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ドジョウのころ炒り、どじょう汁、甘露煮

このところ訳あってドジョウの料理ばかりを作っている。今日はまずは三題を掲載。と言ってもいずれも素朴なもので、特にレシピらしいものではない。

●ころ炒り
ころ炒り、あるいは炒りころは香川の料理。いこい食堂で食べた味を思い出す。ドジョウは水からあげて酒か焼酎を振りかけ、大人しくさせる。とにかくよく暴れるので、大きめの袋に入れてからやるといい。大人しくなったら少しすすいで、それから塩を振って揉む。これで余分なぬめりが取れる(完全には取れない)。フライパンにサラダ油か米油を多めに入れて、ある程度熱したら中火程度でまずはドジョウをぱらぱらと放り込む。箸で触りすぎるとボロボロになるので、最低限、表裏、あるいは左右を数回返して火を通す。だいたい写真のもので4分くらい炒めればよい。ここに鷹の爪、ねぎ、水にさらしたごぼうのささがきを加え、火が通るまで炒める。このときもあまり箸でかき混ぜないように気を付ける。最後に塩コショウを少し振ったら完成。とても簡単にでき、しかもドジョウの味がよく分かる。


●どじょう汁
どじょう汁にはいろいろな作り方がある。今日はスタンダードな作り方。水にさらしたごぼうのささがきを、水から火にかける。沸騰したらドジョウを生きたままぱらぱらと入れる。入れた瞬間にドジョウが暴れて危ないから、ふたでカバーをしながらやふとよい。10分ほど煮たらねぎを加えて、味噌を溶く。この日は塩気の強い越後味噌。ドジョウは概して米味噌と相性がいい。味噌はわずかに濃い目に溶く。


●甘露煮
この日は京都や大阪で作られるような、その中でもあっさりとしたタイプにする。ドジョウは酒で大人しくしてからさっと洗い、胸のあたりから竹串を打って焼く。普通の魚焼きグリルで焼けるが、そのまま放っておくと丸まってしまう。強火で片側を少し焼いたら(表面が乾く程度)一旦取り出して、指か包丁の腹などを使って曲がったドジョウを真っ直ぐにする。それからもう片側も強火で焼いて、曲がったらまた真っ直ぐに直す。そのあとは中火で火が通るまで焼けばよい。焼けたドジョウは串から外して粗熱をとる。小鍋に薄口醤油とざらめ糖をだいたい等量加えて(計るのを忘れた)、あとは酒を半カップ、水を1カップ程度で煮汁を作る。沸騰したら焼ドジョウを加えて、中強火で15分ほど煮る。煮汁がほとんどなくなったら完成。冷ましてから冷蔵庫に入れておく。ざらめ糖はもう少し少なくてもおいしい。



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