全国にはかつて、さまざまなどじょう汁があったけれども軒並み消滅の危機にある。その理由はさまざまながら、ドジョウそのものの減少がある。
たとえば福岡筑後平野を例に考えてみる。現在の筑後平野では一切のドジョウを目にすることができない。生息地は山間部や丘陵に限定されていて、それらが流れ落ちてやってくることはあっても、基本的にはただの1匹すら採れやしない。このため、当地でのドジョウにまつわる民俗的環境は一切消滅している。例えば、現在の久留米市のある集落では秋の大祭にどじょう汁を振る舞う慣習があったが、ドジョウが採れなくなり、しばらくは外から購入していたがついにはやめてしまったという。
さてではどのくらいいたのか、という統計的な資料は存在しない。ただし地道に聞き取りをしていくとそれが類推できるもとになる証言に出合うことがある。筑後川左岸の平野部、小さな未整備の田を持っていた方の話で、その田の中(実際にはそれを囲む堀も含むのだろう)だいたい毎月100匹くらい、4月から9月にかけて捕る。さらに稲刈りを終えてから溝でドジョウを掘るのでまた200匹くらい捕れる。これで800匹だ。また右岸平野部、ここは嘉瀬川水系にあたるけれども別の方の話として、田の隅の溝のところだけで毎週ドジョウを捕っていたという。どれくらいかというと、40匹くらい。つまり月に160匹だ。この田は現在もほとんど姿を変えずに残っているが、小さなもので、もちろん今ではドジョウは全く見当たらない。この手の証言の正確性の裏付けというか、まめさというのは、彼らがドジョウを餌にうなぎ、なまず釣りをしていたがゆえのことである。釣り針の数が決まっているから、おのずと数を勘定して捕まえるというわけだ。このような証言をもとに筑後平野全体を見通した時、そのドジョウ生産量はかなり少なめに見積もっても10トンを超えてくる。例えば、旧田主丸町だけでも田が1600haくらいあるので、田ひとつを40m四方と仮定すると1000万尾/年のドジョウ類が消滅したことになる。これでだいたい3トンくらいである。このような激減は筑後平野に限った話ではなくて、国内のドジョウ資源は相当貧しい。元に戻そうと思ったら農業の形を根本的に変えなければならないし、そうはならないだろうから、せめていまある共存地域を残してほしいと考えている。
さて今日はそんな悲惨なドジョウのことを思いながら、栃木から分けてもらったすばらしいドジョウを使って四国のどじょう汁の一型を作る。分量は丼鉢に二杯分。ドジョウ150グラムに酒を振りかけておとなしくなるまで待つ。ビニール袋に入れてやるとはね出すこともない。ここに粗塩をしっかり加えてよく揉み、何度か水洗いして表面の余計なぬめりを取る。完全には取れなくてもいい。水を切ったら小鍋に油を大さじ1、熱したらドジョウを加えて中火で炒る。ときどき鍋を振るとくっつかない。芯まで火が通ってくるとにおいが変わるので、そこでいったん擂り鉢に出し、骨もなにもかもそのままよく擂る。だいたい骨が当たらなくなったら鍋に戻し、水3カップを擂り鉢に少しずつ加えて中を濯ぐようにし、すり身がすべて鍋に入るようにする。弱火から火を沸かして、沸いてきたら豆腐半丁を崩しながら加えて、再び沸いてきたら小さいささがきにしたごぼう、輪切りのねぎ、みょうがなどの薬味、好みで唐辛子も加え、味噌60グラムを溶く。味噌は甘味のある麦味噌がいい。最後に素麺を半分に折って加え、火が通ったらできあがりとなる。