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4月, 2019の投稿を表示しています

牛バラ肉のカレー

急にカレーを作りたくなることがよくある。それは深夜だったり、起き抜けの早朝だったり、普通にご飯時のこともある。カレーという料理はとても単純な足し算なので、慌ただしい日常に追われてぐちゃぐちゃになった頭の中を整理するのにとてもいい。 冷凍庫を整理すると、業務スーパーで買い求めた冷凍の牛バラ肉が出てきた。これを使って、牛バラカレーを作ることにする。にんにく、厚切りの牛バラ(脂のにおいの気になる方は一旦湯引いてから使うといい)、斜めに四つに切ったソーセージを炒める。肉の量は食べたいだけでいいけれど、この日は二食分で、だいたい250グラム程度使った。火が通ったら塩コショウを少ししてからトマトジャガイモペーストひとかたまりを加え、BIO砂糖不使用ヨーグルトを1カップ加える。少し炒めたら水を加えて、レンチンしたジャガイモとともに30分から1時間程度煮込む。牛バラが好みの硬さになってきたら、好みの粉スパイスを加えて、塩とケチャップで味を整える。一晩寝かせておわり。この日のスパイスは単純に、コリアンダーと、黒こしょう、ターメリックのみ。いくらか汁っぽいカレーになる。 はっきりとヨーグルトのコクと酸味を感じられる悪くないできあがりだ。カレーは足し算。これがカレーの醍醐味だと思っている。

塩サンマの酢煮

福岡にきて不思議に思ったことのひとつが、塩サンマのことだ。ふつう、塩サンマというと、サンマの獲れない時期に売られているものではないだろうか。そもそも、塩サンマを全く見かけない地域も多い。それが、福岡では年中店頭にあるし、生のサンマがある時期であっても塩サンマを選んで買っていく光景をたびたび目にする。 塩サンマは生のサンマよりも焼き網にくっ付きにくく焼きやすいので、私もたまに買ってくる。しかしそういうときに限ってほかに早く食べないといけないものがやってきたりして、ついつい冷凍庫に入れっぱなしになる。これが冷凍庫の奥底から出てきた。ほんの少し脂で焼けているが、捨てるのはあまりにもったいない。そういうわけで、酢煮をしてみようかと思いつく。 塩サンマは解凍後、何等分か、食べやすい大きさに切り分けて、頭としっぽの先は捨てる。鍋に湯をわかし、しょうがを薄く切ったのと酢を適量入れて、再度沸騰したところへサンマを入れる。3分ほど茹でたら一旦ざるにとる。新たに湯をわかして酢を3分の1カップ、白砂糖を大さじ2杯程度に酒少々を入れて、煮立てたものにサンマと梅干し、昆布を入れる。中弱火〜弱火(あまりボコボコとしていると、サンマの皮が剥がれてしまう)で30分ほど煮たら、白醤油を大さじ2杯くらい入れて香り付けする。一旦火を切り、冷ましてから再び加熱したらできあがり。 砂糖加減は酢の種類によって多くしたり、少なくしたりする必要がある。多めに作っておくとしばらくは日持ちするので、おかずにつけるのがいい。ワタも一緒に炊くので、ほとんど抜けてしまうけれどほのかに苦みも残る。炊き合わせにするのも面白いんじゃないかな。

大江戸のいかだ

東京には古いうなぎ屋がまだいくつも残っている。しかしその中でも、この「いかだ」を今も出してあるところはどれだけあるのだろう。実際のところ、2、3軒しか残っていないのではないだろうか。いかだ、あるいはいかだ焼きというのは、小振りなウナギをいくつかまとめて串に打ち、蒲焼きにしたもののことで、関西にはない文化だ。ウナギの大きさは1本100から150グラムほど。通常のウナギが今どきだと170から250グラムくらいなので、これと比べてみるとかなり小さい。 大江戸は寛政12年、1800年の創業なので、店を初めてから200年以上になる。東京にはこんな店があちこちにあるからおそろしい。その大江戸が土曜日限定でいかだを出している。通常、東京のうな重は1匹のウナギを真ん中で半分に切って、お重に乗っけてある。これがいかだの場合、切らずに1本なりのまま、何匹か乗っていることになる。大江戸では2本いかだと3本いかだ、さらにそれぞれに小と大とがあり、このうちの3本いかだ小を頼んでみる。 いかだには小型個体に特有の柔らかさがあり、頷きながら食べる。タレはあっさりとしていて粘度が低く、甘さを控えた関東の味そのもの。小さいものをたくさん食べるというのは、明らかに資源にダメージが大きいものだけれど、だからといってこういうものを一律に否定してはいけないと思っている。

