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アユのたたき

 昔、解禁日と言えばお祭りのようだった。5月から6月にかけて、全国各地の河川でアユの釣り、あるいは網漁を含む漁全体が解禁される。アユは一年魚で、遡上期の春や産卵を迎える晩秋は多くの川で禁漁措置がとられている。人出がもっとも多くなるのは解禁のその日で、この日ばかりはと川の具合を見にアユ釣りに出かけるファンもたくさんいる。昔は今よりもっと川は開かれていて、解禁からさまざまな捕り方をさせてくれるところが多かった。それが友釣り一辺倒の規則に変わり、川から地域の人々が離れてしまったと思われる例は少なくない。まだ平成のはじめごろまではかつての風習、つまり、地域と川が一体としてあって、解禁日にみんな川に行って捕れたアユをその場で食べる、みたいなことが点々と残されていた。その川の食事においてメジャーなものはもちろん塩焼きで、そしてこのたたきである。

普通アユのたたきというと骨ごと味噌や薬味と共にたたいたもののことを言う。骨ごとたたくものだから解禁の頃の若鮎がいいのだ。実際、扱ってみると90グラムくらいが精一杯で、それを超えると骨の硬さが気になりだす。理想は70グラムくらい。昨年もアユを分けていただいた養魚場のものを今年も買ったので、これでたたきを作る。今回はちょうど90グラムのアユで、これを3匹使う。鱗をとってよく洗い、腹をとって頭を落とす。腹にある黒い膜と血をよくよく洗い落とす。この膜はフナなどとちがって柔らかく、すぐにとれる。味にはさして影響がないものだが見た目に影響する。生臭いのが苦手ならこのあと体表に塩をふって軽くこする。私はしない。

背びれと腹びれは付け根の骨ごと取り去り、体を厚さ2から3ミリ程度を目指して骨ごと垂直に切っていく。ごりごりと音がする。たまに少し太くなってもどうせあとでたたくものだから構わない。尾の付け根近くまで使える。切り終えたら少しだけたたく。次いで、薬味を刻む。みょうが二個、白ねぎ半分、青唐辛子ひとつをある程度細かく刻む。ここにコショウ味噌(唐辛子の混ざった味噌)と普通の米味噌を適当に加えて、全部を混ざるようにさっさとたたいて和える。とにかくたたきすぎてなめろうのごとくならないように注意し、時には優しくたたくようにする。この料理は骨と身のなす食感が大事だ。また味噌を入れすぎてもいけない。アユの味を殺してしまうからだ。熱い飯にたっぷり乗せて、がつがつ食べる。これだけ山盛り作ってもだいたい1回の食事でぜんぶ食べきってしまう。ただし、少しだけ残して翌朝の茶漬けにするとか、焼いて食べるのもいい。


川と地域との関係が希薄になった結果、ほとんど食べられなくなったたたきのことを思う。この料理は新鮮なうちしかできない。アユのほか、ウグイなどでもこの料理をするところがある。あったと言うべきかもしれない。


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