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ますやに関東の川魚をみる

すし道楽をした東京滞在。実はもうひとつ、楽しみにしていたことがあった。場所は埼玉県吉川市。ナマズを名物として売り出している。ここの老舗「ますや」に、ツイッターで知り合ったMさんらと出掛けた。私の郷里の名物のひとつに、実はナマズの蒲焼きがあった。これはナマズを頭から背開きにして、つけ焼きにしたもので、上街道や津島神社の参道にこれを出す店がいくつもあったのである。しかしそれももはや何十年も前のことで、今やナマズの蒲焼きは名物ではなくなってしまった。店がなくて食べられもしないものが名物というのはありえない。少し前まではかろうじて近隣の町に老舗があったが、これは近年のウナギの高騰でなくなってしまった。伊勢湾台風の日開も乗り越えた、大きな鯰絵のある老舗だった。
さて、埼玉にナマズの町あり、ということはもう20年も前には知っていたのだけれど、訪問の機会に恵まれてこなかった。20年経ってようやく、埼玉県に足を踏み入れたわけだ。東京からは案外あっけなく吉川に着いてしまう。せっかくなので待ち合わせよりも少しだけ早めに着いて、町をあれこれ物色して歩く。あまり面白いものはなく、駅近くのスーパーマーケットでもこれはというものがない。鮮魚の取り揃えについては、やはり関東の一員ということを感じさせるけれども、川魚が置いてあるわけではない。町歩きで発見したものと言えば、ナマズをあしらったマンホールくらいだった。
ますやは旧道沿いにある。この旧道にはほかにもナマズを売りにした店があり、うなぎ屋もある。古くは東京からたくさんの人が来ていたのだろう。ここでは基本のなまず御膳のようなものをいただいた。主人は銀座の割烹で修業されたとのことで、揚げ物などもすばらしい。コイの刺身は霞ヶ浦のものとはちがって、小振りで脂気のないものを使っているようだった。ここで私が一番惹かれたものは、実はナマズではなく、雑魚の煮物だった。タモロコを煮たものだけれど、色は赤みが強く、そして何より、きちんと醤油辛い。これぞ関東の赤煮だと思わせる味であった。


元々はくちぼそ、すなわちモツゴを使っていたのが、近年では捕れなくなったために養殖のタモロコを使っているという。この関東の佃煮、赤煮は、近年の減塩志向の影響を大きく受け、どんどん醤油の割合を減らして、甘みを加えている。梅干しなどもそうだが、こういうことをすると本来のうまさというのは失われてしまう。味付けを変えるよりも、食べる量で調整したらいいのに、などと身勝手ながら考えてしまう。
ほかにも、文献でしか見たことのないたたき揚げが食べられたことも幸運だった。これはナマズの肉やあらを叩いて、味噌と一緒に練り上げて揚げたもの。家庭によっては、豆腐を混ぜることがある。昔再現したものと味がほぼ同じ(強いて言えば少々味噌がらい)で、そういううれしさもあった。


ナマズのコースを一通りいただいたあとで、この店の名物のひとつであるというすっぽん煮をいただいた。これは、ナマズをぶつにして生から酒と醤油、砂糖などで炊いたもので、水あめも入っているだろう。絶妙な火加減で炊き上げたもので、ところどころほんのりと赤みがあるが、火は通っている。最後にかつお節がたっぷり振ってあるのが面白かった。醤油で肉が締まらないように、最後に味付けを完成させる形だと思われる。ますやは江戸末期の創業で、地域の宴会場としての機能も担っているようだった。関東でいいナマズが捕れなくなって久しいというから、その持続に思いを致す夜となった。


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