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ドジョウでかけ汁

昨年の暮れから、ツイッター上での川魚の記憶拾いを始めた。最近ツイッターをしていて分かったことは、こちらから情報を流しておくと、そこに何らかの親近感、違和感、とにかく感情を抱いたひとびとがリプライをくれるということだ。そういうわけで、このツールを利用してあれこれと川魚の情報を集めている。私ひとりで見聞きできることは本当に限られているので、これはとても、ありがたいことである。
さてその記憶拾いのなかで、気になったのが岡山平野のドジョウのかけ汁だ。これはふなめしのような汁かけ飯であるけれども、味噌仕立てでたいへんうまいものらしい。短文のツイッター上で根掘り葉掘りと料理のポイントを訊ねて、この岡山の旅で入手した岡山産の天然ドジョウを使って、ドジョウのかけ汁を作ることにした。およそ2人分。
泥を吐かせた(実際には胃内の消化物を出しきった)ドジョウ120グラム(もっと多くていい)を水洗いし、袋に入れて酒を振りかけて大人しくさせておく。ゴボウ3分の1、にんじん30グラムは粗い千切り様にして、油揚げやナス2分の1本も同様にしておく。フライパンにごま油をたっぷり、大さじ2杯くらい入れ、熱したところにドジョウを生きたまま入れる。暴れて飛び出ないよう、また油が飛び散らないように蓋をする。ドジョウが動かなくなったら千切りした具材すべてを加えて3分程度炒める。油が全体に馴染めばよく、火が完全に通る必要はない。水をカップに4杯加えて、強火でふきあげたら中弱火に落としてそこから20分煮る。ドジョウが大きいときには、途中お玉で潰すように煮るといい。20分も煮ると肉がほぐれてくる。そこに味噌はよく擂った麦味噌と米味噌を半々、それぞれ大さじ2杯ずつ加えて、また5分ほどボコボコと噴き上がらない程度の火加減で煮る。茹でておいたそうめんに汁ごとかけ回す。最後にねぎを刻んで散らし、好みで七味などをかけて食べる。


香川のドジョウの打ち込みと、ころ炒りというふたつの料理のいいとこ取りのような味である。これとほぼ同じ料理は熊本にもあり、違いは豆腐の有無くらいだ(ナスを使うところまで同じだ)。ドジョウを味噌の汁にして、かつ麺類に使うという文化は、もしかしたら中国、四国、九州の各地に点在したのかもしれない。こういう日常の料理を記録するのは、たいへん難しいことだけれど、こういうものこそ記憶そのものが消失する前に聞き取って記録しておくべきなのである。


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わたしだ@nom5544さん、どうもありがとうございました。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという

雷魚を食べる その1

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