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サバヒーの話 その2

 さてはじめてのサバヒー体験のあとも、台湾での滞在は続いた。この時滞在していたのは台湾最南端の街、恒春にほど近い研究施設のゲストハウスで、しかし歩いて行けるような範囲にコンビニもなにもないから、朝は車で朝飯屋に出掛けて饅頭やサンドイッチを買うか、コンビニでおにぎりか。昼は弁当で夜だけは恒春まで出て飯を食べていた。恒春というのはそこそこの街で、田舎町ではあるけれどもとにかく飲食店の数はかなり多い。ただ何度も恒春に行けたわけではなくて、たしかこの時には一度しか行けなかった。滞在そのものがタイトであったし、相当多くの時間を研究に費やしていたためである。したがって夜も食べに出るというより屋台店で買ってきたおでんや串もの、ビーフンなどを食べつつ過ごしていた。ただ、このあと述べるとおりでここで二度目のサバヒーを食べた。

さて東港にはじめて出かけたのもこの時である。東港というのは台湾南西部にある鎮で、その名のとおり港から発展した街だ。台湾にはいくつかの巨大な漁業基地があるが、東港もそのひとつ。東港は流通基地という側面も持っているようだが、東港において主要な漁業は底曳き網、そしてサクラエビを主対象としたトロール漁がある。ただ一般の人々にとっては漁業基地というよりむしろ観光地として機能しており、それは日本の旧築地や境港などと同様である。トロール船が漁を終えて港にやってくるのが昼過ぎ、さらにそこからメインの積み荷を下ろして混獲雑魚を下ろすのは14時半頃になる。したがって車城の研究施設を11時頃に出て、途中道すがらお昼を食べて、東港へという算段だ。またある日は東港へ少し早めに着いて、ゆっくりと昼食をとってから混獲物を見ることになった。先に書いたとおりで水揚げ港の近くには大きな観光客向けの販売建物があって、なかにはところ狭しといった具合で小店が立ち並んでいる。多くは生鮮水産物を売る店なのだが干物や乾物、からすみといった土産物を売る店も多い。海鮮料理店もあり、ここでいくつかの海鮮料理と、チャーハンなどを食べることになった。東港の生鮮水産物店にもサバヒーはあった。ただし、売られているのはほとんどがサバヒーの頭の部分だけであり、それがたいへん奇異に感じられた。なぜ、頭だけ?身の部分はいったいどこへいったのだろうか。頭の部分はきれいに洗浄して丸いざるに上を向けて並べられており、それの光景が実に謎である。実際思い出しても写真を見返しても、本当にこの滞在時にはほぼ、頭しか売られていなかったようだ。そもそも、サバヒーを扱う店は2、3軒しかなく、一応毎回置いてはあるので珍しいというほどではないけれどもありふれているというわけでもなさそうだった。東港には多様な海産物が溢れており、結果的にサバヒーの立ち位置はそこまで重要なものではないのだろう、と思われた。実際後から分かることだが東港はサバヒーの養殖地である台南付近からはかなり距離があり、流通量は少なめなのだ。また市場内の料理店でメニュー表を見ても、サバヒーらしき表記は見当たらなかった。ある日の写真を見返したら一軒だけ、頭に加えて腹の部分を売っている店があり、ここでは腹の肉に内臓が付いた状態での販売だった。

定番の品としてのサバヒーの腹料理、煎魚肚を食べたのは恒春の海鮮料理店であった。見ると非常に単純なもので、三角形の腹の部分を焼いてある。見た目はサバの文化干しのようで、しかし大きく異なるのは黒い腹膜と、そのあたりに脂のほどけた汁が溜まっていることだった。勧められて食べてみると先の湯とは全く異なるもので、肉の味は見た目どおり、サバとかサワラに似ている。食感も干してはいないのに、なんとなく少し乾かしたようなかんじがある。これはかなりおいしいと思えた。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

魚滋会2025琵琶湖再び編

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