スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

たこ

半夏生が近い。関西には半夏生にタコを食べる習慣がある。この由来はともかくとして、関西でもこの習慣を持っていたのは一部の地域でしかないし、タコのような天然由来の資源を、よもや全国で統一して半夏生に売り出すような馬鹿げたことは本当にやめるべきだと思っている。半夏生の7月2日に、大量に店頭に並び、また廃棄されていくタコの身にもなってほしい。 さて、私はこれまでに半夏生にタコを食べたことはないし、そもそもほとんどタコを買うことがない。茹でた足は割高で、しばらく自分で捕って食べる生活をしていたせいかその割高感からどうしても抜け出せない。また茹でた足にはいいもの悪いものが玉石混合で、素人目には見ただけではこれがいいものなのかどうか判断しかねる。そういうわけで、滅多に買うことはなく、また飲み屋でも一定の警戒心をもって食べるのがタコということになる。 この週末にスーパーに出かけてみたところ、まだ生きている地ダコが比較的安価で売られていた。少し離れたコーナーには同じタコを茹でた足が置いてあるのだけれど、この足が生のものの5倍くらいする。生のものからこれだという個体を選んで分けてもらい、持ち帰って下処理する。 タコは包んでもらった袋のままで、塩を大さじ1杯加えて、袋の外からよく塩揉みする。からだのぬめりが出て白濁してくるまで、足も頭もよく揉み込んだら、カネのザルに出してざるに押し付けるようにして水洗いする。冷めにくい厚手の鍋に湯をわかして、茶葉ともにタコを茹でていく。頭を持ち上げて足の先をちょん、ちょんと湯につけるとくるくると巻き込んでくる。足の3分の1くらいまで巻いてきたらそのまま湯に全体をつけ、一旦温度の下がった湯をわかす。そこから弱火で5分煮て、火を止めたら箸で上下をひっくり返して10分置き、ざるにとって自然に冷ます。これがだいたいいつものやり方で、自然に冷まさずに冷水で急冷してもいい(多少食感は変わる)。 タコは茹でたてもうまいし、また冷めてから半日ほど冷蔵すると味が落ち着いてまたひといきうまくなる。茹でたてのものは適当にそぎ切りにして、また塩揉みもしないきゅうりとともに千鳥酢をかけては食べる。 頭の部分はなにかの煮物用に冷凍しておき、残りの足は3日以内に食べきってしまう。足のところも冷凍するなら、生のうちに切っておいて、茹でずにそのまま冷凍することをおすすめ...

イノシシの肉がすき

本当に暑くなってきてしまった。地球は今後も暑くなりつづけるという。どこかでいくらかの生物は淘汰されていくことになるだろうし、私にもその危険がある。 さて、先週はフォロワーのけもさんから、陣中見舞い的にさまざまな食材を恵送いただいた。そのうちに実に良質なイノシシの肉があった。私がイノシシのすばらしさを知ったのは、シゲさんのお爺さんのとったものを食べさせてもらったときに遡る。実に15年も前のことになる。おっかなびっくりな私に、シゲさんは普通の肉みたいに焼き肉にして食べると教えてくれた。それまでは、イノシシの肉は味噌のぼたん鍋にして食べないと臭くて食べられないと聞かされていた。しかしこれは明らかな誤りであって、塩コショウだけでホットプレートで焼いたしし肉は忘れ得ないうまさだった。あれは処女雌だった。それからというもの、幾度となくイノシシを食べ、その質のばらつきに毎回の発見がある。 さて、今回のものは封を切って匂いを嗅ぐだけで明らかに質のいいものだと分かる。まずは何の工夫もなく、玉ねぎと空芯菜と塩コショウで炒めてみる。これがとびきりのいいものだと分かる。逆に言うと、全くクセのないもので若干の物足りなさすらあるものだった。そこで、残りについては香り付けした湯で湯引きと、そして時雨煮を作ってみた。ここでは時雨煮について書き留めておきたい。 時雨煮にもさまざまなスタイルがあるだろうが、今回はとにかく肉のよさを活かしたい。水1カップ半に新ゴボウ1本を粗いささがきにして加え、火にかける。新ゴボウはあくが少ないので、ささがきにしたらさっと水洗い程度で火にかけていい。中火で煮たったら少しだけ火を弱めて、15分ほど煮る。ここへざらめを大さじ1加えて、また5分煮る。酒1カップを加えて火を中火に戻し、煮立ったところへイノシシのロース肉200グラムの薄切り肉を粗切り、しかしほとんど切らないで少しずつ落とし、箸でほぐしながらそのまま火を通していく。あくはとらないこと。火が完全に通ったところでたまり醤油(本式のもの)を大さじに2杯加えて、火を中強火に上げて3分ほど煮たら火を切って冷ます。これでできあがりとなる。あくをとることの目的は、ひとつには汁を濁らせないことであり、もうひとつには雑味を取り除いていくという点にある。肉がいいものなら、あくとりはしない方がいい。 一晩寝かせるとすばら...

