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11月, 2019の投稿を表示しています

オーソドックスなソーキそば

沖縄で単にそば、あるいはすばと言えば、そば粉を使った日本そばではなく、小麦の麺をかんすいで茹でたもののことを指す。かつてはガジュマルの木灰で茹であげていた。今や、メジャーな沖縄料理のひとつであって、沖縄の人々にとっても欠かすことのできないものとなっている。 さてこのそば、かつては生麺を買ってきて、残りのものは家で作られることも多かったようだ。最近では炊いたソーキや三枚肉も、インスタントの汁の素だって売られているから、手軽にそばを作ることができる。基本的に昼間しかやっていないが、そば屋もあちこちにある。しかしここ福岡ではそのような恵まれた環境は残念ながら実現していないので、ほとんどを自作することになる。 まずは一番時間のかかるソーキの煮物だ。豚の軟骨あばら(ソーキ)を甘辛く煮たものである。まずはソーキを沸騰した湯に放り込んでしっかりと湯通しする。中まで火が通る必要はないが、少し長い目に湯通しして、冷水にとる。鍋に湯を沸かして、濃口醤油と黒糖を1対1の割合で大さじ3ずつ入れ、さらに泡盛を2分の1カップくらい。これでソーキを10枚煮る。ほかに長ねぎやしょうがの薄切りも一緒に煮る。私はシャトルシェフを使っているので、まず沸騰させてあらかたのアクをとり、蓋をして半日置く。これを3回繰り返す。あとは汁気が少なくなるまで、中弱火で煮詰める。これだけでいいのだから実に簡単だ。はじめの1回は味付けをしないで、水炊きというか泡盛炊きをして、2回目から味付けするのもよい。豚の煮汁をたくさん作っておくと、その煮汁をスープに使える利点がある。 さてそのスープ。現代のそばのスープの決め手はかつお節にある。普通にだしを取るときの倍くらいの量(もっと多くてもいい)のかつお節を水から中火で炊いて、沸騰しそうになったら火を弱めて2、3分炊く。かつお節を濾したらそこへ豚骨スープの素を小さじに1杯。うすくち醤油を小さじに1杯。あとは海塩少々で調味する。豚骨スープの素がなければ、鶏ガラスープの素でも悪くはない。なおこれは1杯の分量。 生麺はさすがに買えないが、乾麺なら手に入る。麺を茹でてスープと合わせ、ソーキ、好みでねぎ、紅しょうが、昆布などを盛る。昆布は結び昆布としたらいいけれど、面倒なら結ばなくていい。うっすら甘い汁で味つけておくといい脇役になる。この日は出し殻として残っていた干し椎茸も乗せてみ

香川のあん雑煮

私はもちが大好きだ。もちが好きなので年中焼きもちを食べているし、もち好きが高じて各地の雑煮を作るようになっている。雑煮を再現する、というのはまことに難しい。これは雑煮の作り方が家庭や世代によって層状に異なることや、店で食べることが難しい点に集約される。とはいえ、新旧の文献を読み込み、地域の古老から聞き取り作業を積み重ねての雑煮作りは楽しい。 さてたまたま立ち寄った古い商店街にて、丸もちとあんこもちを購入した。この機を利用して、香川の雑煮、いわゆる餡もち雑煮を作ってみることにする。いりことかつおで出汁を取る。家庭によってはいりこのみであったり、かつおのみであったり、かつおと昆布であったりするらしい。昆布を使うのは比較的新しいとみていいだろう。大根、にんじん、里芋の皮を剥き、厚さ1.5センチくらいに切って、すべて下茹でする。大根とにんじんは湯に通すだけでいい。里芋はもう少し厚くていいけれど、こちらは火がほとんど通るくらい下煮する。ぬめりを落とすためだ。これらの具を出汁に入れ、火が通るまで煮てから白味噌を溶く。白味噌はやや甘くきめの細かいものがよく、どこでも手に入るものであれば西京味噌でよい。もちろん香川の味噌を使うのが一番よい。今回はもっとも味の近い、広島はますやの白味噌を使用した。分量は出汁を3カップに味噌大さじ3。要するに水1カップに対して味噌大さじ1でよい。他の味付けは不要。あんこもちは別の鍋に湯を沸かして、あんまりぐらぐらさせないように、静かに煮る。お椀の底に煮えた大根を敷いて、その上にあんこもち。味噌汁を静かに注いで、にんじんや里芋を備える。最後に青海苔とかつおの削り節を添える。この青海苔は吉野川のスジアオノリがいいそうだが、普通のアオサ(ヒトエグサ)を砕いてパラパラとやる。 食べてみると青海苔、かつお節、白味噌のいずれもが欠けてはならない、絶妙なバランスのうえに立地していることが分かる。もちの中から顔を出すあんこは、控え目な塩気のいくらか甘い味噌汁と、塩気をまとったかつお節、そして青海苔の風味によってまとまりを演出する。味噌の塩気がきつすぎると、あんこの甘味は完全に宙に浮いてしまうだろう。いりこのだしと、青海苔、かつお節の出合いは、瀬戸内の豊かな浜文化を物語るものだ。 あんこもちと味噌さえ手に入れば誰でもできるものなので、ぜひ試してみて