納豆チャーハンをつくる

納豆好き人間のなかでも、好みが別れるのが納豆チャーハンだ。納豆チャーハンには、いくつかのパターンがあると思っている。ひとつは、単に白ご飯をチャーハンに変えただけのもので、納豆を炒めないもの。ふたつめは、納豆がある程度炒められてはいるが、粘り気の残るタイプ。そして最後に、納豆が粘り気を感じられないほど、しっかりと炒められているものだ。それぞれに一長一短があり、ひとによってはこのタイプでないとダメだというのもある。あるいは、そもそも納豆とチャーハンの組み合わせを認めない強硬派(?)もいる。もちろん私はすべてのパターンに敬意を払っている。 この日は2番目に挙げた、粘り気の多少残るタイプを作ることにした。フライパンにサラダ油を敷いて、島唐辛子ひとかけと、実山椒を少し炒る。そこへ冷やごはんを投入し、ある程度パラパラになるまで炒めたら、納豆1パックをタレをかけず、少しほぐした程度で加えて、納豆がばらばらとご飯と混ざるように2、3分ほど炒める。ねばりが落ち着き始めたら角切りのキャベツ(納豆チャーハンと相性がよい)と、納豆のタレを加えて、キャベツに火が通るまで炒める。最後に塩コショウを少し振って味を整え、皿に盛ったら刻みネギを振る。 これにとろろをかけて食べるのが至高だと思う。実山椒と島唐辛子が効いていて、とてもおいしい。粘りはスプーンで掬い上げてもギリギリ、糸を引かない程度。納豆はだるま納豆を使ってみた。粒の大きい納豆ならば、少し刻んで使った方がいいだろう。

ヒラスズキをアクアパッツァにする

アクアパッツァはイタリア、ナポリ出身の料理だという。パッツァとはcrazyという意味で、要するに直訳的に理解すれば狂った水というわけだ。 たまたま、スズキに混じって、同じ値段(200円くらい)で売られていた小振りなヒラスズキがあるので、これでアクアパッツァを作る。まずは魚のうろこと内臓を取り、右半身をおろす(おろさなくても良い)。水気をよく拭き取ってから塩コショウで下味をつける。フライパンにたっぷりのオリーブ油、そこへにんにくを2かけ、スライスして入れて弱火で少し炒める。香りが出てきたら鷹の爪を放り込み、スズキを左側を下にして皮目に火が通る程度焼いて、ひっくり返して右側も同様にする。おおむね火が通ったら、トマト缶のホールトマトを半分くらい、真っ二つに割ったものを入れて、それから水を2カップ、塩をひとつまみ、日本酒を半合、それに白ワインビネガーを少し振りかける。本来は白ワインそのものを使うべきだけれど、なかったのでこれで代用。トマトの酸味がある料理なので、これで十分代わりになる。中強火で炊きあげて、火がおおよそ通ったところで空いているスペースにアコヤガイの貝柱と、菜の花を入れて火を通す。あとは魚を崩さないよう、スライドさせるように皿に盛ったらできあがり。粗びきこしょうを振ってもいい。 本来のアクアパッツァでは、ミニトマトやドライトマトを使うべきかもしれない。その方が上品な仕上がりになるのだけれど、別にトマト缶だっていいし、大きな生のトマトをくし切りにして使ったっていい。厳密なこだわりは無用だ。 煮えつまった汁は魚と貝のうまみと渾然一体となっていて、パンを浸して食べたりご飯にかけてもおいしい。当然メインのヒラスズキがうまくないわけがない。ヒラスズキという魚はおもしろくて、30センチ足らずの小さいものでも、すごく脂があって質のいいものがある。で、これはそういう個体だった。魚の目利きはできるほうなんです。