若あゆで背ごし

ついに福岡にも梅雨本番がやってきた。今年は異常豪雨がないことを願うばかりだ。 さて、魚の背ごしという料理がある。背ごしとは魚を背骨のついたまま、薄い筒切りに仕立てるもの。背ごしになる魚は実は色々いて、ローカルではアジ、イワシ、タチウオ、カマス、エソ、カワハギ、ウマヅラハギ、ヒラメ、フナ、ヤマメといった魚の背ごしを聞き及んでいる。エソの背ごしは茶漬けにすると良いらしい。この料理にとってもっとも重要なのは鮮度で、一般に刺身にするものよりも新鮮なものでなければならない。特にエソについては死ぬとすぐに肉が柔らかくなり、臭いが出てくるから、とりたてのものでないといけないという。尾鷲の漁師はタチウオの背ごしが好物で、定置の水揚げ場でもときたまおやつ代わりの背ごしを作っているひとがいる。 昨日は定番のアユの背ごしを食べた。背ごしは生食なので、天然のものの場合横川吸虫のリスクがある。横川吸虫については多くが無症状、あっても下痢などの症状が出るくらいなので私は気にせず食べているが、ふつうは養殖のものを使った方が安全だ。ただし、背ごしに向いているのはやや小振りな50グラム程度の若あゆである。 アユは鱗を落としてから頭と、腹を縦に割いてハラワタをとる。頭は煮ても焼いても食べられるし、ワタはうるかにでもしたらいい。ボールに氷水を作り、この中で腹の黒い膜や残った内臓、背骨の裏側にある血を指で優しくこすり落とす。 背鰭を根元から切り取ったら、頭の側から幅2ミリから4ミリ程度で筒切りにしていく。厚い方が私は好きだ。私の場合、臀鰭のつけ根あたりまでを使い、そこから後ろは背ごしにはしないで、別の料理に使うが、最後まで背ごしにしてもいい。 ボールに氷水を作り、そこに塩を加えてアユの肉をさらす。塩気は10‰くらいがよい。10分したらザルにあけ、塩気のない氷水に放ってから再びザルにあけ、キッチンペーパーで水気をとる。これを皿に盛ればできあがり。全く簡単な料理だ。 好きならそのまま食べてもうまいし、たで酢や柑橘酢、ポン酢もいい。酢味噌はもちろん、甘みを加えた赤味噌につけて食べるのも悪くない。また薬味となるミョウガや刻んだ大葉、たまねぎ、きゅうり、ハスイモなどと食べるのもいい。暑い時期に飽きの来ない食べ物だ。

時には深夜のケチャップライス

だんだんと暑くなってくるこの時期は、食、特に夕食が乱れがちになる。量も毎回ばらばらになるし、今日は食欲がわかないな、と思って少なめで済ませてしまうと、ほんの2時間後くらいに急激になにか食べたくなってしまうこともある。きっと体にはよくないのだろう。 そんな折りにふとケチャップライスが食べたくなる。私はケチャップライスが好きだ。こういうときのために必ず冷凍庫には冷やご飯が入れてある。2人前の米に、玉ねぎ半玉のみじん切り。明宝ハムを6センチばかり切ってやり、幅1センチにスライスし、適当に角切りする。フライパンに気分によってちがった油をひく。サラダ油、オリーブ油、バター、マーガリン、鶏油、ラード。こんな選択肢の中から気分しだいで選んでいい。この日は鶏油を大さじ4杯ほどで、玉ねぎ、明宝ハムを炒める。そこへ冷やご飯を加える。冷やご飯はまだ冷たいところがある程度にレンジで解凍して、ボールに出して、ここへ柚酢を大さじ2ないし3杯あえておく。これをフライパンに放り込んで、すぐにケチャップを注いで炒め始める。ケチャップははじめから入れすぎないで、入れる予定の半量程度をまず加えて、様子を見た方がいい。ここに七宝タカラソーススーパーを大さじ1杯。塩コショウ少々で中火でほぐすように炒めていく。白いだまがなくなってきたら、味見をして、またケチャップを足して少し炒める。ケチャップは量らない主義なのでどの程度入れたかは分からない。夜食に作るときには少なめ、あっさりと、逆に昼飯にするときにはケチャップを多くする。もちろん、ここへ大好きな粉チーズをこれでもかと振り、さらに粗びきコショウもかけてみる。私はチャーハンは鉄のフライパンで作るけれど、ケチャップライスはゆるゆると炒めたいのでテフロンのものを使う。 料理の味付けというのは決まりきったものでなくていい。基本の順番や入れるものだけ覚えておいて、あとの量はその日の気分や体調、シーンに合わせて緩やかに変えていいものだ。自炊なのだから、そのときどきに合った最適なものを作る方が楽しいし、自然体ではないだろうか。

