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茨城でどじょうに出合う

茨城を初めて訪れたのは、忘れもしない2007年のことだ。このとき、私は恩師の家庭科教員の突然の訃報を受けて通夜に出て、涙を拭って喪服のまま東京へ行き、上野の東京文化会館で合唱全国大会に出場した。その後はよく覚えていないが、打ち上げを早めに中座して、深夜の東京でぼうずコンニャク氏と合流し、霞ヶ浦へと向かったのだ。はじめての茨城、霞ヶ浦の印象はまこと鮮烈なものだった。
さて今回の茨城はもう8回目(旅としては4回目)になる。茨城県というところは実に広くて、何度行っても飽きが来ない。しかも名物が納豆と干し芋、川魚ときている。私はおそらく、茨城県に住むべきなんだろうな。
いつもは南東の方ばかりに行くのだけれど、今回は成田から北上して、下館方面に出かけた。車の運転でお世話になったたいちくんには頭が上がらない。滞在中、たまたま空いた時間ができたので、下館のまちを散策して、飲み屋を探す。こういうとき、いつもなら魚のうまい店か、あるいは日本酒の充実した店を探すことが多い。ところが今回は茨城の、すっかり内陸のところであるので、魚は期待できない。またあちこち歩いてみると、どうも今風の飲み屋はほとんどないことに気が付いた。うーんと唸って、時間が止まっているかのような、下館の町を見渡す。あれこれ考えた挙げ句に、大きな赤い看板の店に飛び込んでみた。


ここに入ったというのも、店先に柳川鍋の文字面を見つけたからにほかならない。調理場をひとりで切り盛りされているようで、ぽつぽつとあれこれ注文してみる。





飲み屋に納豆があるというのは、茨城では普通のことらしい。このマグロ納豆、ビンナガがふしぎな形に切ってあり、ひきわりの納豆と絡みやすくなっている。
柳川鍋は薄味ながら、ドジョウの嫌みやぬめり感はなく、むしろドジョウのよさをはっきりと活かした味わいになっている。空揚げはひとくち食べてうまいっと唸るほどの出来映えだった。こんなにうまいものの文化を持ち合わせている茨城人がうらやましい。茨城にはいくつものドジョウを食べさせる店があるけれど、そのいずれもが県内産のものを使っている。中国から輸入されるものとは味が異なるので、茨城人はよく分かっているということが分かる。ドジョウを捕りつづけられる環境が末長く残ることを願うばかりだ。

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雷魚を食べる その1

日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

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