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持ち帰った生魚で湖魚料理 その2

ここに記している湖魚の料理法が役に立つことはおそらくほぼないだろう。それでも、こうして書きとめておくことに何らかの意味があるかもしれない。そういう気持ちでこの記事をしたためている。
ひおというコアユの若いのは、まだアユかどうかも分からないような、ガラス細工のような美しさをたたえている。こういうものをまずは食べてみるべきである。湖岸で一般的な調理法と言えば、まず釜揚げ。たっぷりの湯に塩をとかして、コアユをぱらぱらと加える。色が変わったらざるに取り上げて、少し広げてそのまま冷ます。これはそのまま食べてもうまいし、ポン酢に大根おろしをかけても、またそのまま寒風に干して、煮干しにしたものをしごしごと噛んで食べるのもいい。生のものをそのまま炊き込んだご飯もある。これらは産地ならではの味、ということになるだろう。
今回は移動のために少し鮮度が落ちてしまったので、普通に釜揚げにすると崩れてしまうのが惜しい。なので、若煮、あるいは若炊きと呼ばれる炊き方で炊いてから食べることにする。若炊きの若は、炊きが浅いということ。ひうおは普通の魚よりも断然柔らかいから、長く炊く必要がない。またその味気も淡くていい。これを煮崩さないコツは、箸でかき混ぜないこと、沸騰した煮汁に温度が下がらないよう少しずつ加えること、煮汁に入れた魚が泳がない(動かない)ように煮ることだ。最後のひとつを実現する方法はふたつあり、ひとつはごく弱い火で炊く、もうひとつは煮汁の粘度を高くして煮るというものだ。好み次第でどちらの炊き方を選んでもいい。ひおを炊くときには水飴は不要で、醤油と、砂糖と、水だけで炊く。水1カップ半に濃口醤油を大さじ3、薄口醤油を大さじ2、みりんを大さじ3、上白糖を大さじ2加えて煮立てて、ひおをぱらぱらと塊にならないように加える。そのまま中弱火にして(魚が泳ぎすぎないような煮加減にすること)30分、煮汁が半分くらいになるまで煮たら、汁を除いて汁気をとばす。とばすと言っても、単に平たいざるやバットなどに広げておくだけでいい。なおこの煮汁は他の料理に転用できるのでとっておく。
さてその炊き上がったひおはもちろんそのまま食べてもいいのだけれど、炊き込みご飯にするととてもおいしい。米2合を洗って、普通に炊飯する程度に水を加えて、薄口醤油を大さじ1杯加えて混ぜておく。中央にひおをひとつかみ乗せて、普通に炊飯。炊き上がったらよく混ぜる。炊き始めには少々生臭いにおいが出るものの、次第にいい香りに変化していくから心配は不要だ。この日はたまたま、壬生菜を細かく刻んだゴマ和えがあったので、これを少し混ぜ込んでみた。ねぎは香りが強すぎるので、彩りには香りの淡い青菜を使うといい。


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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。