尾鷲の箱寿司、こけらずし

私は押し寿司、箱寿司を愛好している。決まったかたちのなかに、秩序があるのがこの寿司の特徴だ。何を隠そう私の出身地、愛知県も箱寿司県とでも形容すべきほどの地域であって、とにかく、箱寿司というものを敬愛している。そのため、どこへ行っても地域にオリジナルな箱寿司があるとついつい買ってしまう。でも、食味として好きなのはたぶん、にぎり寿司のほうである。 これは尾鷲の伝統的な押し寿司。押し寿司という味気ない名前で売られていたが、尾鷲ではこけらずしと呼ばれている。こけらを屋根に葺くように、いろいろのネタを並べてあることに由来するらしい。尾鷲だけではく紀伊長島でも作られていて、これは実は紀伊長島のもの。干し椎茸、にんじん、たけのこ(ごぼうだったかもしれない)、玉子、それにサンマ。季節の野菜の中にひとつ、魚を合わせるので、野菜はそのときどきによってキュウリであったりごぼうであったりもする。魚はサンマのほかにはサバも使われる。上からの写真では分からないが、横から見てみると、ご飯は実は薄くて、間にミョウガの葉が挟んである。 品があって、うつくしい。郷土寿司によくある甘い味付けに、見た目とのギャップを感じる。ツイッターでモンドリアンのコンポジションのようだというリプライがあったけれど、そのとおりというか、同じ源のうつくしさがある。昔はあの手の抽象画は苦手だったことを思い出した。

島唐辛子のピリ辛ボロネーゼ

スパゲッティは貧しい若者にとっての切り札的存在だ。なにせ、茹でて油で炒めるだけで立派な料理になるし、何とでも合わせられる。しかも、安いときている(高いものもある)。私も本当に本当にお金がなくなると、スパゲッティ(アーリオオーリオ・ペペロンチーノ)かきしめんになる。 そんなこんなであまりお金のないある昼のこと、なにかのスパゲッティをしようと思って、冷凍庫を開けると、先日作り置きしたペースト様のものが大量にある。これを使って、ボロネーゼを作ることにする。イタリア人に怒られそうな作りだけど、そこは許してほしい。 冷凍しておいた島唐辛子を2かけ、半分に切ってへたをとる。にんにくをスライスして、フライパンにオリーブ油を惜しげなく敷いてしばらく焦がさないように炒る。そこへ牛肉を粗くみじん切りにしたものを入れてさっと炒めて、玉ねぎのみじん切りも日が通る程度に炒めたら、解凍したトマト新じゃがペーストを投入する。ここへわずかのウスターソースと、塩とで味を整えるとボロネーゼの素ができあがる。スパゲッティは塩を加えてかために茹で、水気をしっかりと切ったらフライパンのボロネーゼの素の中に3分の1くらいずつ、かたまりにならないよう投入してよく合うように炒めて、水気が足りないようならスパゲッティの茹で汁を少し加えてもいい。盛り付けるときは麺をくるくると円弧を描くように乗せていき、最後にミート部分をスプーンなどで冠のようにあしらうとおいしそうな格好になる。 私は粉チーズがとっても好きなので、たっぷりかけて、ある程度食べたら途中でもう一度かけて食べる。ボロネーゼの肉は日本では一般に普通の挽き肉が使われるけれど、自分で肉を細かく切るか、または粗びき肉でやったほうがうまいと思う。

神戸のまちで散財する

神戸というところへ来るのは、これで3回目になる。最初の2回はいずれも、たしか大学1年生の2月頃で、このときは中華街の食材店(今もあるのだろうか?)であやしげな食材をあさったり、異人さんのおうちでロイヤルミルクティーを淹れてもらったり、あとは神戸プリンをたらふく食べたりした。真の目的地が灘だったり道頓堀だったりして、あまり長く滞在したことはない。それでも、活気があって、いろいろな雰囲気の路地のあるところだったということはよく覚えている。 そんな神戸に、実に10年以上振りに行くことになった。本来ならば何日か滞在したいところだけれど、仕事の都合でごく短期の滞在になる。むむむ。やけを起こして朝、昼、夜と2食ずつ食べる。 おいしいものばかり!神戸ではそばがうまいことを知る。ツイッターで教えていただいたねぎ汁そばも最高だった。迷宮だね。