アマダイの頭で炊き込みごはん

しばらく更新が滞ってしまった。というのも、からだの調子が悪くなってしまったからで、熱を出して丸1日寝て、さらにそのあとも数日の不良がつづいた。いつも無理をして生きているので、気がゆるむとこうして体調をくずしてしまう。しかも、季節は決まって秋である。 さてそんな病の日々も終わり、ゆるゆるとリハビリ的な料理をはじめる。冷凍庫にアカアマダイの頭がふたつある。たいへん質のいいものを卸しているところにちょうど出合って、余っていた頭だけを分けていただいてきたものだ。わずかに塩を振って丸一日置いてから、冷凍しておいたもの。元々は吸い物にでもするつもりだったものを、炊き込みごはんに使うことにした。 頭は自然解凍させたらふたつに割り、しっかり火が通るまで焼く。特に皮のほうは焦げ目がつくくらいまで焼いた方がいい。米三合をといで、水気をよく切る。そこへ水へ浸しておいた干し椎茸と昆布の戻し汁を入れ、うすくち醤油を小さじに1杯、酒を大さじ1杯加えて、さらに水を加えて分量が2.8合くらいになるようにする。このうえに昆布、干し椎茸、アマダイの頭を並べて、ふたをする。 すぐに食べるならこのまま、あるいはがまんできるのなら30分くらい置いてから炊飯したらいい。この日はもう夜も遅かったので、翌朝のために炊飯予約をして寝た。 炊けたら上に乗っている頭、昆布、干し椎茸を取り除いて、刻んだゆずの皮と小ねぎとを加えてさっくりと混ぜる。そこの方にはいい塩梅でおこげができているはずだ。 この炊き込みごはんには塩気どころか、ほとんど味付けをしていない。卵を乗っけて、与那国の海塩をさっと振って食べる。炊き込みごはんに甘辛くないといけない道理はない。なにかものと一緒に炊けばそれでいい。味付けのしっかりした鶏五目や松茸ごはんもいいけれど、たまにはこんなあっさりしたのもあっていいと思う。福岡は比較的アマダイの流通量が多い。まちの魚屋でアマダイを捌いていたら、そのアラを安く分けてもらうといいだろう。もちろん、身ごと買えるに越したことはない。

サンマの茶漬け

今年はサンマが不漁だ。今年に限らず、ここ数年不良傾向が継続している。その理由はサンマ資源そのものがやや縮小していることや、形成される漁場(魚群)が日本からはかなり遠い位置にあることで、他国による乱獲に主原因を求めるのはおかしい。そうは言っても、マイワシが高級魚となった90年代に、庶民の食卓を支えたのは他ならぬサンマであるし、この魚が高値になってしまったことを嘆く向きにも同情の思いがある。加えて、サンマが日本列島に寄りつかないことは静岡や熊野といった、南日本での枯れサンマ(脂の抜けたサンマ)利用の文化に大きな打撃を与えていることも憂慮している。 私はサンマが好きだが、年に何度も食べたいとは思わない。あくまで季節ものとして、年に1回食べられればいい。漁場が近付いてようやく、サンマの値段が落ちてきた。昨年は11月に満点のサンマを見つけて買ったのが、今年はどうにもこれだというものに巡り逢わない。仕方がないのでどんぐりの背比べの中で、多少まともな2本入りのサンマを買う。サンマのよしあしは、主に顔つきと背中のかたちで判断する。 2本のうち、1本は75点のサンマだった。私は強めに振り塩して、10分ほど置き出てきた水分を軽く拭き取って(この際塩も少し拭き取る。完全に拭き取ってはいけない)、焼くのが好みだ。さてもう1本はそのままで塩焼きにして食べるのでは芸がない。そこで茶漬けにしてみた。 塩焼きしたサンマを頭、骨、身に分け、半身と頭とをご飯に乗せ、さらに白ネギを少し刻んで、あとは熱い茶をかける。味付けはサンマの味と、塩気だけ。サンマの脂と茶の組み合わせは驚異的で、飯抜きの茶漬け(これなら茶かけだろう)でもおいしい。茶漬けというとどこか安っぽい、下な雰囲気が出てしまうけれど、一人暮らしのおやつにはちょうどいいし、朝ごはんとしてもいいだろう。サンマは焼き立てである必要はなく、前の晩に焼いておけばよい。 熊野には枯れサンマを使った丸干しがある。この脂の抜けた塩気の強いサンマはこの地域の朝食の定番だが、もちろんこれを茶漬けにするのもうまい。今年はサンマが寄ってくれるといいな。大漁祈願。

