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うなぎの柳川鍋

あまりに暑いので、ろくに料理をしていない。焼き肉に行ったり、唐揚げを買って食べたりと実に独居若手サラリーマンを絵に描いたような生活を強いられている。だって、あつすぎる。
さて、そんなあついあつい日々も、少しの弛みを見せ始めた。退廃的な生活ばかりもしていられないから、いっちょ気合いを入れて料理らしいこともしなければならない。そんなことを考えていたら、頼んでおいた柳川鍋が届く。そういうわけで、あれこれと食材を買い集めてから、冷凍庫のうなぎ半切れを取り出す。
うなぎを家で温めるのが難しいといって、テレビでもずいぶん、色々な方法が流れてきたことと思う。しかし、大した苦労をしなくても、うなぎを温めるのは簡単だ。関東風にふわふわと蒸したものや、まだ冷めきっていないものなら、電子レンジでラップをかけずにちんするだけでよい。この際タレや脂が多少飛び散るのは覚悟の上である。冷蔵や冷凍を経てしっかり冷えかたまってしまったもの、蒸しを入れていない焼き方のものは、オーブントースターにアルミホイルを敷いて、焼くだけでよい。好みによってはわずかに酒を振りかけてから焼いてもいい。冷凍のものも、冷蔵のものも、室温に戻してから焼くのがベターである。これでうまく食べられないうなぎというのは、元々まずいうなぎに他ならない、と放言してしまおう。本当のことである。
さて、京都にはうなぎ屋がほとんどない。京都の中流のひとひとは、夏場、これは土用丑の日に限らないけれど、川魚屋で焼いてもらったうなぎを買い求めて家で食べていた。要は中食としてのうなぎが根付いていた。かさましするときには、柳川鍋。玉子とごぼうも一緒に食べるので、バランスもいい。かつおぶしでだしを引いて、1カップほど。ここに酒と薄口醤油、みりんを各大さじ1、砂糖を大さじ2分の1加えて割下を作る。ごぼうの薄いささがきを加えて、火にかける。煮たったら3分ほど弱火で煮て、そこへ九条ねぎをそぎ切りしたものを少し加える。同時に、オーブントースターで温めておいたうなぎを幅2から3センチくらいに切って加え、1分ほど煮たら火を止めて、溶き卵をそっとかけ回す。最後に三葉を乗せたら完成。リハビリ料理にはこれくらいがちょうどいい。


柳川鍋にすると半分のうなぎでも立派な一人前になる。ほかにもおかずがあれば二人前とも言えるだろう。今となってはうなぎが高いから、これでもぜいたく料理なのには違いがない。しかし、うなぎは明治以降ずっと乱高下の食材なのであって、むしろ安い時期の方が稀であったことを考えるべきである。

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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

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