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ボラでカレーを作る

気温が高くなり、少しずつ色々な料理を作ろうという気持ちが戻ってくる。たなごの本が出版になった。このブログは本の感想を書くところではないのでこれは差し控えるが、どじょうの本、たなごの本ときて、次はなにかという話題にてぼらの話になる。ぼらの文化というのは実に広がりのあるもので、祭礼魚としての側面もあり、また各地に伝承されていた地域色の濃い漁法もある。もちろん食べ方も色々だ。からすみについては西からの伝播に思いを馳せる必要があるだろう。そんなこんなを考えているうちになんとなくボラが食べたくなってくる。今日はカレーだ。
冷凍庫からボラの半身を取り出して半解凍する。完全に解凍しない方が切りやすい。50センチくらいのボラ、この裏表に振塩して10分ほど置く。その間にほかのことを進める。
にんにくひとかけをみじん切り、乾燥唐辛子1つを粗く輪切りにする。たまねぎ1個は下半分をすりおろして、残り半分は上から見て半分に切ってから5ミリ幅に刻み、またそれを半分にする。セロリ2本は茎のところをすりおろす(葉はほかの料理に使う)。じゃがいも(メークイン)をひとつ、これは皮を剥いてからすりおろす。エリンギ2本は少し斜めにして厚さ1センチくらいに切る。フライパンにサラダ油を少し多めに敷いて、クミンシード、マスタードシードを弱火で2分ほど熱して香りが出てきたら、そこへにんにくと唐辛子を加える。にんにくに色味がついてきたら強火にして、ここに粗切りのたまねぎを加えて炒める。火が通ったらすりおろしのたまねぎ、セロリを加えて炒め、水気がなくなってきたらじゃがいもをすりおろしたものを加える。粘りが出るので焦げ付かないようへらでいなしつつ、少ない順にカイエンペッパー、クミンパウダー、ターメリック、コリアンダーの4つの粉スパイスを加え、水を2カップ加えたらへらで丁寧に混ぜる。ココナッツミルクを1パック(250cc)加えて、弱火にしてから10分ほど煮る。ボラの切り身は表面の塩気と、浮いてきた水気をしっかりと拭き取ってから、適当なサイズに切り分ける。背側と腹側とを切り分けて、2センチから3センチ幅くらいに切ったらいい。煮立てた汁の中にエリンギとともに投入し、火が通るまでまた10分ほど煮る。最後に塩小さじ半分と、はちみつ大さじ1.5で調味する。汁が煮詰まりすぎていたら、好みで差し水する。今回は途中で1カップ程度水を足した。最後に刻んだパクチーと、あとは橙の絞り汁を投入してできあがり。これで都合3人分くらいになる。作りすぎた。


ボラの肉は炊くと締まるので、このカレーに向いている。さごし(サワラの小さいもの)などでもおいしい。
自由にカレーが作れると、人生が一段と楽しくなる。そのためにはカレーはこうでないといけないという思い込みを捨てて、多様性を受け入れたほうがずっとずっと楽しいと思う。

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日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

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