嬉野の豆腐料理

4月の某日、嬉野に出かけた。嬉野という地名は全国各地にあるけれど、ここでは佐賀の嬉野のこと。嬉野は有田焼の産地のひとつなのであって、最近は肥前吉田焼と銘打って、少しずつ売り出している。ここはぜいたくな絵付けの器は少なくて、波佐見のようにシンプルなものが多い。ここに行った目的はもちろん皿探し。基本的には少し古い時代の皿をあさって、それから現代的なもの( 日本のレストランにあるようなカレーを作る に使った器がそれである)も少しだけ買ってきた。基本的に器は特に気に入ったもの、手馴染みのいいもの、そして、用途がはっきりと思い浮かぶものだけを連れ帰るようにしている。しかし、散財。。。 ところでこの嬉野というところは、湯どころとして知られている。最近は美肌の湯で有名になりつつあるようで、観光客も少なくない。ここにある風情のいい店で湯豆腐を食べてから帰ることにする。 この画像をみて、これが湯豆腐だと分かるひとは少ないのではないか。嬉野の湯はアルカリ泉。ここに木綿豆腐を入れると、ぼろぼろと中身が溶け出してこのようになる。中の豆腐はまるで寄せ豆腐のようでありながら、もとはしっかりした木綿豆腐であったことを匂わせる、不思議な食感になっている。決して、豆乳に寄せ豆腐を投入したわけではない。これを少しずつとって、つゆに浸しながら食べる。おいしい!友人によれば長崎近辺ではこの豆腐と温泉の水と性質の同じ水をセットにした、湯豆腐セットが売られているらしい。湯豆腐以外にもなにか食べたい気分だったので、ミニ牛丼も食べてみた。長崎に近い佐賀という立地らしい、とっても甘い、しかし味わいのやさしい牛丼だった。

昔の博多雑煮を作る

博多の雑煮は、いまや豪華なことで有名だ。まず、ブリの切り身があり、紅白のかまぼこ。鶏肉、にんじん、里芋、大根、干し椎茸と続き、焼き豆腐や海老が入ることもある。だしにはあご(トビウオ類)を使う。しかし、果たして昔からこれが正統な博多の雑煮だったのだろうか。 博多の古い雑煮には、焼きハゼを使っていた(今もわずかながら使われる方がおられるようだ)と聞き、興味が湧いてきた。焼きハゼを使う雑煮には仙台のものが有名だけれど、東京にもある。これが博多湾の沿岸地域にもあったというのだからおもしろい。博多で使われなくなったのには、沿岸の埋め立てが進んで、まとまって獲れなくなったというのが大きいのではないか。ローカルな"だしざかな"がこのような経緯で文化とともに失われていくのは心が痛む。 さて、その古い博多の雑煮を作ってみる。具はマダイ、かつお菜、干し椎茸、里芋(と大根)である。焼きハゼ(焼き干し)は秋のうちに作っておいた。マハゼの腹と鱗を取ってよく洗い、魚焼きグリルでできるだけひれが焦げないように素焼きにしたものを、1日風に当ててからキッチンペーパーを敷いた容器に入れて、3〜4日ほど経つとからからになる。このまま冷蔵庫に入れておいてもいいし、冷凍しておいてもいい。雑煮を作る前の晩から、下準備を始める。焼きハゼは沸騰した湯に10秒ほど浸したら、冷水をかけて表面のぬめりを指の腹でこそげとる。これと昆布、干し椎茸とを水に入れて、わずかに酒を加えて、一晩かけて煮出す。朝になったら干し椎茸を取り出してから、火にかけて(弱火がいい)、沸騰直前に昆布を取り出し、沸騰したらあくを根気よく取って、焼きハゼを取り出す。火を止めたらかつお節を振って、これを濾したら基本のだし汁ができる。かつお節は繊細な焼きハゼのだしを生かすため、最小限にとどめておく。なお、だしをとったあとの焼きハゼにはまだまだ味が残っているから、甘露煮にして食べるべきで、捨てずに取っておく。 次に、中の具の調理。魚はブリではなく、「あら」(クエなどの大型のハタ類)か、「たい」(マダイ)を使う。あらは高いので、マダイを使う。マダイは3枚におろしてから腹の骨、中骨を抜き取り、一口大に切る。これに前の晩から薄く塩をあてておく。たいは昆布を入れた湯を沸かして、ここに放り込んで、中弱火にして火を通す。里芋は皮を剥きながら八

