日本で食べられることのなくなった外来種(国外移入種)がある。もっと正確に表現すれば、食料として持ち込まれたにもかかわらず、現在ではその地位を失い、野にのさばっている種、だ。そうした生き物たちは日本の水辺に少なからぬ影響を与えては、今日に至っている。
雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。
戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。
国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。
私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。
さて、とある氾濫原に魚を見に出掛け、ふと足元に気配を感じみるとカムルチーがいた。そこそこの大きさだ。だいたい60センチくらい。まだ水が冷たいので動きが鈍く、簡単に網に入る。水質はほどほどで、食べられないことはないだろう。太っていて、食べようかという気になる。各地で聞き及んできたカムルチーの料理を、今こそ実現すべきではないか。カムルチーは歯が危ない。とりあえず陸地に転がして脳天にかかと落としを加えてから、石ころで脳天を砕き、川の水で少々の血抜きをして持ち帰る。持ち帰ってもまだ元気があるのでエラの付け根に刃を入れる。このままだと柔らかくて扱いづらいのでビニール袋に入れて一晩置く。
翌日になっても硬直しきったようすはない。カムルチーには臭いがある。まずは剥がれにくい鱗をがりがり取って、それから少し塩を振り、鱗取りを使って体を強く撫でるようにしてぬめりをとる。何度も何度もこするとぬめりが出なくなるのでよく洗う。こうして体表のにおいを嗅いでみると見違える(嗅ぎ違える、とするのが適切だろうか)ほどに悪い臭いがない。これを二枚におろしてみる。ただし、筒切の切り身も使いたいのでまずは首の方から2切れを筒でとって、それから二枚におろす。ヒレは邪魔なのでキッチンばさみで切ってしまう。実にうまそうな肉質だ。とにかく硬直が遅い。
カムルチーは肺呼吸を行うため、腹腔がかなり後ろの方まで伸びている。大きな腹腔をもち、肛門よりもかなり後方にまで消化管が伸びている。(呼吸機構とは関係がなさそうだ。カムルチーの呼吸は肺呼吸ではなく上鰓器官を使った空気呼吸とするのが正しい)
まずはと煮付けを作ることにする。カムルチーの煮付けは全国どこでも聞くものだけれど、今回は筑後川流域で聞き取った方法にしたい。カムルチーをぶつにして、鍋に醤油(ここではニビシのうまくちを使う)ときざら(中双糖)、水、それにこしょう(たかのつめ)を少し刻んで、濃い目の汁で火にかける。中火で煮立てていくとほんの少しあくが出るのでこれを取る。15分ほどで火が通るので、すぐに皿に取って食べる。
これにて私の朧気すぎる記憶を修正すべき味だということがはっきりと分かる。この炊くと締まる鶏肉のような質感は、さながらノトイスズミそのものだ。ノトイスズミからわずかな渋みを取り去った味、とも形容できる。国内の他の淡水魚では全く代えのきかない味だ。皮の部分はコラーゲン質で適度に厚みがあり、この部分にもよさがある。カムルチーの東南アジアにおける高級魚たるゆえんを嫌でも分からせられる味である。
(つづく)
雷魚ことカムルチーは戦前の日本に導入され、爆発的に広がった外来種のひとつだ。本来この魚は日本にはいなかった。各地でらいぎょ、かもちん、かむるちー、たいわんどじょうと呼び習わされる(※タイワンドジョウという別種も移入されている)この魚は一時、重要な食用魚という地位にあった。低湿地帯での聞き取り調査では頻繁に会話に登場する魚でもある。
戦後しばらくすると、雷魚を食べて顎口虫に罹患するという恐ろしい症例が国内で共有されるようになる。顎口虫は加熱すれば問題のない寄生虫だが、生食される機会の少なくなかった雷魚による寄生虫問題は列島を震撼させ、1970年代にはほとんど食習慣がなくなったと推測される。しかし現在でも、らいぎょはうまい、うまかったという話をときどき耳にする。うまかった記憶というのは、どうしてもぬぐい去ることができないらしい。
国内にはいくらでもいたカムルチーは戦後、次第に大きく数を減らしていくことになる。その理由のひとつには彼らの繁殖生態がある。カムルチーは草を寄せ集めて巣を作り、そこに卵を産む。すなわち、カムルチーのアクセス可能な場所に、巣を作るための浅い場所と植物が必要となる。翻って国内の水辺、特に水路や水田地帯はこのような場所を失ってきた。モンスーンの湿地帯を必要とする彼らにとって、今の日本は生きづらい。同様の理由でチョウセンブナも国内からはほとんどいなくなった。私が子供の頃までは、まだ田に入って産卵するカムルチーが身近にいた。その水路も今は昔だ。国外移入種であるカムルチーが国内からいなくなることは喜ばしいことであるけれど、それが水辺の環境劣化の結果だとすればてばなしには喜びにくい。
私の育った地域にはそれでもまだカムルチーにしばしば遭遇することがあった。しかし、ほとんどの場所の水はとても汚なく、とうてい食べる気にはなれなかった。一度だけ若い個体を木曽川から水を引く水路で採り、唐揚げにしたことがある。肉質は良かったけれど、味に関する記憶は曖昧だった。味付けが濃すぎたような気もする。
さて、とある氾濫原に魚を見に出掛け、ふと足元に気配を感じみるとカムルチーがいた。そこそこの大きさだ。だいたい60センチくらい。まだ水が冷たいので動きが鈍く、簡単に網に入る。水質はほどほどで、食べられないことはないだろう。太っていて、食べようかという気になる。各地で聞き及んできたカムルチーの料理を、今こそ実現すべきではないか。カムルチーは歯が危ない。とりあえず陸地に転がして脳天にかかと落としを加えてから、石ころで脳天を砕き、川の水で少々の血抜きをして持ち帰る。持ち帰ってもまだ元気があるのでエラの付け根に刃を入れる。このままだと柔らかくて扱いづらいのでビニール袋に入れて一晩置く。
翌日になっても硬直しきったようすはない。カムルチーには臭いがある。まずは剥がれにくい鱗をがりがり取って、それから少し塩を振り、鱗取りを使って体を強く撫でるようにしてぬめりをとる。何度も何度もこするとぬめりが出なくなるのでよく洗う。こうして体表のにおいを嗅いでみると見違える(嗅ぎ違える、とするのが適切だろうか)ほどに悪い臭いがない。これを二枚におろしてみる。ただし、筒切の切り身も使いたいのでまずは首の方から2切れを筒でとって、それから二枚におろす。ヒレは邪魔なのでキッチンばさみで切ってしまう。実にうまそうな肉質だ。とにかく硬直が遅い。
カムルチーは
まずはと煮付けを作ることにする。カムルチーの煮付けは全国どこでも聞くものだけれど、今回は筑後川流域で聞き取った方法にしたい。カムルチーをぶつにして、鍋に醤油(ここではニビシのうまくちを使う)ときざら(中双糖)、水、それにこしょう(たかのつめ)を少し刻んで、濃い目の汁で火にかける。中火で煮立てていくとほんの少しあくが出るのでこれを取る。15分ほどで火が通るので、すぐに皿に取って食べる。
これにて私の朧気すぎる記憶を修正すべき味だということがはっきりと分かる。この炊くと締まる鶏肉のような質感は、さながらノトイスズミそのものだ。ノトイスズミからわずかな渋みを取り去った味、とも形容できる。国内の他の淡水魚では全く代えのきかない味だ。皮の部分はコラーゲン質で適度に厚みがあり、この部分にもよさがある。カムルチーの東南アジアにおける高級魚たるゆえんを嫌でも分からせられる味である。
(つづく)