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5月, 2020の投稿を表示しています

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

日本人のふつう

このブログはツイッターのメモとしての役割を担っている。昨日はこんなツイートと、それに対する種々の反応を見た。 https://togetter.com/li/1516776 ツイートの埋めこみってのをやってみたかったのだけれど、うまくいかなかった。ちょうどいいところにまとめられていたのでリンクを転記。 さて、いつからこんな不思議が普通になってしまったのだろう。昨日呟いていたとおり、われわれ日本人もつい最近までは毎日ほぼ同じものを食べていた。昭和40年代まで、毎日ちがうものを食べるというのは明確なぜいたくだった。そこに総中流ってのがあって、みんながそれを目指した結果として、今があるのだ。給食の影響という声があるがこれはあまり正しいとは言えない。今のようにある程度毎日メニューが変わる給食になったのは昭和40年代以降、ほとんど今と同じになったのは米飯給食の始まった昭和50年代以降で、戦後すぐの頃には毎日パンと脱脂粉乳だった。われわれ自身の努力によって毎日ちがうものを食べるという食習慣を獲得したわけだ。1日朝昼晩の3食、あるいは朝食抜きで2食という習慣だって、最近広く定着したものだ。それまでは1日1食というひとびともそれなりにいた。このような食習慣の激変がいま、かえって重荷になってしまっているというのはたいへん皮肉な状況にあると言える。だって、われわれ自身が望んでこれを獲得してきたのだから。 農文協の日本の食生活全集には、取り上げた地域での農事歴などに加えて、各季節の朝食、昼食、夕食の例がたいてい写真付きで紹介されている。これを読んで最初に感じたのは、日常(ケ)の食事例が各季節につき一例ずつしか載っていなかったがゆえの物足りなさだ。最初に受けた印象は、全く平成を生きる日本人としては当たり前のもので、すなわち例が少なすぎる、もっと他にも例を詳しく載せてくれというものだった。しかしそれは全く見当違いな、的外れなわがままだったことがしばらくして分かった。そもそも各季節の食事は一例を掲載すれば十分な多様度だったのだ。現在の給食の毎日の転換を10段階の8とするならば、昭和30年代以前の毎日の転換はせいぜい1か2、あるいは0だ。転換の要因となるのはこの国の気候風土による生物資源の特徴で、天変地異が多すぎるし、平野が少なすぎる。単一のものに依存するとあっという間に飢餓を迎えて

干しアユでそうめん

今年も暑いあついと嘆く日々が始まった。あついのはまことに悪い。まず、からだがつねにしんどくなる。そして、食べ物がすぐに傷む。刺し身を造ってもすぐにぬるくなる。これは酒も同じだ。今年はそこに輪をかけてのマスク生活で、からだの発熱がとんでもないことになっている。 先週は一度あずきがゆと鶏ごはんを作ったくらいで、ほぼ全く自炊のない1週間だった。とはいってもまともな飲食店は開いていないので、牛丼、ハンバーガー、弁当の粗末な生活だ。仕事が忙しすぎると生活が貧しくなる。さらに間の悪いことに体を傷めてしまう。はっきり言ってこれは重労働の反作用である。いい加減にしてほしい。 さて、からだを休める休日にあっても、なにかものを食べなければ生きてはいけない。しかしあついので凝ったことはしたくない。考えた結果としてそうめんとする。干しアユを使った遊び心のあるものだ。 鍋に水3カップ半をはり、干しアユ2、と干し椎茸を大きなの1個分入れて1時間待つ。干し椎茸ははじめから刻んで乾燥させてあるものを使った。中火にかけて沸いたらあくをとり、5分ほどしたら薄口醤油50cc、酒とみりんを各25cc加え、再び沸いてきたら超弱火に落とす。これを30分そのまま炊いて、火を切り冷ましておく。味が濃すぎるようなら水を少しだけ足す。 そうめんは普通に茹でて冷水にとる。うつわにそうめんを盛り、つゆをかけて、みょうが、干しアユ、ねぎをかぶせる。おわり! 好みで梅干しをあしらってもいい。干しアユと干し椎茸の妙味はあつくてもいやみがなくて、あっという間に食べられる。残り汁は出し殻もろとも糖類を加えて煮詰め、ご飯の供、茶請けにしたらいい。干しアユには独特の油焼け香があるから、しょうがを刻んで加える。凝ったことはしない。あついからね。 調味料分量の比率は下記を参照した。 https://life.ja-group.jp/recipe/detail?id=5105

雷魚を食べる その2

前回の更新からずいぶん日が経ってしまった。このブログの更新にあたって自らに課しているルールはほとんどないのだけれど、「通勤時間を使って書く」ということを最低限のルールに設定している。ゴールデンウィークには勤務がなかったし、この頃は在宅での勤務も多いから、意外に更新している時間がなかった。 カムルチーの属するタイワンドジョウ科の魚は、移入地である日本ではその地位をとうに失ってしまったものの、東南アジア、東アジアではいまだ重要な食用魚として君臨しつづけている。国内のマーケットでも見かけることのあるChanna striatusは広く養殖が行われていて、中国や台湾でも養殖(こちらはカムルチーかタイワンドジョウだろう)が行われている。魚市場で見かける機会もそれなりにあるが、なにせ高級魚であるので現地でも食べる機会はそうそうない。ベトナムでは姿料理を思いきって注文したところ、ティラピアが出てきてひと悶着したこともある。私はChannaを注文したんだ!あれは詐欺だったと思う。 養殖のC.striatusには、ほんのりとかび臭さがある。これは養殖場のラン藻のにおいだろう。今回のカムルチーにはこのにおいがない。今こそ、念願の東南アジア料理に挑戦すべきだ。カムルチーの煮付けを作って分かったことには、本種は明らかに汁気のある調理に向いていること、加熱で肉がよく締まることがある。そうとなれば私の頭にはふたつの選択肢しか残らない。トムヤムか、ココナツカレーのいずれかである。 トムヤムクンは今や日本でも知らない人の少なくなった料理だが、タイに行ってみると実にさまざまなトムヤム類があると分かる。具材もさまざま、味付けもさまざまだ。タイでも広域で食べられてきたものはあっさりとしたトムヤムであったのが、現在はココナツミルクと油脂、トマト系調味料を使ったこってりトムヤムが流行りつつあるらしい。たしかに空港の店ではそういうものも食べた。ローカルでは今もあっさりしたものが主流なのではないだろうか。 さてこのトムヤム、エビやイカをメインとすればトムヤムクンであるし、鶏肉ならトムヤムガイとなる。ではChannaの場合はどうなるか?これはトムヤムブラーチョンとなる。トムヤムにはたくさんの材料が必要だ。今回は レモングラス生葉と茎、コブミカン、パクチー根、にんにく、しょうが、唐辛子、万能ねぎ、パクチー、