スキップしてメイン コンテンツに移動

ふなみそナイト 開催レポート

はじめに
去る1月24日に、ふなみそを食べ比べるイベント、「ふなみそナイト」を開催した。大筋ながらその概況をここに書いておきたい。


ふなみそナイトは、思いのほかゆるい平さん@otr_uhyにご提案いただいて、福岡市中央区大名にあるリブラボさんhttps://livlabo.wixsite.com/livlaboをお借りして開催されることとなった。リブラボでは主たるイベントである弾き語りライブといった音楽イベントのほか、ボードゲーム大会やトークショーといった、文化にまつわるさまざまなイベントをゆるやかに受け入れているようだ。赤坂の繁華街に隣接したエリアにあり、交通の便がいい。内装がオシャレ。こんな会場に味噌のかたまりを持ち込んでいいのだろうか、という気になる。



もともとは12月に福岡で川魚を食べながら、福岡の自然や生き物について自由に語らう会をやりたいと思っていたのが、忙しいうちに年末を迎えてしまう。そんなところに自分のライフワークとしての記録用ふなみその収集過程で、「全部ひとりで食べるのはもったいないし、色々な人と一緒に食べた方がおもしろいのではないか」と思ったというのがこのイベントのきっかけである。

さて、会場に入ってさっそく持ち込んだふなみそたちを解放し、ステージ前正面の“祭壇”に並べていく。本来であれば、花束や差し入れを置いたりするようなところではなかろうか・・・。


会場全体に豆味噌の香りがただよう。今回持ち込んだふなみそと、その類似品は全11品。まず、既製品を購入したものとしては、
1. うおた(愛知県あま市)
2. ハッピーさおり(愛知県愛西市)
3. みなとや(岐阜県平田町)
4. うをはる(岐阜県平田町)
5. かねや(岐阜県海津市)
これらに加えて、6. 稲金(岐阜県平田町)の、コイで作られたコイみそ。
また、小生謹製のものとして、
7. イトエリさん@ubazame45にツイッタ上で教えていただいた、愛知県弥富のレシピに基づくもの。
8. 愛知県津島市で収集したレシピに基づくもの(普段のふなみそ。マブナを使用)、また9.同じ鍋で作ったゲンゴロウブナのふなみそ。
10. 愛知県大治町で収集したレシピに基づくもの。
11. ニゴイで作ったニゴイみそ。
以上11品となる。ひとつ断っておきたいのは、1から6の既製品と、10、11は冷凍品である。これは準備上致し方のないことだが、冷解凍によって本来の味からはわずかにうまさが落ちている可能性がある。
ふなみそ、と一口に言っても、その作り方はさまざまだ。フナの鱗を取るか、つけたままか、生から炊くか、焼いてから炊くか。水煮するか、はじめから味噌を入れているか。豆を入れるか、大根やごぼうか。酢を入れるか。番茶はどうか。そんなひとつひとつに意味があり、味の違いに結びついていく。もちろん、味噌の種類による違いもある。私にとってはすべてのふなみそが愛おしい。
ふなみそだけでは口の中が味噌ったるくなってきて「わや」かと思い、他にもハヤ(オイカワ、カワムツ)の甘露煮、ギンザケで作った滋賀県風の麹漬け、コイの子の昆布炊き、薄味のこいこく、そして普通の寄せ鍋を用意した。参加者の持ち込みアリにしたので、産直やくらしさん@wwwkurashijpには漬物をたっぷり持ち込んでいただいた。
参加者は20名余り。この福岡で、ツイッターと個人的なつながりだけで集まっていただいた。半分以上が初めてお会いする方で、少々緊張する。彼らにとってのふなみその印象が、よくも悪くもこの会で決まるかと思うと緊張もやむなし、責任重大である。「今回は「ふなみそ」が主役の会です!」「ふなみそを食べ比べて、どれも似たような味だなぁということを感じ取ってみてください」との発声ののち、前代未聞のふなみそ食べ比べの会「ふなみそナイト」が始まった。
口々に感想を言い合いながら、ふなみその食べ比べがこのおしゃれ空間で繰り広げられる。私は用意した写真を流しながら(プロジェクタのうつりがとてもきれい!)、ふな味噌制作の取材や、今回用意したふな味噌、あるいはそのフナに関連する漁業などの画像を簡単に解説しながら流していく。今回私が作って用意したふなみそのフナは佐賀県のふな市で購入したものだったので、ふな市やふなんこぐいの話も流していく。みなさん知らない情報が多いご様子。


会場が暖まってきたところで、参加者のみなさんに自己紹介をいただく。今回はなんらかの形でふなみそに興味を持っていただいた方々に参加いただき、福岡を中心に遠くは国外から(!)も来ていただいた(翌日に野食会があったことが大きい)。その興味の範疇は生き物が多いが、純粋にふなみそが食べたいという気持ちで来場くださった方もいて、とてもうれしかった。イベントは最後まで盛り上がりのまま終了。午後11時終了予定が少し伸びてしまい、結局会場には日付の変わった午前1時頃まで残ることとなった。
事後になってしまったが、アンケートを行ったのでその結果をかいつまんで紹介したい。今回の参加者の方はいずれも出身地がふなみそとは縁もゆかりもない方ばかりで、その大半はふなみそを初めて食べたということであった。中にはそもそも淡水魚がきらい(!)という方もいらっしゃった中で、全体としてふなみそにおいしいという印象を抱いていただけたのは開催者冥利に尽きるもの。1週間休まる時間を削りながらふなみそ作りをしたことが報われた・・・(涙)(※帰宅後にふなみそを2種類作りながらコイ料理をするという、マンション一人暮らし一般男性としては相当無理のあることをしでかしたのがいけなかった)。アンケートの中で印象に残ったふなみそとして書いていただいたものを、(すべてではないが)その理由とともに紹介しておく。

