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ツバメコノシロの大陸的料理

ツバメコノシロはツバメコノシロ科という仲間のうちで日本でもっとも多く見られるもので、短い吻に小さな下顎、糸状に広がる胸鰭など独特な形をなす。もっとも多く見られると言ってもその分布は南日本に遍在している。近年、特にここ20年ほどに限定してみるとその確認範囲は着実に東へ、そして北へと上がっているようで、私が三重県で市場通いをしていた頃にも毎年定置網で混獲されていた。とは言っても採れるものはというと決まって100から150グラムそこそこで、それより小さいでも大きいでもなく、また採れるものも年に数匹程度なものだからたいていは標本にしていた。一度だけ、開いて干物にしたけれど特に味についての印象はなかった。ところが今年、店頭に見たこともないほどに大きなツバメコノシロが三匹も並んでいるところに遭遇した。福岡の海ではこれまでのところ、本種を見かけたことがない。この魚たちもよく見てみると鹿児島産のものであった。しかしそんなことはどうでもよく、明らかに扱いの悪くない、大きなツバメコノシロが、売れるはずもなくこちらを大きな眼で見ているものだから、買って帰らないわけにはいけない。

持ち帰って計ってみると600グラムを超える、本当に大型のもので、開くと大きな卵巣が出てきた。鹿児島では、もはや成熟個体が何匹も採れるわけだ。そうして持ち帰った2匹を、あれこれと調理したのだけれど鱗はタイのようにびっちりとしていてとにかく飛びまくるし、かといって肉の味はなんとなくボケていてまさしくニベ科のようだった。刺身、煮付け、塩焼き、マース煮、素揚げなどやってみたもののいまいちこれだと言えるものがない。そんな中できちんと、間違いなくベストだったのがやっぱり姿身の揚げ煮だった。これなど、東南アジアや中国南部で食べられる馬友魚の料理そのものなのであって、やはりツバメコノシロにはツバメコノシロなりの調理があるのだと実感する。

調理には特に難しい点はない。ツバメコノシロは鱗もついたまま半分に背割り、二枚おろしにして、背骨のついた側の方を使ってみた。まずは腹のところをよく洗い、エラもとって血をよく洗う。ツバメコノシロは血が多い。血の気が取れたら身側皮側いずれにも塩を振り、ざるに乗せてななめに立てておく。塩は塩焼きの三倍ほどで、しっかり振る。1時間もすると水が出てきてたまるので、表面をさっと水洗いして塩を洗い流し、しっかりと水気を切ったら(ペーパーで拭くと楽)1時間ほど陰干しする。これを古い油でそのまま揚げる。揚げる温度は少し低めにして、25分ほどかけて中まで火が通るようにして揚げる。大きいうえ骨があるので時間がかかる。二度揚げはしないで、そのまま冷ましてしばらく置く。

深鍋(中華鍋でなくても構わない)にしょうがスライス(皮つき)、にんにくスライス、青とうがらし好きなだけを加えて油で少しだけ炒め、ここに猪の煮汁、魚がかぶるくらい水を加えたら強火にして沸騰させる。揚げておいたツバメコノシロ、完熟のトマトをくし切りとパクチーの根を加えて強火のまま15分ほど炊き、さらにここにニラ、ねぎ、パクチーを加えて好みの時間煮る。味を見て、今回はほんのわずか(小さじ半分程度)のうすくち醤油で味を整えた。猪の煮汁は普通ないと思うが、猪のバラ肉をマース煮にした残り汁のこと。


鱗はやや厚いが、シャクシャクとした食感で鯉に似てとてもよい。うまさのまとまりという意味でも、鱗が飛び散らないという意味でもこれが結局最適解かと納得した。

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