スキップしてメイン コンテンツに移動

ふなみその作り方

11月27日。いいフナの日を過ぎて1週間ばかりがすぎると、そろそろ初霜がおりる。初霜がおりて、昼間にも手掴みできるくらいフナの動きが鈍くなったら、いよいよ寒ぶなのシーズンインとなる。
ふなみそはフナを味噌、砂糖で煮込んだ料理で、その分布は愛知県、三重県、岐阜県、滋賀県にまたがっている。愛知県西部や岐阜県南西部では冬になるとスーパーの惣菜売り場でも普通に見かけることのできる馴染みある食べ物だ。このふなみそ、従来は家庭で作られていたもので、家庭や地域によって少しずつ作り方にちがいがある。たとえば、フナを生から使うか、焼いてから使うか。しょうがを入れるか、番茶の煮出し汁を入れるか、何も入れないか。味噌をいつ入れるか。大豆を入れるか。そういうところにあれこれのローカルルールがある。もっとも、今となっては"あった"に近いかもしれない。今は家庭で自作される機会が激減しているうえ、店によってちがっていた味も、小さな加工屋や鮮魚店の閉店が相次ぎ、相当が失われてしまった。今年も少なくとも一軒のふなみそが失われた。どこにでもあった文化がいよいよなくなるという危機感にどうしようもない焦りを感じる。こういう焦りを共有できる同郷人は、果たしてどれだけいるのだろう。ふなみそは確実に、家庭から離れつつある。
私はふなみそのことを調べ始めて、もう10年以上になる。ふなみそのことを調べているわけではないけれど、どうしても避けては通れないのがこのふなみそなのだ。ふなみそ作りももうずいぶんになるけれど、本当に納得できるものを作れるようになったのはここ数年のことで、それまでは川魚の料理全般にたいする技術的な未熟さや、フナ自体の質の問題で自分の中でも心から納得できるところに至っていなかった。ふなみそに肝心なのは、もちろんいいフナの入手だ。フナの大きさは手のひら少し越えるくらいがよく、それより大きいと鍋に入らないのと、豆との煮炊き時間の差が大きくなる。フナに限らず、川の生き物には川のにおいがつきやすい。できるだけ洗剤の流れていないような場所のもの。泥っぽい場所であることには問題がない。フナは泥場の生き物だ。それでいて、時期に恵まれたもの。そう考えてみると質のいいフナの確保は意外に難しい。今回はたまたま出かけたかつての水郷で、水中でじっとしている太ったフナを見つけ、夢中で掴んできた。こいとりまあしゃんも冬だけはフナを捕ったのだ。寒くなるとフナは体に栄養をためて、うまくなる。これが先に書いた初霜の頃からで、だいたい2月半ばくらいまでがいい時期になる。特にはじめの1月半ばまでの間は、栄養がほとんど卵や白子に取られていないから、肉のうまみ、あまみがちがう。この時期のフナはときどき、陽気のいいときしか餌をとらず、あとは水底で、ときに泥の中に頭を突っ込んでじっとしている。深い川なら暖かい日を選んで釣り上げるしかないが、水路であれば手掴みしたり、上から網でそっと取り上げることもできる。投網で捕るなら、少し工夫してやらないと泥中のフナの頭上を網が通過していくだけで、少しも捕れないということもある。
私のふなみその作り方の基本形は、全く郷里の作り方そのものである。具体的には、本町筋にある糀屋という江戸時代からの糀、味噌屋の奥さんから聞き取ったもの。そこに、名古屋の下町にあった魚兼の奥さんに見せていただいた方法を組み合わせている。まず、フナは生きているものを使う。頭を包丁の峰で打って脳震盪させ、鱗を取って、ハラワタを抜く。このとき、胸鰭のあたりにある苦玉(胆のう)を潰さないように気をつける。ハラワタを抜くときには腹の真ん中を割らないで、少し右側にずらしたあたりの、胸鰭のあたりから腹の中腹まで割いて、そこから指で掻き出すのがいい。子を持っていたら腹の中に残してもいい。尾びれの付け根のあたりに刃を突き刺し、バケツに泳がせてある程度血を抜く。
フナは水気をとって、素焼きにする。ただし、完全に火を通さないで、半分くらい火を通して生焼けにしておく。その状態でバットに乗せて一晩冷ます。皮はところどころ破けてよい。


この間に、大豆(目黒豆)をよく洗って、水に浸しておく。豆は一鍋に250グラムと決めている。一鍋にはフナが5から7匹入る。フナの数は鍋に折り重なりすぎないように注意する。
さて、朝からフナと、豆を煮る。フナと豆とははじめ一緒にしないで、別の鍋で煮る。豆は水煮。とにかく水で中弱火で柔らかくなるまで、すなわちアルデンテになるまで煮る。泡がぶくぶくと出てくるから、これは掬って捨てる。水が減ったら減った分だけ足す。フナを煮るのは番茶の煮出し汁が本来だが、これがないときには適当なお茶パックを放り込めばよい。たっぷりの湯を沸かし、沸いたらフナを入れる。そこへ梅酢を大さじ2から3杯。なければ梅干し3個と米酢を入れる。はじめはとにかく強火、吹き零れない程度に強火で20分ほど煮て、出てくる灰汁をすべて取る。


その後は中火におとして、やはり灰汁が出たらときどき掬う。このフナの煮汁は飲み干したいくらいうまいのを、がまんして煮る。もう灰汁が出なければ中弱火にして、煮る。とにかく煮汁が減るので、適宜減った分だけ水を足す。フナを煮る時間は大きさにもよるけれど、4時間から5時間くらい。ここではまだ骨が硬いのだけど、そこへ上から水煮した豆を被せて、さらに2時間煮る。


ここでいよいよ味噌の味付けとなる。味噌は八丁味噌系ではなく、尾張味噌。同じ豆味噌でも塩気がちがうので、使う量にちがいが出てくることに注意したい。この味噌と上白糖を煮汁でよく溶いて、鍋に加える。量についてはいつも計らずにやっているところを、今回初めて計ってみた。味噌が210グラム、砂糖が180グラムだった。砂糖は味噌と等量になるまで増やしていい。ここは好みだ。味噌と砂糖が十分に煮溶けたら一旦火を切って、味をなじませる。
翌朝から仕上げ。鍋底を焦がさないよう、ごく弱い弱火で沸かし、沸ききったら少しだけ火を大きくして、落し蓋をして煮詰めていく。だいたい煮詰まるまでに2時間ほどかかる。煮汁がどろっとしたらできあがりとなる。フナは限界まで柔らかくなっているから、あつあつのままではなく、少し冷ましてから取り出すといい。冷蔵庫でだいたい1週間くらいもつ。こうして手をかけたふなみそは、自分の胃袋の中だけでなくあちこちへ旅立っていく。懐かしい味を思い出してもらうのも、ふなみそを通じてすでにこの世から旅立った先人を弔うのもまた、私のつとめなのだ。


このブログの人気の投稿

雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。