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君はバターチキンカレーを食べているか

私にとってカレーは一種の頭の体操だ。頭のなかで作りたいカレーのイメージを固めてから、足し算の順序を考えて、料理を始める。ときに創作的であり、ときに典型的なもの。気分次第でどちらでも構わない。凝り固まりやすい職場、凝り固まりやすい社会の中にあって、カレーを作り、そして食べるということは息抜きそのものだ。
今日は朝早く、変な時間に起き出してしまった。こんなときにはカレーだね。寝床の中で冷蔵庫の中身を思い浮かべてみると、足りない材料がある。これを買い足して、いわゆるバターチキンカレーを作ってみる。たぶん福岡に来てからは初めて作るんじゃないかな。
分量はだいたい3人分。鶏のささみ(部位はなんでもいい)ふたつを一口大に切って、ここにヨーグルト大さじ4、レモン汁少々(レモンがないので橙を使用)、それにクミンとコリアンダー粉を加えて30分ほど漬け込む。クミン多め、コリアンダー少なめ。ヨーグルトに少しだけ色がつく程度でいい。たまねぎ半分、にんにく一かけは細かいみじん切りに。しょうがは大きいまま、皮もつけたままで薄切りを5枚ほど用意する。カルダモン3粒は包丁の角で二つ割りにしておく。フライパンにサラダ油を大さじ3杯ほど熱して、そこへカルダモン、にんにく、しょうが、唐辛子(好みだが、最低限でいい)を加えて、香りを出す。強火過ぎるとにんにくと唐辛子が焦げてえぐみが出てくるから、弱火で、5分ほど加熱するイメージだ。ここへバターを大さじ1加えて香りを出す。バターが溶けきったらたまねぎのみじん切りを加えて、中火で火が通るまで炒める。トマト缶を4分の3加えて、焦がさないよう中弱火に落として炒めていく。残ったトマト缶はすぐに何かで使いきるか、またはラップに包んで冷凍しておけばよい。汁気が次第に減り、炒められたトマト特有の香りが出てくるまで、だいたい5分ほど炒める。ヨーグルトに漬け込んでおいた鶏肉は、魚焼きグリルにアルミホイルを敷いて、そのうえにつけ汁ごと広げて、一番強い火で少し焦げ目がつくまで焼く。アルミホイルは二つ折りにしてから、四辺を折り曲げて乗せると汁がこぼれない。


焼けたらフライパンに投入し、さらに水を2分の1カップ加える。馴染ませながらへらでかき混ぜ、ここからは弱火で調理する。なんとなく鶏肉表面のヨーグルトとトマトが馴染んだら、生クリームを100cc加えて、さらにガラムマサラ(これは平たく言えばカレースパイスのあらかじめ混ぜてあるもので、適当に売っているものを使えばいい)、ターメリックを適当に加えていい塩梅の色味にする。ここで味見してみて、トマトの甘さ次第ではちみつを大さじ1から2程度加える。これにてできあがり。汁気が多いなと思ったらもう少し弱火で煮詰めたらいいし、少なければ水を足したらいい。そういう適当が許される。


生クリームをほんの少し残しておいて、これを表面にかけ回すとなんだかそれらしくなる。もっと器用に、うつくしくやるに越したことはない。私はパクチーが好きなのでパクチーもあしらう。ご飯にも、ナンにも、またフランスパンにも合う万能カレーだ。

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雷魚を食べる その1

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