イヌノシタのソテー

イヌノシタ、と聞いて、魚の名前だと気が付くひとはあまりいないだろう。かといって、イヌノシタはそれほどマイナーな魚ではない。アカシタビラメあるいは、シタビラメとして流通している魚のなかに、かなりの頻度で混じっている。それでも、イヌノシタをイヌノシタと認知して食べている方はあまり多くはないと思われる。 この魚、瀬戸内の小島出身の老夫婦は「あかれんちょう」あるいは、「あかれん」と呼んでいる。しかしこの名は九州ではほとんど通じないので、商売上は「したびらめ」と呼んでいる。イヌノシタを含めて、このアカシタビラメの仲間はいわゆるシタビラメ、ウシノシタといった細長くて平たいカレイ目としてもっともうまい部類にあたり、値段も少し高い。普通はそのままソテーにしたり、煮付けて食べたりする。これをちょっとよそいきの食べ方にするために、三枚におろしてから、背と腹の身をぺたっとくっつけて焼く。背と腹をくっつけたまま、三等分くらいに切って、それからそのまま塩コショウを振り、小麦粉を打つ。バターとオリーブ油を敷いたフライパンで中火くらいにして、くっつけた身がバラバラにならないよう注意しつつ、両面をある程度パリッとするくらいに焼いていくと、だんだんと身がふくらんでくる。脇の空いているスペースにしいたけとセロリを置いて、わずかに白ワインを振り(魚には直接かからないほうがいい)、ふたをしてじんわりと火を通す。火が通ってきたらふたをとり、中火にして水分を飛ばす。 普通のソテーと比べると厚みがあって美しいし、ふわっとしておいしい。少しの工夫でこんなにもおいしくなるイヌノシタ、いい魚だね。このアイデアは自分で思いついたものではなく、魚屋で教わってきたもの。地域の魚屋で食べ方の教えを乞うことも、日々の暮らしを楽しむ上で大事なことだと思う。

もろこ煮のこと

私が育った津島というところは愛知県の西の端のほうにあって、旧来川魚をよく食べてきた地域だ。我が家でも私がまだ小さい頃夏の川祭りの時期や、年始には決まってもろこ寿司を食べていた。食べていたとは言っても子供心にもろこはとても苦いもので、食べられるようになったのは小学校6年生くらいになってからだ。もろこ寿司というのは、もろこと称される淡水魚の小魚を、佃煮にしてから押し寿司にしたもので、このようなタイプの押し寿司は濃尾平野一円と、その近郊にみられる。岐阜県の中程や長野県の佐久地方にもネタは違えど佃煮を押した寿司がある。 このもろこ寿司に使われるもろことは、小魚の混称であって、タモロコ、モツゴ、デメモロコ、カワバタモロコといった魚たちのこと。現在、小売店で入手できるもろこの佃煮の多くがモツゴの佃煮となっているのだけれど、津島や旧美和町木田のあたりで聞き取りすると、かつてはもっぱらタモロコを使っていたらしい。津島にはタモロコを指す「ほんもろこ」という地方名もある。タモロコのもろこ煮が減ったのは地域の水環境の変化・劣化と深く関係していると思っている。 ところで、たまたま生きたもろこ(モツゴ、ゼゼラ、イトモロコ)がほどほどの量手に入ったので、久しぶりに津島の旧市街あたりの炊き方で、もろこ煮を作ってみる。もろこは一晩置いて泥(糞)を出させる。すすいでから沸騰した湯でさっと湯通ししたものを一旦ざるにあけ、適当に冷ましてから煮汁を作ってしょうがの細切りと共に煮る。煮汁は酒、しょうゆ、ざらめ糖を使い、わずかに酢(本当は梅酢がいい)を加えて作る。酒がもったいなかったら水も加えていいけれど、薄めすぎると味が悪くなる。水飴は邪道なので使わない。そこへ出がらしのお茶パックを入れて、煮立ったらもろこをばらばらと入れる。 火は弱火に落として、煮立てないようにしてゆるゆると炊く。絶対に箸で混ぜたり、鍋をゆすったりしてはいけない。これで40分ほど炊いたら、しっかり煮汁を残した状態で火を切り、一晩置く。十分冷ましてから再び火をつけ、味をみて整えて、あとは弱火で20分ほどかけて煮上げる。 写真の程度に煮汁が減ったら、頃合いを見計らってざるにあけ、汁を切って冷ます。これでできあがり。 今回はこいくち醤油と白醤油を半々で使ってみた。かつて、天王通りに面した朝日寿司のもろこは、白醤

