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鯛めしの焼き飯

 鯛めしのシーズンが近づいてきた。私のなかでは、鯛めしは初夏から秋までの料理で、春に卵を産んで体力を使い果たしたタイが、徐々に調子を戻してくる。こういう時期に鮮魚店やスーパーの店頭でいいタイをぽつぽつと見るようになって、自然と今日は鯛めしだな、とその気になっていく。 今年も五智網が解禁になり、玄界灘のタイが溢れ始めた。まだまだというのを分かっていながら、1キロ弱のものをひとつ買って、食べてみる。やっぱりまだ水っぽくて、本調子にはなっていなかったけれど、これをいつもの方法で鯛めしにした。その作り方については、前に記事にしてあるものとほぼ同じである。 https://kirimitoryouri.blogspot.com/2019/08/blog-post_7.html?m=1 さて、たいてい鯛めしなんてものは一度に食べきってしまうものだから、余ったりすることはない。私など、鯛めしを炊いたらまず茶碗に2杯、翌朝にもう1杯(茶漬けにすることもある)、さらに弁当にいれたらあっという間になくなってしまう。それでもわざと余らせてでもやりたいのがその焼き飯である。 作り方にコツなどなく、いたって簡単なものだけれど一応ここに概略を書いておきたい。材料は残りの鯛めしと卵、1人分なら1個あればいい。鯛めしはラップに包んで、冷蔵庫で冷やしておく。フライパンにサラダ油か、好みで少々のごま油を加えておいてもいいけれど、少し多めに加えておいて、十分に熱してから目玉焼きの要領で卵を割り入れる。ある程度火が通って、端の方がかりっとした目玉焼き的になってきたところで鯛めしと、バター大きめのひとかけを投入する。すぐさまへらで黄身を潰しながら中強火で、ご飯の塊を潰してはほぐす(へらの角のところで押さえるようにするとほぐしやすい)ことを繰り返しつつ炒めていく。塊もなくなり、ご飯がしっかりパラパラになったら粗びき胡椒を振って、また味気が足りなければ少量の塩コショウを足してもいい。このために生まれてきたのか!鯛めしは!という味。

茶粥のこと

 私はよく茶粥を食べる。とは言っても朝の余裕のないことだから、実際には月に2、3回の程度で、茶漬けと同じくらいである。 はじめて茶粥の話を聞いたのはもう20年も前の愛知県西部、蟹江町でのことで、少なくともこの当時はまだ茶粥の食習慣を残しているひとたちがいた。蟹江のひとは茶がすきだ。蟹江から津島にかけての地域では野点の習慣があり、もちろんすべてでは農作業の合間に畦道に座って抹茶を楽しんだ。蟹江の本町筋やそのまわりでは、ふなみそを炊くときに茶を使うのが主流である。他方、茶粥、こめぢゃには普通の茶ではなくて、カワラケツメイ(こめぢゃの葉)が使われるのが特徴だ。しかもこの文化は蟹江の町筋ではなくて、かつての漁師町、舟入のあたりが主である。伊勢湾の沿岸地域には各地に茶粥の文化がある、あったことが分かっているけれども、蟹江はその最北端にあたる。カワラケツメイは攪乱のおきやすい河原や、河川堤防のようなところに生える野草で、かつて木曽川の分流、あるいは元々本流であった蟹江川や善太川を擁するこの町の周辺でも採取できたのだろう。実際に、この草を専門に食べるツマグロキチョウが昭和40年代まではたくさんいたらしい。もちろん今は川に河原などないから、たまに家の新築などで地面が露になったときなどに少しだけ生える程度になっている。 蟹江での茶粥の原体験があり、その後各地にさまざまな茶粥があることを知った。茶粥の本流は関西であって、そこでは今は番茶が使われている。でも、弘法茶と呼んでカワラケツメイを使う地域も残っているらしい。そもそも、番茶とケツメイ茶は風味がよく似ていて、栽培しやすい番茶に少しずつ置き換わった結果なのではないかと思う。私は、今の家ではケツメイ茶と番茶、どちらも使っている。青森には今もカワラケツメイの茶粥があるらしくて、これも一度食べてみたい。佐賀には粉茶を使った茶粥がある。これには手早くできる利便と、粉茶を無駄にしないようにするという知恵があったのかもしれない。今ではそこそこいい茶を使うのでおいしい。 さて、番茶を使った基本的な茶粥、手抜き茶粥の作り方を書いておきたい。1人前がだいたい米0.3合。これをよくよく研いでから、小鍋(本当は少し大きめがいい)に水2.5カップ、それと一度出したあとの番茶のティーパックを加えて強火にかける。このティーパックは1人前のものではなくて、...