煮あなごでまぜごはん

そろそろ年末が近い。年が明けたら冷凍庫にはたんまりと餅をためておくことになるので、冷凍庫の整理料理を始める。 冷凍してあったアナゴの切り身を融かして、煮あなごでも作ろうかと思い立つ。アナゴは腹をすいて骨をとり、皮を上にしてまな板に並べ、その上にキッチンペーパーをのせる。熱湯をたっぷりと回しかけたらすぐに冷水にとって表面の汚れを落とす。鍋に水、うすくち醤油、たまり醤油、きび砂糖、酒、煮出した緑茶のパックを加えて、沸騰したら火を止め、すぐにアナゴを加える。アナゴに火がだいたい通ったら一旦バットに取り出し、熱いのを堪えながら沿った身を平たくする。冷水をわずかに流しながらやるといい。そうして再び煮汁の中に戻し、沸騰しないごく弱火で炊く。煮あなごのことはいつかきちんと書くので、今日は分量等々細かいことなし! さてこれを煮あなごとして食べるのであれば、あっさりと煮上げたものに、煮汁を煮詰めたツメをかけて食べる。ただ、どうにも気乗りしないので、思い切ってしまいまで煮付けておいて、まぜごはんを作ることにした。 いわゆるあなごめしは、炊き込みごはんにも、まぜごはんにもそれぞれに利がある。粒の立ったものを楽しむなら、またごはんとアナゴとを独立して楽しみたいならまぜごはんだ。このまぜごはん、酒を振りかけて白焼きしたものを使うのもとてもおいしい。醤油のつけ焼きもとてもよい。今日は煮あなごを使う。煮汁を拭いてアナゴは短冊に切る。幅は太くていい。細かすぎるのはいけない。彩りにインゲン豆を塩茹でし、5ミリ幅くらいにする。あとは太いネギの白いところをごく薄切りして、香り付けに加える。また細かい鰹節もアクセントに加える。加えすぎてはいけない。これらをネギ、インゲン豆、アナゴの順に、炊きたてのご飯に加えて混ぜ、最後に鰹節を振ってさっくりと粗く混ぜる。これにて煮あなごのまぜごはんができる。 好みできざみ海苔を振りかけてもいいし、また紅しょうがを刻んでというのもいい。アナゴを煮るときに、実山椒を加えるというのもまた面白味がある。ネギを入れすぎるとまとまりがなくアナゴの風味も台無しになってしまうので注意したい。

ミキユーのマース煮

ミキユーは沖縄のひとびとにとって、身近な淡水魚のひとつだ。沖縄の川ならどこにでもいる、本土でいうところのフナのような存在(沖縄にもフナはいる)がこのミキユーこと、オオクチユゴイである。 沖縄島の南部では河川環境が悪化し、また大量のティラピアがいるので目につきにくいが、やんばるの清らかな流れにビュンビュン素早く泳いでいるのがこの魚。大きいものでは50センチ近くになるというが、ふつう川で出会うものはせいぜい30センチほどのものだ。神経質だが、夜間は餌釣りでも釣れるし、川で網を張ると捕れることもある。 この魚の味に関する記憶は、当時の魚類相調査での壮絶な疲労によって完全に抹消されていた。記憶に残らない魚の味というのは、得てしてあまりうまくなかったか、平凡だったということが多い。この魚をたまたま入手したので、やんばるのおじーが昔食べていたというマース煮にしてみることにした。 解凍したものの鱗は硬く、肉は比較的柔らかい。あまりうまい気はしないが、腹を割くとしっかり脂の巻いた消化管が出てきた。エラとハラワタを取り除き、切れ込みをいれる。鍋に水2カップと、泡盛4分の1カップ、そこに沖縄は与那国の塩を小さじに1杯加えて、沸騰したらミキユー2匹と厚揚げ、生姜の薄切りを2枚加えて強火で煮る。マース煮はとにかく強火が大事。あくが出てくるのをできるだけとり、あまり出なくなってきたらシカクマメを放り込んだ。 この魚、味にては上質なヒラスズキのようで、とにかく非の打ち所のないうまさだった。煮汁もうまいので、ご飯にかけて食べたいくらい。しかしこれも、やんばるの清らかな水あってこそのもので、南部の生活排水によって汚染された川のものではこうはいかないだろう。 沖縄島の民はかつて、川の生き物を積極的に利用していた。そういう時代の記憶を知る者も、今はどれほど残っているのだろうか。