目玉焼きの好み

目玉焼きが好きだ。数ある卵料理たちは、そのすべてが魅力的すぎて優劣つけがたいのだけれど、一番好きな料理を強いて順位付けするなら目玉焼き。私はこの目玉焼きにはひとかたならぬこだわりがあって、箸で切ってもギリギリ黄身がこぼれ出さず、かつ裏面がしっかりパリッとなっているものが一番いい。味付けはなくてもいいし、かけるなら塩。世間ではしょうゆをかけるのが主流だそうで、大阪では目玉焼きは「洋食だから」ソースだそう。それでも、我が家では全員、目玉焼きには塩と決まっていた。 目玉焼きという料理は卵を油を敷いたフライパンで蒸し焼きにするという至極単純なものだけど、案外卵のサイズや温度、朝の慌ただしい時間帯という要素が合わさって難しい料理とも言える。特に私のように好みの火の通り加減があると、いっそう困難に思えてくる。フライパンにサラダ油、ぜいたくしたいときにはオリーブ油を敷いて、少し加熱する。フライパンからわずかに煙が上がってきたら、卵をできるだけフライパンに近いところで割り入れる。中火で30秒経ったら、ちょこに半分くらい、卵に直接かからないよう、水を加えて、直後ふたをして蒸し焼きにする。ふたの密閉具合の低いフライパンなら、水はもう少し必要。そこから火を中弱火に落として、だいたい3分くらい蒸し焼きにしたら、ふたを取って中火に戻して2分くらい加熱すると、一旦蒸し焼きでふやけた白身の裏面がパリッとしてくる。こうしてめでたく理想の目玉焼きになる。ただし、卵のサイズや、一度に作る量によっても変わるので、この点気を付けたい。本来は卵を室温に戻してから作ったほうがうまくいくらしいけれど、朝はたいてい時間がないからね。 箸で切ってみると片方は黄身がギリギリこぼれ出なかったが、もう片方はギリギリこぼれ出てしまった。まだまだ修行が足りないみたい。

