毛織物で栄えた愛知県西部にはかつて、各地に機屋さんがあった。機屋の主人というのは得てして趣味人が多くあり、豊かな家屋を利用してそば屋を始めたりする。そういうお店が水鶏庵であったり、あるいは日向であったりした。水鶏庵は私がもっとも長く通ったそば、きしめん屋であって、私のそば、きしめんの味のベースは確実にここから始まっている。その水鶏庵も6年ほど前に店仕舞いをされてしまった。店屋はほとんど取り壊され、形だけ遺された文化財の茶室が無惨な姿をさらしている。水鶏庵の名物だったきしころ(冷たいきしめんのこと)や、津島麩の焼き田楽はもう二度と食べられない。
日向というお店は、まだできてから10年ちょっとの新しいそば屋だ。お店にはできてすぐの頃、二度ほど行っただけ。がらんとして客は我々の組だけのようなものだったけれど、そばも、もろこ寿司もおいしかった記憶があって、しかし長らく出かけていなかった。それがふと行ってみたい気持ちになって、予約をとって行ってみた。
うつくしいお庭は変わらず、主人によって手入れされていた。お店で働くひとのなかに、見慣れた顔、聞き慣れた声があった。なんと、水鶏庵で長年勤務されていた方がいらして、思わぬ再会にびっくりするともに、うれしさのあまり涙が出た。ここに水鶏庵の記憶を共有できる場所がまだ残っていた!そういううれしさでもあった。店の主人は代替わりしていたものの、そばの味はとてもよく、しなやかで(以前のものはもっと朴訥としたものだった)すばらしい。もろこ寿司は以前と変わらぬ味でほっと安堵する。しかし、安堵したのも束の間、お店はこの日までの営業だそうで、またひとつ思い出のそば屋を喪ってしまったのだった。
日向というお店は、まだできてから10年ちょっとの新しいそば屋だ。お店にはできてすぐの頃、二度ほど行っただけ。がらんとして客は我々の組だけのようなものだったけれど、そばも、もろこ寿司もおいしかった記憶があって、しかし長らく出かけていなかった。それがふと行ってみたい気持ちになって、予約をとって行ってみた。
うつくしいお庭は変わらず、主人によって手入れされていた。お店で働くひとのなかに、見慣れた顔、聞き慣れた声があった。なんと、水鶏庵で長年勤務されていた方がいらして、思わぬ再会にびっくりするともに、うれしさのあまり涙が出た。ここに水鶏庵の記憶を共有できる場所がまだ残っていた!そういううれしさでもあった。店の主人は代替わりしていたものの、そばの味はとてもよく、しなやかで(以前のものはもっと朴訥としたものだった)すばらしい。もろこ寿司は以前と変わらぬ味でほっと安堵する。しかし、安堵したのも束の間、お店はこの日までの営業だそうで、またひとつ思い出のそば屋を喪ってしまったのだった。