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愛するてこねずし

てこねずしは、私にとっての第二のふるさと、三重県は伊勢志摩地域の郷土料理だ。このところ、白いご飯や酢飯の上に、カツオの漬け身を乗っけただけのものをてこねずしと称しているのをよく見かけるようになった。これは明らかにてこねずしではなく、漬けどんぶりだ。てこねずし、で画像検索してみても、ただの漬けどんぶりのほうがたくさん引っ掛かってくる始末で閉口してしまう。私は長く志摩市和具地区に住んでいて、あちこちでてこねに関する話を聞いたり、食べさせてもらったり、もちろん自分でも作ってきた。自分のなかでの郷土の料理となっている。そういうわけで、その作り方をざっくりと紹介したい。
魚はイサキを使う。二人前、1合半の米の量なら、中くらいのもの1匹でいい。これを3枚におろして皮を取り、中骨を抜いてから刺身より少し大きい程度にそぎ切りにする。中骨を抜くのが面倒だったら、腹側と背側に切り分けて、中骨のあるあたりを丸ごと切り取ってもいい。こいくち醤油大さじ2杯に、白砂糖をすり切れ1杯加えて、よく混ぜる。和具のひとはもう少し甘くすることが多いが実際にはこの程度でも甘さは十分。この中にイサキを浸けて、冷蔵庫でよく冷やす。1時間も浸ければ十分味が染みる。もっと長くてもよい。硬めに炊いた米を熱いうちにボールに出して、酢大さじ1杯に白砂糖小さじ2杯を溶いたものを合わせて、切るように混ぜて馴染ませる。水気が足りなかったらもう少し合わせ酢を足してもよい。先のイサキの漬け汁を小さじに2杯とり、酢飯にざっくりと混ぜる。酢飯の温度が多少下がり、60度くらいになったら、よく冷やしたイサキの漬け身を汁を大雑把に切ってから(しっかり切りすぎないこと)投入し、しゃもじで混ぜる。魚が冷えていないと、この工程で身が焼けて(火が通って)しまう。だいたい混ざったら刻んだみょうがを加えて、皿に盛り、刻んだ大葉を乗せる。


私はてこねずしの特徴について、ご飯に色がついていること、雑多に魚が混ざっていることの二点だと思っている。タイミングや量は家庭によって異なるけれど、いずれにせよどこかのタイミングで酢飯に漬け汁を加える。魚の身は全部投入したり、半分だけ投入したり(残り半分は皿に盛ってから上に乗せる)、または近年では全く混ぜないものもあるけれど、てこねの妙味は「やや温まっているが温まりすぎてはいない」漬け身にあると思っていて、これを実現するにはやはり混ぜた方がいい。この他は本当に自由な料理であって、薬味は全くなくてもいいし、入れてもいい。入れるものは大葉やごまが多く、他にもみょうがやしょうが、紅しょうが、たまねぎなどと多彩である。使われる魚はカツオが標準形のように思われているがこれは誤解で、もちろんおいしいけれど、カツオを何本ももらっても余って仕方がないので保存のためにてこねにする、というのが発端だったりする。一番いいのはイサキやします(ヒラスズキ)を使ったもので、次にほて(ハチビキ)。私もイサキのてこねが一番好きだ。それ以外にもアジやサバが使われることもある。一度だけ、タカノハダイのてこねというのも聞いた。和具の民宿ではマダイも使われている。錦糸玉子は乗せても乗せなくてもよく、元来は魚の身が少ないときの嵩増しのために使われたそうだ。最近では見栄えのために加えられることもあるが、一般には面倒なので省略される場合が多い。

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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。