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フナのあらは必ず汁

 大きなフナをおろすと必ずあらが出る。フナを捌いた経験があるひとなら分かるだろうが、フナは他の魚と比べてもあらの割合が大きい方で、しかも刺身などを取るために肋骨をすくととたんに肉が小さくなってしまう。これはつまり、あらの方に肉がつくということだ。あら汁にはマブナがいちばん味がいい。ただし、ゲンゴロウブナでも悪くはない。冬場、京都や滋賀の魚屋を覗くと、このフナのあらが置いてあることがある。もちろんあら汁や、大根と炊いたりするためだ。

さてここでは山陰の基本的な作り方を書き留めておきたい。あらとして汁に使今回のフナがだいたい1キロ100グラムの大きなもの。フナのあらは大きければ大きいほどうまい。頭、背骨、肋骨、浮袋、白子や真子(卵)だ。フナのあらは冷水でよく洗い、地が出なくなるまで洗う。頭は真っ二つに割っておき、背骨はあまり小さくしないで、三等分くらいにしておく。尾鰭は捨てる。肋骨のところは三等分か二等分に。刺身を作った皮が残っていれたらこれももちろん加える。卵は洗いすぎるとどんどん粒がこぼれていくだけなので、手に乗せてさっとすすぐ程度でいい。浮袋は刃を入れて潰し、半分くらいに切る。肋骨のところ、内側には黒い腹膜があるのでこれを指や包丁でこそげとる。

分量はだいたい四人分というか、四杯分となっている。鍋の中に昆布を10センチばかり、それと卵以外のすべてのあらを入れ、水1リットルを加えて中火にかける。かき混ぜたりしないで、じっと待つ。透明だった汁が徐々に白濁し、大量の灰汁がわき上がってきたところを待って、灰汁がほとんど出なくなるまで、だいたい5分くらい根気よく取りつづける。灰汁を取り終えたら少し火を弱めて中弱火とし、薄切りの大根を加えてさらに15分煮る。ここに米味噌80グラムを溶いて(今回はとんばらの普通の米味噌を使っている)、卵を適当なサイズにちぎって加えていく。あとは煮立たせすぎないように5分から10分ほど煮たらできあがり。ねぎや三つ葉、せりなどを散らすと美しくなる。少しばかり七味を振ってもいい。


ところがである。この汁が本当にうまくなるのは翌日なのだ。だから、まずは一杯飲んでから、残りを保存して、また翌朝に火にかけて、煮詰まりすぎていたら少々水を加えて、これをまた飲んでほしい。前日あっさりとしていた汁が、フナと溶け合うような味に仕立てあがっているのである。この写真もまた、翌日のあら汁である。今回はゲンゴロウブナだが、このマブナで作った汁を飲むと、あら汁という世界の概念を打ち砕くような感動がある。もちろん、いい場所でとれた、いい時期の、いいフナを使うことが絶対の条件だ。

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日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。 雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。 戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。 国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。 私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。 さて、とある氾濫原に魚

カワムツを食べる

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