・愛知県津島市のレシピに基づくもの(マブナ)(フナと納豆のひと作)


こちらは愛知県津島市で聞き取ったレシピを基本形として、そこに名古屋市中村区の鮮魚店で聞き取った方法を一部ミックスしたものである(過去記事にしてある)。味のバランスが良い、味付けが良い、といった意見をいただいた。目黒豆を使っていることも好評価の要因だろう。目黒豆は愛知県西部から岐阜県南西部にある在来の豆で、通常の大豆よりも粒が大きく、しかも味噌で炊いても締まりにくい。さながら、ふな味噌のためにあるような豆なのだ。この豆を必ず使う、という地域は津島市とその近郊。中村区で聞き取った方法をミックスできるのは、こちらで使われていた豆が目黒豆であったからでもある(目黒豆は名古屋の市場ではなかなか手に入らないため、大治から送ってもらうと言っていた)。同じ鍋で炊いたゲンゴロウブナについては、マブナよりも少し旨味が薄い、少し臭いが強いといった意見があり、種による味の違いも感じ取ってもらえたようだ。

・イトエリさんのレシピに基づくもの(フナと納豆のひと作)


こちらはイトエリさんのお母様が長年作られてきたレシピを、分量の比率を忠実に再現したもの。現在販売されているふなみそはほぼ全てが大豆入りであるが、実際には豆抜きのものも、また地域によっては大根やごぼうの入ったものもある。イトエリさんに教えていただいたレシピは鍋底に大根を敷きつめ、その上に昆布とフナを乗せてソフトに炊き上げるもので、味わいはやさしい。バランスが絶妙で、毎日食べられそう、昆布味でかつフナの味が感じられるのが良い、初心者にもやさしいといった意見があった。たしかに、これは佐賀のふなんこぐいに似ている。身がふわっとしていて、やわらかにほぐれる。また一緒に炊いた大根のうまいことこのうえない。

・うをはるのふなみそ


うをはるはお千代母稲荷の参道に軒を連ねる川魚屋のひとつで、ふなの味噌煮はこちらの名物料理。色が黒っぽいのははじめから味噌を入れて、4日間かけて長く炊き上げるからだという。こちらはオーソドックスで食べやすいという意見があった。私はこのふなみそ、独特ながら味が濃く、うまみを足した味噌そのものというかんじだと思っている。

・にごいみそ


存外に人気の高かったのがこのにごいみそだ。こちらは過去記事にある通り、長良川の清流に棲むニゴイのほぐし身で作ったもので、粗切りのゴボウが少しだけ入っている。長良川では年末年始の時期にしかニゴイを獲らないようで、これはこの時期がもっともうまいからだという。ニゴイらしさはないがうまみがある、身に味がある、といった意見があり、おいしいニゴイというものを感じ取ってもらえたのではないだろうか。ちなみにニゴイはフナ以上に肉ににおいが付きやすいと思っているので、生息場所を吟味して食べるべき魚のひとつである。

これらのほかにもそれぞれのふなみそに対して好みが割れていて、似ていても確実に味わいの異なるふな味噌の世界を存分に堪能していただけた様子がよくわかった。

おわりに
ふな味噌は愛知岐阜三重にまたがる(一部滋賀県などにまで広がる)ローカルフナ料理で、その味わいや作り方には家庭や地域による差異があって面白い。しかしながら、その作り手はおそらく1960年代以降急速に減少しており、今や誰も作り手がいなくなってしまったところもある。料理に手間がかかることや、原料となるフナの入手が難しくなったことがその主たる理由であると、私は考えている。実際、今回の取り組みによって、ふな味噌が豆味噌(赤味噌)に馴染みのない地域の人々にとってもおいしいと感じられる料理であることが分かりつつある。家庭に代わってふな味噌を作り続けてきた老舗の川魚屋や総菜屋さんも、時代のあおりを受けて次々に姿を決していく。ふな味噌の面白さを後の時代に残していくためには、今、ギリギリのところで現世に留まっているふな味噌のおいしい記憶や、またその作り方を詳細に聞き残しておくべきだ。もし、この記事を読んで、身近にふな味噌作者がいる、またはいたという方がいれば、ぜひ私まで情報を届けてほしい。少なくとも、その記憶を聞き取って、残しておいてほしい。これはふな味噌という文化だけではなくて、豊かだった水辺の記憶の断片そのものでもある。今、いいフナの獲れる場所は日本広しと言えども、そこまで多くはない。水の汚れだけではない、フナそのものが大きく数を減らしている。どこにでもいる魚のフナでさえ、そんな状態なのである。
最後になるが、今回のイベント開催に際し声をかけていただいた思いのほかゆるい平さん、会場提供してくださったリブラボさん、そしてご参加いただいたみなさまにお礼申し上げる。もちろん、これまでに快くレシピを教えていただいたイトエリさんはじめ各地のみなさま、また現在もふな味噌の生産を続けられているみなさまにも改めて深謝したい。

このブログの人気の投稿

雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。