私は名古屋市の郊外にある古い町で育った。土地勘のある方ならばお分かりだろうが、古くは宿場町、最近では軽工業で栄えた地域だ。私の家は決して裕福ではなかったけれど、貧しいわけではなく、父方の実家は"元"裕福な家柄で、よくも悪くも見栄と建前で生きているようなところだった。要するに中流である。まだファミレスもコンビニもなかった時代に、この地域の外食というのは特別な意味をもったものだったように思う。外食というのは明らかにほとんど、ハレの日の食事と同義の言葉であって、明らかに非日常が意識されたものだった。一番頂上にあるのは、割烹や寿司屋であり、こういうところは冠婚葬祭にも使われることがある。その次にうなぎ屋。天ぷら屋。とんかつ、ステーキが同じくらいで、その下にそば屋や焼き肉屋。そういう明確な格付けがあり、またそれら以外のものは外食と見なされていないと言っても過言ではないという有り様だった。すなわち、うどん屋やラーメン屋、定食屋というものは、めったなことのある日に行く外食には含まれておらず、逆に普段の食事で行くのはもったいないので、行かないということになる。そういう店に行くのはサラリーマンやタクシー運転手だけだという認識で、実際昔のうどん屋は昼しか営業していないところが多かったのだ。中華料理屋というものもあったけれど、郊外におけるそれというのは、いくらか侮蔑的に見られてしまう存在だったように思われる。さて、では、これは地方に限ったことであったかというと必ずしもそういうことではなく、名古屋に行けばデパートやホテルのレストラン(必ずしも洋食に限らない)が出てきて、カップル(ここではアベックと書くべきか)向けの店や飲み屋もあったけれど、やはり日常の外食というのはうどん屋、ラーメン、定食屋、お好み焼き屋くらい。その数も決して多いわけではなかった。福岡に来て驚くのは日常の外食産業の豊かさで、明らかに外食産業の立ち位置というか、土壌そのものが異なるように思う。そもそも、名古屋には飲み屋というものが歴史的に少なく、明確な飲み屋街が発達していない。栄があるじゃないかという人もあるけれど、かつてのあれは飲み屋街とは言えない。外食には一定の抵抗感に近い感覚があり、それは飲み屋に関しても同じであって、本当にここ一番のときにだけ酒を飲んでいた地域なのだ。サラリーマンの情報交換は飲み屋、それ以外には喫茶店で行われていた。喫茶店は外食とは概念的に切り離された独特な領域である。そんな時代がつい数十年前まで存在した。私はその当事者世代とは言えないけれど、わずかに当時の空気を体感した世代だ。こういうことはなかなか書かれることがないので、あえてブログ記事にしておくことにした。
日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