九州らしいたけのこごはん

 私はとにかく炊き込みごはん、まぜごはんがすきで、毎月のようにさまざまな炊き込みごはん、まぜごはんを作っている。子供の頃には栗ごはんが大好きで、もちろんたけのこの入ったごもくごはん(我が家ではそう呼称していた)もすきだった。きらいだったのは豆ご飯。しかしこれも中学に上がる頃には香りを楽しめるようになった。 さて、今年はなかなかたけのこが食べられずにいたところ、園芸料理人氏から茹でたばかりのものをお恵みいただいた。たくさんのたけのこが手に入ったら、やっぱり若竹煮、そして、炊き込みごはんを作りたい。この日は遠方から知人が来ていたので、ようこそ福岡へ!ということで、福岡らしい味つけとする。 たけのこは根元の方が硬くて、先の方が柔らかい。大きなたけのこの根元と先を半分に切り分けて、前者は横方向に薄く刻んでから幅1センチほどに刻む。後者は縦に、たけのこの内側の層がのこぎりの歯のようになる形で、厚さ5ミリ程度にする。大きめの方がぜいたく感が出る。冷蔵庫に椎茸があったのでこれも、三個を半分にしてから薄く刻んでおく。米三合を研いで、2合分の水を加えて30分待つ。その後、本だしを小さじ2分の1ほど加えてさっと混ぜる。 米の上に椎茸、たけのこと加えたら、ニビシのうまくち醤油を大さじ2杯、みりん大さじ4杯、酒大さじ1杯も加える。かき混ぜなくてもよくて、のの字を描くようにしてそれぞれ加える。早炊きモードで炊いて、炊き上がったら三葉1束を刻んだものを手早く混ぜ込む。 私の普段作るものとちがって、九州らしい甘さが乗り、色味も濃いタケノコご飯。半合くらいもち米にしてやるとおこわっぽくてこれまたおいしい。

イダの味はアジに似ていた

 川魚にも西高東低がある。これはすなわちオイカワの利用のことである。そもそも、オイカワは西日本を中心に自然分布する小魚で、本来東北地方などには分布していなかった。逆にこれが東高西低となっているのがウグイだ。 九州には全域にウグイがいるわけではない。ウグイのみられるのは、有明海、八代海に注ぐ大河川、その南の川内川、大分県山国川から宮崎県にかけての範囲で、玄界灘では唐津湾に注ぐ河川にいる。ただし、再生産がはっきりと確認されているのは現状松浦川だけだ。筑後川や矢部川ではオイカワを好んで食べるけれども、イダことウグイは小骨が多い、まずいと言ってほとんど食べていない。網にかかっても捨ててしまう。宮崎県に流入するいくつかの河川や、川内川ではウグイをタンパク源として食べていたが、これもいまは誰も食べていないだろう。 そんな中で、最近までこのウグイが好んで食べられていたのが松浦川である。松浦川では、産卵のために海から上がってくる回遊型のウグイを、人工産卵床を作ってトン単位で漁獲していた。ウグイとアユを主な漁業権対象種とした、内水面漁協も存在していた。ところが、90年代に入ってから漁獲量が明確に減少し、漁協も解散。最後の捕獲者がこの世を去ったことで、このイダの食文化は完全に潰えてしまった。とれない魚の食文化は維持できない。 ウグイは産卵のためにきれいな小石の瀬を利用する。松浦川では小礫の減少がつづき、今や岩盤ばかりになってしまっている。それでいて濁った水が川を汚している。こんな風ではウグイが健全に卵を産めるはずもない。もはや、ウグイが存在するかどうかも分からない。伝承によれば、イダ嵐という春の南風の嵐と、大雨のあとにイダがやってくるという。昨年は一度もウグイを見つけられずに終わってしまったイダさがしに今年も懲りずに挑戦し、ついにイダ嵐の翌々日、川の中にイダの小群を見つけることができた。そのときの興奮と感激は、冷静に言語化することのむずかしいものだった。 イダは刺身、皮の湯引き、あら汁、またイダめしなる炊き込みご飯で食べるという。幸いにして、刺身や湯引きについては写真資料が残っていたから、これにしたがって大きな雄を料理してみた。まさに産卵、放精しようという大きな雄は、食感こそ柔らかいものの、どこか海の魚、アジに似ている。アジから海の魚の金気を抜いたような、ねとっとした甘みの味わ...