若あゆの姿ずし

6月になるとアユの漁が解禁となる。早い県では5月半ばからというところもあるだろう。福岡県の場合、筑後川水系だけが一足早く解禁となり、そのほかについては6月1日となっている。これは漁業権の有無に関係ない。 解禁の頃のアユは、少なくとも天然遡上のものについてはまだほとんどの個体が小粒で、塩焼きとするには少し物足りない。なんとなく泳ぎにもまだたどたどしいところがある。こういう小振りなものは天ぷらや背ごしにするのが定石だけれど、姿ずしもいい。 よく冷やして持ち帰った採れたてのアユの表面を軽くすすいで、背から開いていく。内臓の部分はできるだけ傷付けないようにして取り去り、また背骨も取り除く。これをよく冷やした水ですすいでから塩をして冷蔵庫に一晩置く。塩の量は塩焼きの5倍くらい。皮を下にしたほうがいい。今日は6尾作る。 一晩置いたアユを水ですすいで、表面の塩気を洗い流す。米酢と柚酢を等分で割って、200ccをアユを広げたバットに注ぎ、上からラップをかけて冷蔵庫に1時間半から2時間置く。汁気を切ったら残っている汚れ、血やエラのところを取り除き、開いたままで重ねて、キッチンペーパーでぐるりとくるんでからラップに包み、また冷蔵庫に半日寝かせる。 米の量はどのような形の姿ずしを作るか、によって大きく異なる。今回は1合半もあればよい。米は研いでから30分吸水させて、少し少なめで炊飯する。1.2合分くらい。柚酢と米酢を等分で割って70ccとし、ここに上白糖を大さじ1杯。あまーくする。この合わせ酢を炊きたてのご飯に合わせていく。切るように混ぜること。人肌以下にまで冷ましてから、手水(酢と水を半々で割ったもの)をつけて笹舟形に酢飯を握り、その上にアユをあわせていく。ちょうど人差し指と中指を使って、アユを縦に挟み込むようにして合わせるとよい。大アユだと手の平のうえでは入りきらないので、酢飯のたわらを巻き簾の上に作り、そこにアユを乗せて巻き固めることになる。 皿の上に泳がせてみる。姿ずしはそのまま食べてもいいし、二杯酢をかけても、醤油を垂らしてもいい。頭の部分は飾りなので、もったいなければ残しておいて焼いて食べるといい。今回のアユには個体差があり、おそらくよく藻を食んでいるものはうまかったけれど、そうでないものに川臭さがあった。これもまた、捉えようによっては天然の醍醐味と言えるだ...

カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

日本人のふつう

このブログはツイッターのメモとしての役割を担っている。昨日はこんなツイートと、それに対する種々の反応を見た。 https://togetter.com/li/1516776 ツイートの埋めこみってのをやってみたかったのだけれど、うまくいかなかった。ちょうどいいところにまとめられていたのでリンクを転記。 さて、いつからこんな不思議が普通になってしまったのだろう。昨日呟いていたとおり、われわれ日本人もつい最近までは毎日ほぼ同じものを食べていた。昭和40年代まで、毎日ちがうものを食べるというのは明確なぜいたくだった。そこに総中流ってのがあって、みんながそれを目指した結果として、今があるのだ。給食の影響という声があるがこれはあまり正しいとは言えない。今のようにある程度毎日メニューが変わる給食になったのは昭和40年代以降、ほとんど今と同じになったのは米飯給食の始まった昭和50年代以降で、戦後すぐの頃には毎日パンと脱脂粉乳だった。われわれ自身の努力によって毎日ちがうものを食べるという食習慣を獲得したわけだ。1日朝昼晩の3食、あるいは朝食抜きで2食という習慣だって、最近広く定着したものだ。それまでは1日1食というひとびともそれなりにいた。このような食習慣の激変がいま、かえって重荷になってしまっているというのはたいへん皮肉な状況にあると言える。だって、われわれ自身が望んでこれを獲得してきたのだから。 農文協の日本の食生活全集には、取り上げた地域での農事歴などに加えて、各季節の朝食、昼食、夕食の例がたいてい写真付きで紹介されている。これを読んで最初に感じたのは、日常(ケ)の食事例が各季節につき一例ずつしか載っていなかったがゆえの物足りなさだ。最初に受けた印象は、全く平成を生きる日本人としては当たり前のもので、すなわち例が少なすぎる、もっと他にも例を詳しく載せてくれというものだった。しかしそれは全く見当違いな、的外れなわがままだったことがしばらくして分かった。そもそも各季節の食事は一例を掲載すれば十分な多様度だったのだ。現在の給食の毎日の転換を10段階の8とするならば、昭和30年代以前の毎日の転換はせいぜい1か2、あるいは0だ。転換の要因となるのはこの国の気候風土による生物資源の特徴で、天変地異が多すぎるし、平野が少なすぎる。単一のものに依存するとあっという間に飢餓を迎えて...