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湖魚食べまくりツアー

去る2月15-16日に湖魚食べまくりツアーを行ったので、その顛末を備忘的に記しておきたい。
ことの発端は3年前、ツイッター、あるいはツイキャス上での何気ない会話に遡る。関東のある方が私の妙なツイートを見てなのか、淡水魚をあまり食べていないという話題を持ち出し、挑戦してみたいという。それなら、まずはうまいもんから食べるべきであるから、琵琶湖に一緒に食べに行きますか?という話をした。会ったこともない、ネット上での社交辞令にも思える一瞬の会話。義理がたい私はこういうことを覚えておいてしまう節がある。だから私は口軽くあれこれ約束をしないのだ、と言いたいところなのだけど、実際にはしてしまう。そういうものが頭の中に積み上がっていく。
琵琶湖、そしてその集水エリアには中学生の頃から幾度となく訪れてきた。この目的はあくまで豊かな淡水魚の多様性に触れるためであったが、その過程で各所の川魚店、サービスエリアで佃煮、甘露煮の類に親しんできた。大学生になってからは、ふなずしのことを知るためにありとあらゆる価格帯のふなずしを食べ比べたりした。それでも、実を言うと滋賀県の食事処や宿泊施設で湖魚を味わったのはたったの2回しかない。これには、琵琶湖の食文化、漁労文化は他の地域に比べて十分調べられているし、またそれは現在進行形であったりするものだから、そこに時間を割いていく必要性をあまり感じなかったから、ということがある。若い貧乏学生にとって、限られた資源(資金)をどのように使うかというのは、文字通り死活問題になる。しかし、琵琶湖のことをなまじ文献でしか知らないで、淡水魚の食について語るなどということは到底できないというのもまた事実である。
そんなこんなでこのやりとりを思い出した私は、琵琶湖の金尾さんにこのアイディアを投げかけ、ついに湖魚食べまくりツアーが実現した。参加者はツイッターで募った7名の若者と、私の知人1名、コンシェルジュの金尾さん、そして私の10名である。私は前日から滋賀県入りし、勝手に前哨戦を行っていたが、その部分については割愛する。
1日目には北は北海道、南は福岡からのメンバーが琵琶湖博物館に集合し、館内のレストラン「にほのうみ」でランチ。かつてはバス天丼とナマズ天丼があくまで異端児メニューとして掲載されていたが、現在ではかなり馴染んでいるようだ。私はバスとビワマスの天ぷら、うどんの定食を食べた。ここは天ぷらの技術がいい。
琵琶湖博物館には水族館がある。淡水魚のみの水族館だ。近年のリニューアルによって、どの魚がどのように漁獲され、またどのように食べられているかが格段に分かりやすくなった。ふなが沢山泳いでいるのも楽しい。見学は最低限にして、その後は草津の道の駅へ。まずは軽いジョブ程度に、スゴモロコの佃煮の中にホンモロコやデメモロコを探す。堀切の港に移動して沖島に渡る。実に15年ぶりだ。
沖島は日本唯一の淡水の有人島で、漁業で成り立っている。新しくできた民泊湖心に泊めさせてもらい、夜は歩いて汀の精さんに湖魚を食べに出た。奥村さんはじめみなさんの計らいで、実に多様な湖魚の料理、また中に伝統的なもの、現在は作られていないもの、新しいものと色々食べさせてもらう。ここに関わった方々は先日の食生活シリーズの「聞き書 滋賀の食事」から、沖島の部分を読み込み、実際の話者を知る方や、その親戚筋に話を聞いた上で調理を行ってくださった。これは土地の方でないとなかなかできることではなく、本当に頭が下がることである。食べたものとしては、ふなずし、ニゴロブナの煮付け、じょき、じょきのカルパッチョ、子まぶし、ビワマスの刺身、焼きハス、湖魚のフライ、エビ豆、佃煮、コイすき(浜炊きを再現したもの)、コイの味噌鍋、酢もろこ、などなど。一気にうまいものを食べすぎて、それぞれの味を覚えながら食べるのがたいへんだった。煮付けの卵、子まぶし、フナのフライは驚くほどうまく、感激した。運よく獲れたというコイのうまさにも言い知れない感動を得た。とにかく、これだけのものを食べさせてもらったこと自体が、感激の一言では済まされない。欲を言えば、もう少し調理されたみなさんとお話しする時間をとりたかったな。あと調理過程も見たかった。






翌朝沖島を出ると、今度は湖岸を北上する。いくら琵琶湖が大きいとは言っても、堀切港から琵琶湖の北岸までなら1時間半くらいで着く。途中にはぽつぽつと道の駅や直売所がある。それぞれにカラーがあり、また日によるちがいもある。いい日もあれば悪い日もある。市街地の川魚店には生魚を扱わなくなったところもあるが、一方で道の駅の中には生魚を置いている場合もある。今回は時間の都合上、4つしか回らなかったが、時間が十分あればすべてを回ってみるのがいい。もちろん、湖魚だけでなく、その他の惣菜や寿司、野菜、漬物にも地域性などが垣間見え、たいへんに面白い。
今回の旅のゴールは西友辻川店。こちらは琵琶湖博物館の展示「魚滋」のモデルとなった川魚店で、ところ狭しと川魚鮮魚、惣菜が並ぶ。その品数は県内屈指である。




この旅では土産を買いすぎないことを目標としていたのが、結局予定になかった生魚も合わせて保冷バックに2袋分、1万円以上も買ってしまう羽目になった。
福岡から琵琶湖に来るのはたいへんだ。このような会は今回限りと思って企画したものの、湖の豊かさ、人のありがたさに触れ、また参加者のみなさんの勢いにも感化された。いきおい、時期を変えて再び開催することを誓ったのだった。淡水魚には海の魚以上に旬があるのだ。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

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