雉飯、だいすき!

 雉を食べたのはもう10年以上も前のことになる。その頃、私は愛知県の鳥撃ちの方と物々交換で主に鴨を送ってもらっていたのだけれど、一度か二度、雉を送ってもらったことがあった。その雉は冷蔵庫でよく寝かせてから、焼いたり飯にしたりして食べたことをぼんやりと覚えている。雉の風味は鴨のそれよりも明らかにすばらしいもので、一方で野鴨のようなうまみのパンチはない。シャイなのだ。それが汁や鍋といっただしをとる料理になると一気に威力が増してくる。これはスッポンに近い感覚かもしれない。私の古い知人に、鳥は好んで食べないが、それでも雉飯だけは何度も食べたいというひとがいた。私も、雉飯というのは雉料理の中でも最高のもののひとつだと思う。 さて、その雉を、猟期最後の雉をtacさんから送っていただいた。届いたもの袋の外から見るにかなりよさそうだ。そこで、がら付きでやっていた1羽を使って雉飯を作る。ほとんど処理してあったので解体らしい解体もないけれど、足(もも)、むね(これは外してあった)、手羽と分けて、くっついているササミも削ぎとる。セセリを切って、体は丸ごと半分に折る。これ全部で900グラムほどもあるので、足とむね半分、それにせせりは別の料理に使う。干し椎茸2個を水1カップで戻しておく。 鍋に湯を沸かして、ここにもも以外の部位を加えて湯霜し、冷水にとる。鍋に水1.5リットル、ここに湯霜したがら、セセリ、手羽、それに山椒の実約20粒と加えて中火にかける。湯がしっかりと沸いたらそこで浮き上がっているアクを一巡掬いとる。これ以降は出てくるアクを一切とらないこと。沸騰後中火を維持して15分、火が通ってきたら中弱火に切り替えて、干し椎茸の戻し汁と、ささがきにした新ごぼう1本を加えて炊いていく。途中、いつでもいいのでかつおだしを足す。私はめんどくさがりなのでふるいの中にかつおつぶしをひとつかみ入れて、汁に浮かべて5分ほどしたら取り出している。30分ほどして煮汁が三分の一くらいになったら、酒100ccを加えてから半分に切ったむね肉と、刻んだ油揚げ2枚を入れ、肉に火が通るまで、だいたい15分ほど炊く。これでだいたいのことが終わる。 米3合はといで水気を切り、30分以上置いておく。実際には雉を炊きはじめた段階でやっておくといい。ここに先の煮汁と、最低限の味付けとして、白醤油大さじ2杯、塩小さじ1杯弱を...

