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ナマズのすっぽん煮

冬にはさまざまな川魚が体に栄養を蓄えて、そのうえ水のにおいもなくなってうまくなってくる。これは小魚も大魚も押並べて同じである。ナマズという魚もその例に漏れないものであって、皮下に黄色い脂の層がついてくる。こんなときがナマズの旬にあたる。


ナマズの肉は柔らかく、また脂が肉に差し込んでいかないから、本来ウナギのように蒲焼きに向いた魚ではない。一時は近大ナマズがウナギの代用品としてブームになりかけたが、ナマズはナマズ。ナマズにはナマズ固有のよさがある。
さてこの魚、かつては日本各地で主に煮炊き料理に使われてきた。そんな中でも関東にあるのがすっぽん煮というもの。すっぽん煮の云われにはすっぽんのように煮るから、などとあるが、実際のところはどうだろう。すっぽん煮にはいわゆる揚げ煮と、生から煮るもの、焼いたのを煮るものがある。共通しているのは酒をたくさん使って煮立てるというところで、他はかなり幅のある料理だ。ここでは、埼玉で食べたすっぽん煮を参考に、実際に作ってみる。
今回のナマズは40センチほどのもの。頭を包丁の峰で何度も叩いておとなしくさせ、首のところに背中から刃を入れて背骨に切れ込みを入れて、血を出す。下顎に目打ちを打って固定し、背中から開いて2枚におろす。頭はふたつに割りエラを取る。これを冷水に入れて、血が出なくなるまでよく洗う。きれいになったら塩を小さじに2杯程度加えて塩揉みし、水で濯いで塩気を落とす。
鍋に水2カップと酒1カップを入れて、ナマズを入れて火にかける。強火でがっと煮るのが重要。泡が吹いてあくが出てくるのでこれを取る。沸騰して数分したらざらめ糖を50グラム加えて、ごぼう、しょうがの薄切り、ねぎのそぎ切りも加えて、続けて強いめの火で煮る。沸騰してから16、7分、肉にほぼ火が通ったところで濃口醤油を好み次第で大さじ2から3杯加えて、2分だけ煮る。あとは皿に盛って完成。


工房うむきさんの鯰皿に持ってみた。鯰懲罰である。私が店で食べた味を再現するなら、ざらめの分量をさらに15グラムほど増やせばよい。店屋でいただいたものにはたっぷりとかつお節がかかっていたが、そんなことではせっかくのナマズが台無しになる。せいぜい山椒を振るくらいにしておくべきだろう。ナマズの質が良ければいやみもなく、ふわっとした仕上がりになる。皮の表面に粘膜がついていても、におうことはない。ただし、数日水道水で活かしてから使うこと。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

雷魚を食べる その1

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