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淡水魚飲食旅案内の頒布@コミティア156

 淡水魚飲食旅案内は、もともと対面での頒布を意図して作成している。対面であること、にどのくらい意味があるか、それは私個人が勝手に判断すればいいことなのだが、どういうひとたちが手に取るか知りたかったし、普通は届かぬような思いもよらないところへと届けてみたいという気持ちがあった。

とはいえ私もそうそう時間をとることができないから、とりあえず関西、関東とひとつずつはイベントに売り子として出ることにしたのだった。東京へは、直接行ったわけではなくて、長野県でお世話になった飲食店に冊子をお渡しして、その旅の後半戦に位置づけた。関西コミティアと、東京で開かれるコミティアはまったく規模感が異なる。サークル参加数がそもそも3倍くらい?あり、来場者数も多くなる。そういうわけで思ったよりもたくさんの部数を持ち込まないと、時間が来る前に品切れになっては申し訳が立たない。そう考えて少し多めに会場に送ってもらっていた。

前回の反省を活かしてレイアウトを変え、冊子は潔く机の上に横向きに2列、平積みすることにした。それはよかったのだが、会場に着いて分かったのは今回評論ジャンルと旅ジャンルが会場内で大きく離れた場所に配置されていたことだ。我々の冊子は評論でもあり、旅でもあるので、おそらくは旅ジャンルと親和性が高い。それが物理的に離れているのは不利に感じた。

さらに、開催時間が1時間長いとはいえ、これだけのサークル数を見回るのはかなりたいへんだ。おのずと、目当てのサークルを事前に詳細にチェックしておき、次々に直行していくスタイルになっていくのだろう。関西コミティアではいた、なんとなくふらふら歩いているようなひとたちの割合はとても低かった。そういうわけで、思っていたような、縁もゆかりもないような方へ届けてみたいというふんわりした試みは、あんまりうまくいかなかったように思う。

それでも、ブースにはたくさんのひとたちが来てくれて、色々な話もできた(その余裕が思いがけずあった)。とにかくおなかが空くので、差し入れの数々もとてもありがたかった。私自身にとってはあちこち見て回る時間が生まれたので、気になるものをたくさん入手することができた。

夜は吉池で一通り水産物を見てから、東北料理屋でお疲れさま会。これにて私の同人誌即売会参加というイベントはいったんのおわりをみた。


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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

魚滋会2025琵琶湖再び編

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