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香川のあん雑煮

私はもちが大好きだ。もちが好きなので年中焼きもちを食べているし、もち好きが高じて各地の雑煮を作るようになっている。雑煮を再現する、というのはまことに難しい。これは雑煮の作り方が家庭や世代によって層状に異なることや、店で食べることが難しい点に集約される。とはいえ、新旧の文献を読み込み、地域の古老から聞き取り作業を積み重ねての雑煮作りは楽しい。
さてたまたま立ち寄った古い商店街にて、丸もちとあんこもちを購入した。この機を利用して、香川の雑煮、いわゆる餡もち雑煮を作ってみることにする。いりことかつおで出汁を取る。家庭によってはいりこのみであったり、かつおのみであったり、かつおと昆布であったりするらしい。昆布を使うのは比較的新しいとみていいだろう。大根、にんじん、里芋の皮を剥き、厚さ1.5センチくらいに切って、すべて下茹でする。大根とにんじんは湯に通すだけでいい。里芋はもう少し厚くていいけれど、こちらは火がほとんど通るくらい下煮する。ぬめりを落とすためだ。これらの具を出汁に入れ、火が通るまで煮てから白味噌を溶く。白味噌はやや甘くきめの細かいものがよく、どこでも手に入るものであれば西京味噌でよい。もちろん香川の味噌を使うのが一番よい。今回はもっとも味の近い、広島はますやの白味噌を使用した。分量は出汁を3カップに味噌大さじ3。要するに水1カップに対して味噌大さじ1でよい。他の味付けは不要。あんこもちは別の鍋に湯を沸かして、あんまりぐらぐらさせないように、静かに煮る。お椀の底に煮えた大根を敷いて、その上にあんこもち。味噌汁を静かに注いで、にんじんや里芋を備える。最後に青海苔とかつおの削り節を添える。この青海苔は吉野川のスジアオノリがいいそうだが、普通のアオサ(ヒトエグサ)を砕いてパラパラとやる。


食べてみると青海苔、かつお節、白味噌のいずれもが欠けてはならない、絶妙なバランスのうえに立地していることが分かる。もちの中から顔を出すあんこは、控え目な塩気のいくらか甘い味噌汁と、塩気をまとったかつお節、そして青海苔の風味によってまとまりを演出する。味噌の塩気がきつすぎると、あんこの甘味は完全に宙に浮いてしまうだろう。いりこのだしと、青海苔、かつお節の出合いは、瀬戸内の豊かな浜文化を物語るものだ。


あんこもちと味噌さえ手に入れば誰でもできるものなので、ぜひ試してみてほしい。なお年末年始の近辺には、高松の商店街にこの雑煮を出してくれる店があるから、そこで食べてみるのもいいだろう。家庭によっては鶏肉が入っていたり、小松菜があったり、里芋はなかったりするようだ。これもまた、雑煮の楽しみのうちのひとつである。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

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若あゆで背ごし

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