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9月, 2020の投稿を表示しています

沖縄のいゆじ その5

 だらだらと続けてきた沖縄のいゆじ、も今回で最後になる。今回の沖縄は、あくまであそびとして立案し、実現したものだ。これまでの沖縄への旅はすべて、研究、仕事が中心だったので、そのときにできなかったことはできるだけした。うつわ屋に好きなだけ行き、登り窯のかま焚きを見て、またあらゆる直売所で買い物をした。できなかったのはいくつかの飲み屋への訪問である。 さて、今回もっとも実現したかったのが、ターイユシンジーこと、フナの煎じ汁である。これこそ、沖縄にやってこないと完成の難しい料理ではないだろうか。このシンジ-は熱が出たとき、風邪を引いたとき、またその他の不調時に沖縄の、少なくとも中南部のひとびとが口にしてきた民間の薬である。この主役がターイユことフナであり、またニガナーなのだ。那覇には今もターイユを売る店がある。しかしこのターイユは果たして沖縄のひとびとが食べてきたフナと同じものなのだろうか?沖縄島南部のフナは過日の放流行為によって交雑が進み、在来の血を大きく損じてしまっている。私はフナの味は系統によって異なると考えているので、これでは真のターイユシンジーを食べたということにはならないと思う。そこで、沖縄島の在来の可能性がきわめて高い某所でフナを必要最小限採集し、この料理に使うことにした。 ターイユシンジーの作り方は至って簡単なものだ。まずはフナを泡盛に泳がせて、動かなくなるまで待つ。小鍋にフナの全身がかぶる程度の水を加え、そこへニガナーをふたつかみほど、長さ5センチほどに刻んで加える。フナは鱗も、内臓も一切とらない。内臓の病には内臓ごと食べることで対処しようという考えである。 これを弱中火で火にかける。強火にするとフナの体表がボロボロになってしまうから、弱くする。沸騰してきたらはじめのアクだけを取り除き、弱火に落として1時間から1時間半ほど煮る。はじめは灰色がかった透明だった煮汁がポタージュのように濁って濃厚になり、ニガナーの葉から溶け出した色素が混ざって黄色っぽくなっている。硬いニガナーの葉ももはや柔らかい。最後に塩をひとつまみ加えて調味する。 満身創痍となりつつあったこの会のメンバーにとって、ターイユシンジーはいかなるものであっただろう。ニガナーと、胆汁による苦みは強烈だけれど、フナの持ち味のうまみがとても強く、これが長くつづく。それでいて生臭い風味がかけらも感じられ

料理の楽しみ

 料理の楽しみ、というのがある。長く料理をつづけていくためには、とにかく楽しむことが重要だ。 楽しむためには、ストレスにならない程度に何らかの制約をつけてやるのが簡単だ。よくあるのは1ヶ月何円以内でやる、みたいなもの。限られた金額の中で、いかにおいしく食べるか、さながらパズルのような食材との駆け引きを楽しんでみる。そういう書籍も出ているが、こればかりでは気持ちが苦しくなる。だいたい、1ヶ月スパンだとミッションをクリアできたという達成感を味わえる頻度が低すぎる。かといって、1日ごとに決めてしまうと縛りがきつすぎて疲れてしまう。 たとえば、夕食には必ず汁物をつける。これを決めると、ミッションをクリアするだけではなくて、献立を決めるのが楽になるという利益を得られる。献立というのは無限に考えられてしまうから、ときに考えることに疲れてしまう。なので、汁物を必ずつけると決めてしまえば少なくとも一品、選択の幅がぐっと狭まってくれる。 このように、一定のルールを決めることは選択の苦しみから解放してくれる。フライパンひとつでできるものにする、というような、道具で制約をつけるのもいい。私の場合、夕食は30分以内でできるもの、と決めておいてある。ただし、魚料理についてはこの限りでない。時間のかかるものは、夕食の時間だけに作らないで、あらかじめ下準備を済ませておくようにしている。 ルールを決めると、不思議とこのルールを破りたくなる瞬間が必ず訪れる。そんなときは大胆に、ためらいなく思い切りルール破りしてやる。そうすると、言い知れない解放感、自由な発想の気持ちよさで、とても料理がはかどる。いつも自由よりも、こうしてときどき、たまに自由があった方がうれしいのが人間の不思議なところである。要するに、飽きないようにやる、ということが大事なわけだ。 私の場合、地域の古い味付けを再現したりすることもあり、そういうときには徹底的に脳みそを使っている。その分息抜き的な料理も必要で、バターしょうゆごはんとか、トンテキとか、パスタ、こういうものが息抜き要員となっている。カレーもひとつの息抜きである。カレーはきわめて単純な、期待どおりに応えてくれる足し算の料理だ。足し合わせたとおりの味になる予定調和感、そきてこれを比較的手軽に味わうことができるのはカレーならではかもしれない。 もちろん、ときどき料理を作らないよう