スキップしてメイン コンテンツに移動

台湾のサバヒーと粥

 サバヒーというのは日本では全く馴染みのない魚で、そもそも名前を知っていたとしても日本にも分布していることを知っているとは限らない。大きなものが見られるのはおおむね琉球列島だけで、その琉球列島でも本種は明らかにマイノリティである。サバヒーはおだやかな内湾から汽水域を好むので、沖縄島の例えば漫湖などでは小さな群れが見られることもある。

この魚の地位を国民魚と言って差し支えないほどに押し上げてきたのが隣国の台湾である。サバヒーの養殖自体は東南アジアのインドネシアやフィリピンでも粗放的な養殖が行われている。台湾ではかつて、天然の水産資源を枯渇状態まで取り尽くした時期がある。この頃盛んになったのがサバヒーの養殖で、もともとはウナギなどのように天然の稚魚を集めて池に放っていた(このようなスタイルの養殖は各地にある)が、完全養殖に成功してからは養殖量が飛躍的に増加した、という経緯があるらしい。特に養殖の盛んなのが台南周辺で、おびただしい養殖池を見ることができる。台南、台江周辺では、河口のデルタ地帯の地形をうまく利用して、埋め立てはそこそこに養殖池に転用することで生活の基盤を築いてきた。また台湾で確立した、魚類とハマグリ(日本のものとは種が異なる)の混合養殖は台湾の台所を支えている。いまでも比較的安く、庶民の手の届くところにハマグリがあるのはこの養殖産業のおかげである。

さて台湾のサバヒーはきわめて高品質で、非の打ち所がない。あえて言うなら腹のあたりには脂がつきすぎていて、食べすぎると胸焼けするくらいだろう。もうひとつ、この魚には多数の肉間骨があるという問題があって、食味の邪魔をする。それで台湾ではサバヒーを基本的に背の小骨の多いところ、腹の骨の単純なところ、あらや頭という具合に切り分け、部位ごとに売られていることが多い。それぞれに利用方法が異なるからだ。ただしサバヒーの専門店となるとこの限りではなく、丸の新鮮な個体をたっぷり仕入れて、次々に下処理をする光景に遭遇する。

さていいサバヒーを食べるためには、今のところ台湾に行くより方法がない。サバヒーは潰したてがもっともうまく、死ぬとすぐ劣化が始まる。日本でも一部で冷凍のものが売られているが、少なくとも汁物にしたいのであれば買うのは控えた方がいい。産地の近い高雄や台南ではサバヒーの粥を食べさせる店が無数にあって、一部はほとんどサバヒー料理の専門店である。サバヒーの粥は背の肉を擂り身にして使ったものがかなりあるが、本当に心から楽しみたいのであれば湯がいたほぐし身を加えている店を選びたい。この魚の肉はどう見ても白身で、ほのかに淡水魚のような香りがある。肉の柔らかさなど、まさしく淡水魚的というかもっとふわふわかもしれない。それでいてマグロなどを思わせるような酸味が含まれていて、食べるに飽きることがない。この酸味は擂り身加工をすると全く消え去ってしまうので、やはりほぐし身でないとサバヒーの真の面白さはわからない。

総合粥、というものを注文すると、サバヒー以外にも(店にもよるけれど)カキやエビ、豚肉や肉玉などが入ったスペシャルな粥が食べられる。油条(甘みのない揚げパン)を追加で頼んで、粥に浸して食べることも忘れてはならない。



このブログの人気の投稿

雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

秋になったら秋太郎

秋太郎という魚がある。鹿児島の秋告魚、バショウカジキのことだ。この魚はバレンと呼ばれることもあるけれど、たいていは秋太郎と名して流通している。この魚が店頭に姿を見せると秋がやって来たことをぐっと実感する。バショウカジキはフウライカジキと並んで安いカジキの代表のように思われているが、鹿児島では少しいい値がついている。この頃は福岡でも手に入ることがあり、流通に感謝するよりほかない。でも、さすがにワタは福岡ではお目にかかることができないから、やはり鹿児島へ行く必要がある。カジキのワタはうまい。 この日はたまたま、日本海の定置網に入ったマカジキもあったので、トビウオとともに3種盛りとする。秋太郎のサクには筋のように見えるものがあるけれど、マグロの筋と違ってほとんど気にならない。ねとっと、そしてさくっとした食感が新しさを物語る。脂のついたマカジキと、爽やかな秋太郎との対比がたのしい。 たくさん刺身を作ると余りが出る。この余り物はてこねずしとする。てこねの作り方はいつも通り。面倒なので手抜きした。さてそのてこねが余る。こういうことは間々ある。志摩ではてこねが余ったら、チャーハンか茶漬けと相場が決まっている。この日は茶漬けにした。熱いめのお茶をづけ身めがけてかけ回す。 てこねの茶漬けは生臭いので、刻んだしょうがを乗せて食べる。志摩人に言わせれば、生臭いのがこのてこね茶漬けの醍醐味なのだそうだ。