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あらのあらで潮汁

あらという魚がある。標準和名の指すアラではなく、北部九州でハタ族(基本的にはマハタ属)を指す地方名だ。このあらの中でも、もっとも味のよいもの、本あらとも呼ばれるものがクエだ。
クエという魚はほとんど日本周辺に固有のもので、大きいものでは40キロ程度にもなる大型のハタ科魚類だ。値段も基本的には飛び抜けて高い。今や西日本では高級魚の代名詞的存在のひとつとなっている。そんなクエ(あら)のあら、要するに3枚におろして身の部分をとった残りの部分が、小振りなものながら破格の安値で売られていたのを買ってくる。悩んだ末に、まずは半分を潮汁に仕立てることにした。
あらのうち、うろこの残っている部分はすき引きしておく。すべて裏表に振り塩をして、10分ほど置く。これを沸かした湯に放り込んで、表面に火が通ったらすぐに冷水にとり、表面のぬめりや、固まった血、腎臓などをよく取り除く。水の中に昆布を入れて、酒を少々加えたものに湯引きしてきれいになったあらを加えて、ゆっくりと沸かしていく。沸騰直前に昆布を取り出して、中弱火にして根気よくアクを取る。最後にわずかの塩と白醤油(これは潮汁2杯分に対して小さじに1杯程度にする)で調味する。実にシンプルな料理なのだけれど、とにかく丁寧に、根気よくやらないと汁が濁ってしまう。濁ったものは潮汁とは言えない。


潮汁はまるで海水に魚を放り込んだだけ、のごとく、汁が澄んでいることが大事だ。繊細なうまみを味わうぜいたくさがある。私が潮汁を好んで作るのは他にマゴチ、マダイ、ヒラスズキ。
ところでこのあら、半分は潮汁に仕立てたものの、残り半分は湯をかけて掃除しただけで残してあった。これらについては、一切のアク取りをしないで、強い火で炊き込む。そうするとこのように、濁った、しかし強いうまみの野性的な汁ができる。


うまみが強い一方でクセも出るので、一長一短。だけど、それを押しても良いところも悪いところも、ぜんぶが濃縮されているということなので、これこそクエの味だと言えるかもしれない。この汁をご飯にマアジの刺身を数切れ乗っけて、七味と山椒を振りかけたものにかけ回して食べてみる。これはめちゃくちゃ、うまいですね。


北九州では古くは正月にこのクエ(あら)を食べる文化があったのが、一時まったくと言っていいほどに漁獲が激減して、それでこの文化はほとんど消えてしまっている。かわって1960年代後半以降、急激に養殖生産の伸びてきたブリにその座を完全に奪われてしまった(福岡も概ね同様だと思われる)。今となってはこのことを知る人もほとんどいない。

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