シラウオはやっぱり刺身がいい

 私がもっとも窮する問いのひとつに、「いちばんおいしい魚はなにか?」というものがある。これまでに700種以上を食べてきて、そのなかでこれを絞ることはかなりむずかしい。世の中にはおいしい魚がありすぎるし、料理方法や季節、産地によっても大きく価値観が変わるからだ。しかし、すきな魚となると話は別で、両手の指の数くらいまでなら絞ることができる。その中に確実に入ると断言できる魚のひとつがシラウオだ。 私がはじめて食べたシラウオは、かき揚げになったもので印象は無味だった。価格帯から言って輸入品だった可能性が高い。ところがこのシラウオ、とびきりのものを2009年に食べて、それからというものシラウオがあると必ず食べずにはいられないというものになってしまった。標準和名シラウオの産地は、国内では西から熊本、宍道湖、東郷湖、吉井川、高梁川、千種川、木曽三川、霞ヶ浦北浦、松川浦、八郎潟、十三湖、小川原湖、さらに北海道にも産地がある。これ以外にも非常に小さな産地があるかもしれないが、江戸時代まで数多くあったシラウオの産地が環境の変化によって失われている。さて、私はこれまでに幸運にも宍道湖、湖山池、揖斐川、木曽川、霞ヶ浦、小川原湖のシラウオを食べている。このそれぞれの産地で風味と味わいが少しずつ異なっている。私が食べた経験で言えば、この中で生の状態でもっともすばらしいのは木曽川のシラウオだ。もちろんいずれの産地も年によるばらつきがあるだろうし、すべてのものをもっとも良い状態で食べられているわけではないから、異論は認めたい。 さてこの木曽川のシラウオを2016年以来、実に5年ぶりに顔なじみの漁師さんに送っていただくことができた。木曽川から福岡まで、クロネコヤマトで丸一日とかからず着いてしまうことに感動する。木曽川では、シラウオを袋網と刺し網で採っているが、これは刺し網のものだ。届いた時点ではお腹も赤くなっていないし、体は半透明のままということにまた感動する。これを刺身にして食べるわけだ。刺身と言っても切り開いたりするわけではなく、そのまま食べる。沖縄のスク(アイゴ類)の刺身と同じである。 ボールに氷を入れた塩水、0.5パーセントくらいのものを作っておいて、小さなざるに放り込んだシラウオをここにつけ、くるくると混ぜる。30秒ほどで水気を切って、皿に盛るだけだ。あとは上から醤油、またはぽん酢...

フナのあらは必ず汁

 大きなフナをおろすと必ずあらが出る。フナを捌いた経験があるひとなら分かるだろうが、フナは他の魚と比べてもあらの割合が大きい方で、しかも刺身などを取るために肋骨をすくととたんに肉が小さくなってしまう。これはつまり、あらの方に肉がつくということだ。あら汁にはマブナがいちばん味がいい。ただし、ゲンゴロウブナでも悪くはない。冬場、京都や滋賀の魚屋を覗くと、このフナのあらが置いてあることがある。もちろんあら汁や、大根と炊いたりするためだ。 さてここでは山陰の基本的な作り方を書き留めておきたい。あらとして汁に使今回のフナがだいたい1キロ100グラムの大きなもの。フナのあらは大きければ大きいほどうまい。頭、背骨、肋骨、浮袋、白子や真子(卵)だ。フナのあらは冷水でよく洗い、地が出なくなるまで洗う。頭は真っ二つに割っておき、背骨はあまり小さくしないで、三等分くらいにしておく。尾鰭は捨てる。肋骨のところは三等分か二等分に。刺身を作った皮が残っていれたらこれももちろん加える。卵は洗いすぎるとどんどん粒がこぼれていくだけなので、手に乗せてさっとすすぐ程度でいい。浮袋は刃を入れて潰し、半分くらいに切る。肋骨のところ、内側には黒い腹膜があるのでこれを指や包丁でこそげとる。 分量はだいたい四人分というか、四杯分となっている。鍋の中に昆布を10センチばかり、それと卵以外のすべてのあらを入れ、水1リットルを加えて中火にかける。かき混ぜたりしないで、じっと待つ。透明だった汁が徐々に白濁し、大量の灰汁がわき上がってきたところを待って、灰汁がほとんど出なくなるまで、だいたい5分くらい根気よく取りつづける。灰汁を取り終えたら少し火を弱めて中弱火とし、薄切りの大根を加えてさらに15分煮る。ここに米味噌80グラムを溶いて(今回はとんばらの普通の米味噌を使っている)、卵を適当なサイズにちぎって加えていく。あとは煮立たせすぎないように5分から10分ほど煮たらできあがり。ねぎや三つ葉、せりなどを散らすと美しくなる。少しばかり七味を振ってもいい。 ところがである。この汁が本当にうまくなるのは翌日なのだ。だから、まずは一杯飲んでから、残りを保存して、また翌朝に火にかけて、煮詰まりすぎていたら少々水を加えて、これをまた飲んでほしい。前日あっさりとしていた汁が、フナと溶け合うような味に仕立てあがっているのである。こ...