまで枯らすように焼いておく。焼けたら、血管や腎臓といった、黒くなる部分はできるだけ外しておく。米をといで、水を3時間以上吸わせる。このとき、水の分量は適量よりもわずかに少なくする。調味料を入れて分量ちょうどにするためだ。そこへ薄口醤油大さじ1、みりん小さじ1、酒大さじ1を加えて混ぜる。昆布の表面を水でよく洗い、米の上に乗せ、さらに焼き枯らした骨、カマ、あとは実山椒をぱらぱらと加える。これで普通に炊飯する。 米が炊けたら昆布と骨類を取り出す。骨に付いている身は柔らかくなっているので、これをほぐしとり、冷蔵庫に入れてあったほぐし身とともにご飯に加えてよく混ぜる。混ぜ終えたら梅肉を梅干し1個、ねぎを刻んでまた混ぜる。味を見て、塩気が足らなかったら少しだけ塩を振る。 魚の塩焼きを加える都合上、塩加減の調節が難しいこの料理。だったらもともと、最後に塩加減を調整できるようにしておけばいいのである。酒と山椒、魚、そしてお焦げの香りが際立つ鯛めし。普段から作ろうとは思わないけれど、いいタイが手に入ったら作りたくなる、そういう料理だ。

名古屋郊外の外食という文化のこと

私は名古屋市の郊外にある古い町で育った。土地勘のある方ならばお分かりだろうが、古くは宿場町、最近では軽工業で栄えた地域だ。私の家は決して裕福ではなかったけれど、貧しいわけではなく、父方の実家は"元"裕福な家柄で、よくも悪くも見栄と建前で生きているようなところだった。要するに中流である。まだファミレスもコンビニもなかった時代に、この地域の外食というのは特別な意味をもったものだったように思う。外食というのは明らかにほとんど、ハレの日の食事と同義の言葉であって、明らかに非日常が意識されたものだった。一番頂上にあるのは、割烹や寿司屋であり、こういうところは冠婚葬祭にも使われることがある。その次にうなぎ屋。天ぷら屋。とんかつ、ステーキが同じくらいで、その下にそば屋や焼き肉屋。そういう明確な格付けがあり、またそれら以外のものは外食と見なされていないと言っても過言ではないという有り様だった。すなわち、うどん屋やラーメン屋、定食屋というものは、めったなことのある日に行く外食には含まれておらず、逆に普段の食事で行くのはもったいないので、行かないということになる。そういう店に行くのはサラリーマンやタクシー運転手だけだという認識で、実際昔のうどん屋は昼しか営業していないところが多かったのだ。中華料理屋というものもあったけれど、郊外におけるそれというのは、いくらか侮蔑的に見られてしまう存在だったように思われる。さて、では、これは地方に限ったことであったかというと必ずしもそういうことではなく、名古屋に行けばデパートやホテルのレストラン(必ずしも洋食に限らない)が出てきて、カップル(ここではアベックと書くべきか)向けの店や飲み屋もあったけれど、やはり日常の外食というのはうどん屋、ラーメン、定食屋、お好み焼き屋くらい。その数も決して多いわけではなかった。福岡に来て驚くのは日常の外食産業の豊かさで、明らかに外食産業の立ち位置というか、土壌そのものが異なるように思う。そもそも、名古屋には飲み屋というものが歴史的に少なく、明確な飲み屋街が発達していない。栄があるじゃないかという人もあるけれど、かつてのあれは飲み屋街とは言えない。外食には一定の抵抗感に近い感覚があり、それは飲み屋に関しても同じであって、本当にここ一番のときにだけ酒を飲んでいた地域なのだ。サラリーマンの情報交換は飲み屋

メイチダイのマース煮

このところマース煮をよく作る。マース煮ばかりだと思われても仕方がないけれど、この料理はあっさりとしていて、簡単で、おいしい。こんなに夏向きな料理もないと思う。マースというのはウチナーグチ(沖縄語)で言うところの塩のこと。塩と泡盛と水だけで煮る、素朴な料理だ。基本は水1カップ半に、泡盛を4分の1カップ、塩を小さじ1ないし1.5杯。これを煮立てて、切れ込みを入れた魚を加えて、強火で火の通るまで煮るだけである。味見してみて、少し塩気が濃いなーと思うくらいでちょうどいい。なお島の海塩を使うなら、普通の食塩とは塩辛さがちがうので分量も当然変わってくる。強火で煮るのは、泡盛のアルコールによって魚の臭みを飛ばすのと、身の中にできるだけ塩気を染み込ませないようにするためで、弱い火だと生臭くて塩辛い料理に成り果ててしまう。塩気はあくまで纏うものである。このマース煮、一緒に色々と煮ることが多い。私は生姜(新生姜ならそのものも食べられる)の薄切りを加えることが多くて、ときににんにくも入れる。ゴーヤーやツルムラサキ、ししとうなどの野菜と炊き合わせるのもいい。苦いのが得意ならフーチバー(ヨモギ)もいい。少しだけクセがある、またはにおいのあるもので、早く煮上がるものが好ましい。島豆腐、なければ固い木綿豆腐や、厚揚げと煮るのもいい。ほかにはアーサー(アオサ)や、ワカメをさっと入れて煮るのもうつくしい。 この日はメイチダイに合わせて、ゴーヤーとツルムラサキ、木綿豆腐。メイチダイに5割、火が通ってから豆腐とゴーヤーとを加える。ツルムラサキは本当に最後に入れないと、くたくたになってしまうし、汁がすっかり紫色になってしまう。ツルムラサキというのにつるまで緑色のものばかり目にするけれど、紫のほうが変化があって楽しい。ゴーヤーは苦いのが得意でない場合には、冷蔵庫で少し熟させてから使うといいだろう。 マース煮にしてうまいのは、まずエーグワァーやカーエー。グルクンやクルキンマチのように、癖のないふわふわの肉質のものもいい。あとはミーバイやアカジン。意外と悪くないのがマンビキ。普通にアジ科の魚でやるのも悪くない。アカナーなどは醤油で煮た方がうまいと思う。意外にいいのがシジャーのような魚。ムルーやトカジャーはにおいが気になるのであまりよくない。魚の名前はすべてウチナーグチであるので、気になる方は調べてみ