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持ち帰った生魚で湖魚料理 その1

湖魚食べまくりツアーを通じて、さまざまな土産を購入して帰った。この時期ならではの新鮮なひおや、もろこ、いさざが並んでいるのを見たら、やっぱり買わずにはいられない。滋賀県の川魚店、道の駅では購入しづらいものを中心に、いくつか料理してみた。
大きなホンモロコは醤油汁にする。浜炊きといって、沖島では冬の地引き網の時期に獲れすぎた魚を浜に巨大な鍋を置き、炊いて食べていた。この魚としてはコイやニゴロブナのほか、ハスやホンモロコも使われたという。とにかくたくさん獲れたものを使うということだ。家庭でこれを再現するのは不可能であるので、これを縮小して作る。
鍋に水6カップと、濃口醤油大さじ2杯を入れて沸かす。沸騰したら、大きめに刻んだ小振りの玉ねぎ1個と、大きなホンモロコ10匹ほどを鱗も腹もそのままで加える。最初に少しだけあくがでるが、ホンモロコはほとんどあくが出ない。これを中火で1時間ほど炊く。箸でかき混ぜたりしてはいけない。終わり際に幅2センチほどに切った太ねぎを加えて、これに火が通ったらできあがり。いたってシンプルなもの。沖島では伝統的に平たい瀬戸物で汁魚を食べる。これは魚を食べやすくする工夫だという。我が家にもちょうど平たい瀬戸物がある。


イサザはイサザ豆にする予定だったのが、かなり大きなものがたくさん含まれていたため、まずゅんじゅんにする。じゅんじゅんはすき焼きのことで、滋賀県では牛肉の他、イサザ、コアユ、ウナギ、ナマズ、コイといったものがじゅんじゅんになる。魚すきの一種とも言える。基本型は甘辛い味付けのものになるが、薄味のだしで仕立てたものもある。
イサザのじゅんじゅんには、野菜の上に生のイサザを乗せて炊く方法と、イサザをはじめに炊いてから野菜を被せていく方法とがある。また地域によって具材も多少のちがいがみられる。今回は「作ってみよう滋賀の味」(滋賀の食事文化研究会)にならい、先にイサザを炊く。イサザは表面のぬめりが強いので、まずはざるに入れてよく洗う。強く洗うと腹が潰れてしまうから、加減をして洗う。少し塩を加えて軽く揉むようにして洗ってもいいが、新しいものではかえって野趣を損なう。鍋に水1カップと濃口醤油大さじ3、上白糖大さじ2杯を沸かす。沸いたところへイサザ100グラムを加えて、中火で3分ほど炊く。多少のあくが出てくるのでこれを取りながら炊く。そこへ焼き豆腐と斜めに切ったねぎとを加えて、さらに5分ほど炊いたらできあがり。長く炊きすぎてはいけない。今回は最後に水菜をかぶせた。


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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

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