福岡や佐賀では冬になると高菜を植えている家が多い、ということは歩き回ると分かってくる。小さな家庭用の畑に、何列も植えている家もあって、それはもっぱら高菜漬けを仕込むためだ。とは言え高菜漬けになるような大きな株になるまでの間、少しずつ若い菜を食べていく。若い人のことは知らないが、少なくとも今も年寄りはそうしている。高菜は渋みと辛み、要はクセがあるので、炒めて食べるか、もしくは煮て食べる。煮て食べるにしても一回さっと湯に通しておくと食べやすくなる。 この若い高菜のある時期に、高菜を「川のもんと炊く」というのは誰からともなく聞かれる言葉で、たしかに個性のある川のもんとの相性はいい。ここで言う川のもんとは、オイカワやフナや、あるいはテナガエビやモクズガニのことで、こうした生き物がちょうどこの時期の堤返しや、水落ちで捕れた。今はそうした慣習もほとんどなくなり、高菜は海魚や油揚げと炊かれている。 モクズガニの雌が手に入ったが美しい川で捕れたものではないので、塩茹でで食べるのは躊躇した。そんなタイミングで若い高菜を見つける。カニは持ち帰ってチョロ流しの水道水で1時間ほど泳がせてから、熱湯に放り込んで殺して、1分ほどでざるにあける。熱湯に放り込むと、一気にバラバラ死体になる。ふんどしを外し、甲を開いてエラだけを取る。ここまでしたら鍋に戻して水から中火にかけ、沸騰したら少しだけあくをすくって10分ほど炊く。好みの醤油を少し加えて味を付けたら、高菜を加えてしなっとするまで炊く。汁は多めで、煮物と汁物の役割を兼ねるようにする。汁にカニの油がたんと出て、それを吸った高菜がうまくなる。
ツバメコノシロはツバメコノシロ科という仲間のうちで日本でもっとも多く見られるもので、短い吻に小さな下顎、糸状に広がる胸鰭など独特な形をなす。もっとも多く見られると言ってもその分布は南日本に遍在している。近年、特にここ20年ほどに限定してみるとその確認範囲は着実に東へ、そして北へと上がっているようで、私が三重県で市場通いをしていた頃にも毎年定置網で混獲されていた。とは言っても採れるものはというと決まって100から150グラムそこそこで、それより小さいでも大きいでもなく、また採れるものも年に数匹程度なものだからたいていは標本にしていた。一度だけ、開いて干物にしたけれど特に味についての印象はなかった。ところが今年、店頭に見たこともないほどに大きなツバメコノシロが三匹も並んでいるところに遭遇した。福岡の海ではこれまでのところ、本種を見かけたことがない。この魚たちもよく見てみると鹿児島産のものであった。しかしそんなことはどうでもよく、明らかに扱いの悪くない、大きなツバメコノシロが、売れるはずもなくこちらを大きな眼で見ているものだから、買って帰らないわけにはいけない。 持ち帰って計ってみると600グラムを超える、本当に大型のもので、開くと大きな卵巣が出てきた。鹿児島では、もはや成熟個体が何匹も採れるわけだ。そうして持ち帰った2匹を、あれこれと調理したのだけれど鱗はタイのようにびっちりとしていてとにかく飛びまくるし、かといって肉の味はなんとなくボケていてまさしくニベ科のようだった。刺身、煮付け、塩焼き、マース煮、素揚げなどやってみたもののいまいちこれだと言えるものがない。そんな中できちんと、間違いなくベストだったのがやっぱり姿身の揚げ煮だった。これなど、東南アジアや中国南部で食べられる馬友魚の料理そのものなのであって、やはりツバメコノシロにはツバメコノシロなりの調理があるのだと実感する。 調理には特に難しい点はない。ツバメコノシロは鱗もついたまま半分に背割り、二枚おろしにして、背骨のついた側の方を使ってみた。まずは腹のところをよく洗い、エラもとって血をよく洗う。ツバメコノシロは血が多い。血の気が取れたら身側皮側いずれにも塩を振り、ざるに乗せてななめに立てておく。塩は塩焼きの三倍ほどで、しっかり振る。1時間もすると水が出てきてたまるので、表面をさっと水洗いして塩を洗い流し、しっかり