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岡山のドジョウで柳川鍋

ドジョウの定番料理といえば、やはりドジョウ汁と柳川鍋、ということになるだろう。いずれも一時は家庭料理の本にも載っていたほどメジャーなもので、日本各地で食べられていた。ドジョウが手に入っても、面倒が優先して唐揚げか汁にしてしまいがちになる。それでも本当にいい大ぶりのドジョウが手に入ることがあれば、そしてそれか冬場ならば柳川鍋をしたい。いいドジョウというのは、大きくて、かつ骨ばっていないもの。適当に太っているもの。今回の岡山のドジョウは、何に仕立ててもうまいだろうという上物だ。
私の場合、大ぶりのドジョウを1人前に8匹、ぜいたくに使う。ドジョウはビニール袋に入れて、泡盛を飲ませるとものすごく暴れるが日本酒を使うよりも早く扱いやすくなる。これを木の板に千枚通しで目打ちして開いていく。頭を右向き、つまり背中が自分の側に向くようにして、魚体の左側を上にして目打ちを目の直後に刺す。胸鰭の直後に切り目を入れ、背中から背骨に沿って開いたら、あとは背骨をざりざりと取る。尾びれ、頭を落としたらドジョウの開き身ができる。開いた身はさっと洗ってふき取り、皮をはじめ下にして素焼きする。焼きすぎてはダメで、7割がた火を通す。まだあたたかいものを新聞に包んで一晩置く。


柳川用の陶板鍋にかつおと昆布の合わせだしを1カップ、ここにうすいめのささがきにして、水にさらしたゴボウ20グラムほどを加える。溢れないように中火で煮立て、5分ほど煮てから薄口醤油とたまり醤油を各大さじ1、みりんを大さじ2杯加えて、そこにドジョウを皮を下にして放射状に並べて、弱火で10分ほど煮る。


ドジョウを入れるとあくが出るので、これを好み次第で取る。取らない方が野趣のある味わいになる。煮詰まってくるので水を少しだけ差す。最後に溶き卵をのの字を描くように中心から周囲に向かってかけ回し、少し箸でドジョウを引き上げてやると見た目が面白くなる。好みでねぎ(太い目がいい)と七味を振る。


柳川鍋にはもちろん、生の開きを使う方法もある。一度素焼きしておくと香ばしくて、また食感もひといき違ったものになる。面倒だけれど、年に一度くらい、いいドジョウがあるときならやってもいいなと思う。食べ終わったあとの汁はきわめてうまいので、もちろんご飯にかけて食べる。なお小さなドジョウならわざわざ開かないで、まるごと使った方がいい。

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