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元号越しにそばを食べる

いよいよ改元、平成が終わって令和になった。自分の生きているうちに、このように祝意をもって改元を迎えられるのは一度だけかもしれない。そう思ったら平成最後の日にあたって、新しい元号を寿ぎ、これまでつとめられた天皇陛下に謝意を示しながら、この歴史的な日に、歴史の歯車として何かしないといけないのではないか、という平常ではない気持ちになる。このそぞろな気持ちから、我が家ではささやかな飲み会を催すことになる。それで、年越しそばならぬ元号越しそばである。
平成の天皇陛下は魚類学者として、ハゼの仲間のご研究を精力的に行われた。冷蔵庫を探ると晩秋に作ったウロハゼの焼き干しがまだ残っていたので、これと、焼き干しのフナ、昆布、干し椎茸でだしをとることにする。ウロハゼとフナは熱湯をかけ回し、表面の汚れを指の腹でこそげる。ボールに水とわずかの酒を張って、そこにウロハゼ、フナ、洗った干し椎茸と昆布を加えて一晩置く。


朝になったら椎茸を引き上げて、中弱火にかける。ゆっくりと沸騰させるのがいい。沸騰直前に昆布を取り出して、沸騰したらあくを丁寧に取りながら10分ほど煮出す。その後火を止め、魚を入れたままよく冷ます。これで汁の素ができあがる。
魚を取り出した汁を沸かして、沸騰したら火を止め、かつお節を少し振る。1分ほどでかつお節を濾したら、そこへ白醤油を少々とみりん、酒、塩で調味する。出し殻の干し椎茸は、同じく出し殻の昆布とともに煮しめておく。この日はフナのツメ(甘露煮を作った際に余った汁を煮詰めたもの)を水で溶いて、たまり醤油を少し加えたもので煮た。
そばを茹でて、茹で上がりが近付いたら汁にねぎを加えておく。もろもろを合わせて椀に盛ったらできあがり。


ウロハゼもフナも、本当にいいだしが出る。ウロハゼはマハゼにくらべると身が柔らかく骨は硬いので、出し殻を使って甘露煮を作るには向いていない。
我が国では各地で多様な焼き干し、煮干し、生魚を"だし魚"として利用してきたのだけれど、今は多くが下火になっている。一杯のそばを啜りながら、新しい世に生物多様性と、その恩恵たる食文化の行く末を想う。

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日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

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