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コイ料理二題

 コイの料理の豊かさ、奥深さにはじめて触れたのはもうずいぶん昔のことで、長野県の伊那でのことであった。引き出しとして多様すぎるコイの料理はふつうの淡水魚とはちがう、と思ったものだ。フナとコイは見た目こそ似てはいるけれど、肉質は全く異なるので、同じようにフナを料理してもうまくいくとは限らない。 ここで取り上げるふたつの料理は、なかでも比較的一般的なもので、手間も少ないもの。竜田揚げと味噌漬けである。コイの料理は、先にも書いたけれどとにかくコイそのものの質がとても重要で、これに大きく左右される。基本的には養殖ゴイを選ぶべきで、これで一応の間違いはない。型も揃っている。天然ゴイは天井から底辺まで、ありとあらゆるものがいる。コイは川底を始終吸い込みつづけて生きているから、川底そのものの味になる。つまり、都市河川やどぶ川のものは絶対に食べてはいけない。ところが、一番うまいのは養殖ゴイではなく天然ゴイである。特定の場所にいるコイが極端にうまいことがあるのだ。またそのうまいサイズというのは、必ずしも養殖ゴイの基本的な出荷サイズと同じわけではない。 さて私が病みつきになってしまった水域のコイをいただいたのでこれを使う。6キロほどの大きなコイだ。しかし、普通は2キロほどの養殖ゴイだと思う。コイは生きているものを買ってきたら、頭を叩いて気絶させる。包丁の背を使って、体を右向きにしてから、目の少し後ろあたりを何度か叩くのが効果的だ。気絶したらエラの腹側、接続部のあたりを切ってよく血を出す。頭と背骨のつなぎ目にも刃を入れておく(完全に切れなくていい)。 血が抜けてきたら動かないことを確認して、尾の方から薄い包丁でうろこをすき引きする。小さい柳刃のようなものがやりやすい。コイは体表が滑るので、頭のところをタオルで押さえながらやるといい。なおこの滑りはすき引きを始める前に粗塩を多めに振って、たわしで擦り落としてもいい。 すき引きし終えたら、体の中心ではなく、少し右側にずれたところから刃を入れて腹を開き、中の内蔵を取り出す。胸鰭の腹側やや後ろから、尾方向に向かって開くのがやりやすい。この際苦玉をつぶさないように注意する。苦玉はたいてい胸鰭から鱗3枚の位置にある。内臓が出たら腹のなかを水を流してよく洗い、それから肉を適当におろす。頭を落として、体を使い道に合わせて小さくしていく。竜田揚げも味噌漬け

何年かぶりのこいめし

 大昔の木曽川下流域のひとびとにとっての人寄せ料理といえば、すしを除けばかしわめし、こいめし、ぼらめし、であった。それぞれがかきましとか、いばらめしとか、こいぞうすい、ぼらぞうすいという呼び名もあるけれど、要するにすべて炊き込みご飯である。炊き込みご飯は一度にたくさん作るのが簡単で、手間がかからない。立田とか、養老とかいう土地では川魚屋や漁師の家には必ずコイが活けてあったので、それをなにかあるときに買い求めては料理していた。いまの感覚では分かりづらいけれども、かつてコイは比較的珍しい魚で、大きな川や池に限られているものだった。 さて、このコイを使った炊き込みご飯がこいめしだ。かきましとも言うし、いばらめしとも呼ぶ。これは炊き込みご飯のなかに混じる小骨がいばら(棘)のようだから言う。通常は大鍋にいっぱいに作るもので、私もかつては10人分、一升で作っていたけれど、現在の我が家では三合分も作れば十分だ。 コイは大きなものの方がうまい。ただし、大きくないといけないわけではない。いずれにしても、いいコイを使うべきだ。鱗を落としてあるコイの肉250グラムを2センチ幅に切る。ゴボウ小半分を皮を洗ってからささがきにする。好みでにんじんも少しばかり細切りにする。しょうが15グラムは皮つきのまま、あとで取り除きやすいように大きめに切っておく。 鍋に濃口醤油(甘くないもの)50ccと水2カップ、酒大さじ1を加えて、煮立ったらコイとごぼう、しょうがを加える。あくが出るけど本来はとらずに、しかし気になるなら取りながら、中強火で炊いていく。汁が減り始めたところでざらめを小さじ1加える。これで15分も炊くとほとんど汁気がなくなる。だいたい汁気が三分の一くらいになるまで炊いていい。 米は洗って、水を2.5合分になるまで加えて、20分程度吸水させる。炊飯器の早炊きモードにして、10分経ったら煮ておいたコイとごぼう、しょうがを加えて、すぐにまたふたをする。この際、煮汁は少し鍋に残す。炊飯が終わる、つまり蒸らしが終わる3分前にふたを開けて中の具をかき混ぜ、そこに先の鍋に残しておいた煮汁に濃口醤油大さじ1.5杯加えたものをかけ回す。すぐにまたふたをして、5分置いたらできあがり。 好み次第でねぎをちらして食べても、山椒を振ってもいい。ときどき小骨が出てくるから、これを注意深く取り除きながら食べるのだ。しかし

フナミンチを買う

 岡山にて買うべき食材のひとつにフナミンチがある。フナを骨ごと叩いて、ミンチにしたものだ。これが店頭に並ぶようになると、いよいよ冬を迎えた実感がわいてくるのだという。 岡山のひとびとは冬になるとこのフナのミンチを使ってもっぱらフナ飯を作る。また、飲み屋の〆にフナ飯をこれこれ、と言って食べる。その年齢層は少しずつだが高年齢化していて、そこには生きた文化としての退縮を感じざるを得ないところだ。自宅で包丁で叩かなくても手軽にフナ飯を作れる環境になったことで、フナとひととの距離が離れてしまったのではないだろうか。しかし、これは鶏と卵の問題かもしれない。 昨シーズンは明らかな暖冬で、フナミンチがめっきり売れなかったという。これは川魚商にとっては大問題なのだけれど、私などはフナ飯が生活の中に息づいているからこそ、このような変動があるのだと思うし、そこにフナ飯のもつ底力を感じてしまうのだ。 フナ飯は岡山にひじょうに特異な文化のように思われるけれども、魚の身を叩いて、汁にしてご飯やそうめんにかける、という文化は瀬戸内海西部一円に普遍的に存在するものだ。その中に児島湖、またその岡山平野があり、食材としてのフナがたたき身になってきたと解釈すべきだろう。 さて、今年のフナミンチの具合がどうか気になり、岡山から適量を送ってもらう。岡山からなら翌日には着くし、また翌々日になっても品物は悪くならないので安心して買い求めることができる。 フナミンチのよしあしは、だいたい炒め始めた時点で分かる。かび臭かったり、排水臭くない、そしてその分うまみの香りが漂ってくる。こういうフナは当たりである。ところで、昨シーズンに岡山を再訪した折りには、たくさんの話者からフナ飯や川魚、その他の食生活に関する昔話をうかがうことができた。中でも印象的だったのは、今どき店で食べられるものは野菜が多すぎて、フナ飯じゃない!と憤っておられた方で、戦前の生まれ。ではどういうものが正しいのか、ということを聞いてきていたので、この日はその、"正しい"ふなめしを作ってみる。 ごぼう2分の1本はささがきにして水にさらす。にんじん小1本をやや粗い細切りにする。これは少し斜めに削ぐように切ったものを、細くばらばらにすればよい。すしあげひとつを半分に切り、細切りする。 フライパンにサラダ油大さじ3加えて熱し、ここにフナミン