沖縄そばに結び昆布

疲労困憊の沖縄滞在だった。滞在中には首里城の正殿が焼け落ちるという、まことに心の痛い大事件が起きてしまった。首里城自体はこれまでに何度も焼けていて、前回は戦争のとき。ウタキの一部をなす首里城が焼け落ちたとき、ウチナーンチュの思いはいかようだったろう。そしてそれがこの21世紀に再来してしまった。悪夢としか言いようがない。 さて、そんな沖縄の滞在。今回は本当に忙しいスケジュールで、まともに沖縄のたべものを楽しむ余裕はなかった。そんな殺伐の中にひとつの華となったのがこの沖縄そばだった。 沖縄そばは言わずと知れた沖縄の郷土食だ。これを食べられる店は数多あり、その味も実に多様である。麺の形も地域ごとに異なる。この写真のものは沖縄島北部の典型といえる、平たい麺。南部で食べるそばには練り物が乗っていることが多いが、ここではソーキと三枚肉だけだった。そこにねぎ、紅しょうが、そして結び昆布だ。 沖縄には昆布は生育しない。しかし、沖縄は全国屈指の昆布の消費地である。沖縄は北前船による交易の中継地となり、大量の昆布がやってきていた。ここに現在の消費の理由がある。沖縄そばのつゆには大量の鰹節を使うので、鰹節の消費量も多い。異国の地沖縄において、鰹と昆布の消費が多いだなんて、なんだか不思議なかんじがする。この結び昆布はうっすら甘く煮付けられているもので、やみつきになる組み合わせだった。 蛇足になるが古い沖縄そばは豚のだしだけで、鰹節を使わなかったらしい。そういうものもいつか食べてみたいな。

ホテル・ファミレス納豆の世界

ホテルの朝食や、ファミレスに出てくるカップ納豆にも、勢力図が垣間見えてたいへんおもしろい。たまたまここ最近いくつかの納豆を食べたので、写真だけ載せておく。

志摩のてこねずし、こわかしに

私は大学生活の半分以上を三重県志摩で過ごした。研究に没頭しつつも、志摩の文化を隣人として感じ、理解することにつとめた時期でもあった。 指導教官の退官記念懇親会をすることになったので、久しぶりに志摩に滞在した。私はサブの調理役として、てこねずし、そしてこわかしにを作る。 てこねずし、てこねは何度も申し上げているとおり、志摩人のソウルフードであって、単なる漬け丼ではない。この日はソマ(ヒラソウダ)の小さいものを使って、てこねをする。「あるもん」を使って作るのがてこねなのであって、それはときにカツオであったり、イサキであったり、このソマであったりする。ご飯は少しだけ硬めに炊いて、炊きたてのご飯に対し、通常の酢飯を作るときに使う合わせ酢の半量分を合わせる。規定量どおりだと、ご飯がべとべとになってしまう。なお、合わせ酢には塩を入れないで、かつ砂糖を多めに入れると志摩風になる。ここに漬け汁を適量混ぜ合わせて色を付けていく。色みがついたら人肌程度に冷まし、ソマの漬け身を混ぜ合わせる。最後に玉子と大葉を散らす。ここに刻んだ紅しょうがをやってもいい。 さて、こわかしに。これは小明石煮が訛ったもの。和歌山のみの郷土料理だと思われているが、三重県でも作られる。志摩ではウツボの開き干しを刻んだものが売られているから、これを買う。まずはじっくりと素揚げにして、小骨が気にならない程度にする。パリパリか、そのわずかに手前の食感にまで、我慢強く仕立てる。一旦冷ましてから、沸騰させた湯に30秒ほどくぐらせる。これで余計な油と、塩味を少し落とす。小鍋に醤油、砂糖(たいてい白砂糖)、酒、水をわかし、ここに刻んだ針しょうがを適量加えて、中強火でウツボを煮る。ウツボには元々の塩気があるから、醤油は気持ち少な目でよい。20分ほど煮たらざるにあけ、冷ます。 志摩ではウツボはこのこわかしにの他、素揚げ、塩干し、味噌汁で食べられている。冬場、伊勢エビの網干場に行けばひらひらと寒風に泳ぐウツボの開き干しを目にすることができる。