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カイワリというさかな

あちこち、なにもかもが自粛の渦の中にある。その最たる影響下にあるのが飲食店だろう。持ち帰り専門店ではかえって繁盛している場合もあるけれども、普通の店ではこうはいかないし、居酒屋の場合にはもっとたいへんな状況だ。まちからあらゆるにぎわいが消えてしまうかもしれないとさえ思ってしまう。かつての大戦以来という神事祭事の中止の報も続々と耳に入ってくる。
そんな世の中に心を掻き乱される毎日に、豊かな食卓が一種のオアシスとなる。幸いにして、日常の食料品の買い物には今のところ支障を来してはいない。この平穏が崩れ去ったとき、私の心の安寧は消滅することになるだろう。
さて、東の方からカイワリを恵贈いただく。釣り人も人との接触を避けた結果、お裾分けの機会に窮しているらしかった。カイワリの旬は春だ。この魚は概して年中うまい優等生なのだけれど、その中にも旬がある。釣りものをきちんと処理してあるので美しい。半分凍った状態でやってきたが、せっかくのものなのでまずはと刺身にする。マアジやマルマジのように皮は手で剥いても、包丁で引いてもいい。
残りの分は煮付けなどにするにはもったいないから、酢締めとする。三枚におろした身(私は毛抜きで小骨も抜き取っている)の表裏に塩焼き程度の塩を振って、ラップをかけて一晩置く。今回は4匹分だったので、表裏で小さじに2杯分くらいだろう。朝になったら表面の塩を水で洗い流して、酢100cc、上白糖小さじ1杯、それに柚酢(柚子を搾って塩をわずかに加えて貯蔵した調味料)を25ccばかり加えて、これにカイワリを浸す。平たいバットにカイワリを身を下にして並べて注ぎ入れる。30分ほどしたらひっくり返して皮を下にして、空気がほとんど入らないようにピッチリと、魚に張り付くようにラップをかけて冷蔵庫に置く。8時間ほど、夜になったらこの汁をすべて切り、よく水気を拭き取ってからキッチンペーパーで包み、さらにラップに包んで冷蔵庫で丸1日置くとできあがり。ここから数日は食べられる。この日はマイワシ、ブリの刺身と合い盛りとなった。


頭や骨の部分も、もちろん余すところなく使いたい。普通の煮付けもいいけれど、今回は数があるのだし食べ飽きることを考えて、せんば汁とする。魚と塩を使った汁物には潮汁というのがある。これはもちろんうまいがきわめて繊細な料理であるのでアジやサバ、サワラなどでは一段落ちてしまう。ここでせんば汁のよさが生きてくる。
カイワリは4匹分、これにて四人前の要領で作る。カイワリの頭をふたつ割にして、中に残っている血の塊、汚れを根気よく掃除する。あまり水洗いするのはよくない。楊枝などでよく取って、最小限の回数洗う。水気を取ってから塩焼きの三倍くらいの塩を表裏と振り、3日ほど冷蔵庫に置く。よく塩が染み込んだ方がいい。鍋にたっぷりと湯を沸かして、沸騰したら塩漬けの頭と骨を放り込み、1分ほどで取り出し冷水にとる。今度は鍋に5カップほどの水を入れ、そこに頭と骨、しょうがひとかけ、酒大さじ2から3杯を加えて、中火で煮る。煮立ったらあくをとって、薄切りの大根を加えて10分ほど煮る。ここにほんだしを小さじ1、さらにそのときにある野菜を好みで、この日は万能ネギとまいたけを加えた。火が通ったらできあがり。きのこは香りが加わるのでおすすめだ。本来は、ほんだしを使わないで、きちんとかつおだしを引いたほうがいい。でも、たまには手抜きしないとね。


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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという