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家庭の味、母の味について

私にとっての家庭の味、母の味といえば、なんだろうかと考えてみる。私の育った家は決して裕福ではなかったけれど、食べ物には恵まれていた。というより、食べ物に対する投資を惜しまない家庭だったとも言える。愛知県の伝統的家庭と同じく、外食で済ませるようなことはあまりなくて、月に一度程度の特別な時以外には、基本的に母の作った食事を食べていた。惣菜は味が濃いからと買うことをきらい、買ってきたもの、いわゆるてんやもんを食べるのは忙しいときのお好み焼きくらいのもので、ほかに惣菜らしいものを食べた記憶がない。しかも、父親が厳しく、我が儘な人だったので、基本的におかずの少ないことを認めないし、夕食には麺類ではだめだということがあって、おかずもなにかひとつだけということはなく、2品以上並ぶのが常だった。私自身の好き嫌いはあったものの、それと事情はどうあれ食事のおいしい家庭で育つことができたのは幸運にほかならない。
さてその家での母の味として、印象深いものは枚挙に暇がないけれど、いくつか挙げてみるとすればなんだろう。小さい頃から好きだったものといえばメカジキの煮付け。とっても薄味で、大きな梅干しが入っている。梅干しは長く苦手な食べ物のひとつだったのだけれど、この煮付けの梅干しは早くから食べられたし、梅干しがないとしまりがないというか、おもしろみがない。豚肉のしょうが焼きもよく食べた。薄い豚のもも肉を使ったもので、味わいはやさしい。給食のしょうが焼きとは全く異なるものだった。豚肉といえば、冬場ごちそうとして食べていたのが豚のもも肉と、大量のほうれん草(これは近所の方からいただく)を使った鍋。汁にはかつおだしのしょうゆの薄味がついていて、ほかに豆腐やにんじんが入ることもあったけれど、主役は肉とほうれん草だった。同じくのごちそうポジションはかも鍋。かも鍋は肉を入れては食べてを繰り返していくうちに、きめの細かいかも油と、かもの味がたっぷり入った黄金色のスープができる。これを少しの塩で調味して、ぞうすいか、または細うどんを入れてしめに食べるのが大好きだった。
他にはぎょうざ。ひだをつけてたねを包み、お腹いっぱいになるまで食べていた。我が家ではにらとねぎとを使っていたように思う。少し大きくなったあとはハンバーグ。四人家族で、全員で1キロくらい食べていたのだ。大きなハンバーグを3個か4個も食べる。つなぎには牛乳に浸した食パンを使っていた。
魚料理の頻度は比較的高くて、週に3食くらい。朝からアジの干物や塩鮭を食べることもあった。塩焼きでよく食べていたのは、タイやヒラメ、イシガレイ、サンマといったもの。これらはちょっと高級なのでアジやサンマの干物が多かった。焼き物ではサワラの西京焼き(長く最強焼きだと思っていた)やブリの照り焼き。父親が釣ってきたアマゴやイワナが食卓にあがることもあった。煮付けの魚は多彩で、多いのは先のメカジキやカレイ類、でも色々なものが煮付けになってきて、その種名を当てるのも子供心に楽しみであった。そういえば揚げ物になった魚はあまり食べた記憶がない。唐揚げや天ぷらになるのはもっぱら釣ってきたアマゴや、オイカワ、コアユ、キス、ハゼ、セイゴ(スズキの子供)といった魚で、他の魚の揚げ物は皆無だった。だから、魚の揚げ物の味は家で覚えたわけではない。天ぷらは比較的頻度の高い料理で、しかし昔はエビが嫌いだったので、天ぷらといえばほとんどさつまいもとかぼちゃしか食べない子供だった。このふたつは今でも大好物だ。父親のいない日には、普段は食べられない料理が食べられる。そういうときは夕食に麺類になることもあったし、おかずの少ない献立もあり。焼きそばはソース味が苦手で、いつもしょうゆ味。お好み焼きも長いこと自分の分だけはしょうゆ味にしてもらっていた。明太子を使ったクリームスパゲティも大好き。麺類以外では、グラタン。父親がホワイトソース嫌いであったので、グラタンは父親のいない日のもの。ホワイトソースの香り、そして、だんだんとオーブンで焼けるチーズの香りがしてくる。これが好きだった。具は鶏肉とベーコンが多かったんじゃないかな。あとはジャガイモ。猫舌で熱いものがすぐには食べられないから、スプーンで真ん中から割ってさまし、口のなかをやけどしないよう少しずつ、もどかしく食べる。他にも書ききれないほど、おいしいものを食べて育った。おやつもときどき手作りのものがあり、おにまんじゅうやチーズケーキ、牛乳寒天、プリン(私の分だけはカラメルを入れずにつくってもらっていた)、スコーン、アップルパイといったものが強く印象に残っている。


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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。