春、たけのこを魚と炊く

たけのこというものは案外高級品だし、自分で茹でてあく抜きすると分かるのだけれど、外皮のかなりの部分が食べられない部分なのであって、しかも小さなものほど高いときている。それでも、年中流通している真空パックのたけのこと、茹でたばかりの新しいたけのこは風味からして全く異なるもの。そういうわけで、たけのこを少しだけ買ってきて、薄味でおとなしく炊いてみる。たけのこは大好物だ。 まずはサバとソウダ(基本的にはゴマサバとマルソウダだろう)の厚削りを煮立てないように煮出してから、沸騰直前にさらさらっとかつお節を振ってだしをとる。そこへ出がらしの昆布を敷いて、酒を入れて煮立てたら湯引きしたマトウダイ半身分と実山椒をばらばらと、あとは鷹の爪をひとかけ入れる。マトウダイにおおかた火が通ってきたら、たけのこを入れる。たけのこはほどほどの大きさのもの1本を、頭はくし切り、おしりのほうはいちょう切りにして、さっとすすいでから加える。そこへこいくち醤油を10滴ほど、白醤油をちょこに一杯より少ない程度、みりんを等量加えてやり、しばらく中火というより、弱火かもしれないような塩梅で煮る。魚やたけのこからあくが出てくるので、丁寧に取ると汁が澄んでくる。最後にさわらの昆布締めを厚めに切って入れて、塩で味をととのえる。この間焦って火を強くしてはいけない。 年に一度くらいは、いちからきちんとだしを取って、時季のたけのこをほんの薄味で炊き合わせる。こういうことがぜいたくだと思うんですね。 今日は合わせるものに悩んだ末に、マトウダイとサワラの昆布締めを使ってみた。大正解。マトウダイは春の魚。サワラは魚へんに春と書くけれど、旬は明らかに晩秋から冬。今回のサワラは年末に買った答志島の4キロ程度のものを昆布締めにして冷凍してあった。魚へんに春と書くのは、単に春にたくさん捕れたからだろう。

エスニックきしめん

4月の忙しいある日。あんまりお金がないので、きしめんを茹でる。単なるきしめんの気分ではないし、青菜もない。時間もかけたくない。そういうわけで、鶏ガラスープにポン酢とナンプラー、橙酢を搾って、コブミカンの葉を浮かべてエスニックきしめんにする。ほかにはセロリの葉と、北九州の魚屋?で買って冷凍しておいた天ぷらを湯がいてのせてみた。 物足りない場合にはコーレーグースをかけ回して食べるのがいい。本当は生の唐辛子があるといいけれど、そんなものは普通春の日本のご家庭にはない。 コブミカン(バイマックルー)は東南アジア料理には欠かせないもので、鉢植えを育てている。冬の間は室内に置いているのだけど、そろそろベランダに出す時期になる。

マッサマンカレーなるものを知る

マッサマンカレーというカレーを初めて知る。この日は喫茶店の日だというので、これに準えてコーヒーとホットサンドを食べに行くのも悪くない休みの過ごし方だと考えて、路地を歩いてみるも土日ということもあってローカルな喫茶店は軒並み定休だった。仕方がないので以前から気になっていた、三叉路、Y字路にあるカレー屋に入ることにする。 Y字路といえば横尾忠則を思い出す。とにかくY字路という、果たして使いづらい場所に立地した建物の絵ばかり描いている。妙な美しさがあることには共感できる。カレー屋にいるときにはどうしてもこの名前が思い出せなかったし、そもそもすでに亡くなったと思っていた(失礼)。 そんなカレー屋で、本日のカレーとなっていたものがマッサマンカレー。鶏肉と、ナッツと、じゃが芋とで濃厚な?甘みのある?たしかそんなことが書いてあって、ナッツのカレーは家ではあまりしないから、と思いこれを注文してみる。 で、出てきたのがこのカレー。大変おいしいものだったけれど、想像していたものとは違っていた。要するにココナッツカレーなのであって、ナッツのペーストばりばりカレーではなかった(あとからマッサマンカレーについて調べてみたら、やはりそのとおりだった。ムスリムのカレーという意味らしい)。ナッツやじゃがいもは鶏肉と同じく、具として入っている。ナッツペーストを大量に入れたら、原価は高くなるけれども、きっとおいしいはず。今度作ってみよう。 食後にはコーヒーをいただいた。丁寧に淹れた、香り高い濃いめのコーヒーだった。

小鯛の酢締め

4月3日は仕事に忙殺される1日だった。その前日も忙しくて、そんなときには落ち着いて献立も考えられない。しかもこのところの散財で、あまり食材を買うのも考えもの。そんなこんなで冷凍庫を探ってみると、3月の終わりに買った、小さなマダイが出てくる。これを酢締めにして食べることにした。 マダイは冷凍する前に3枚におろして中骨、腹骨をとり、うすく塩をあてておいたもの。朝のうちに10分ほど柿酢と千鳥酢を半々で合わせたものにくぐらせて、汁気を切って寝かせておいただけ。あとはこれを糸切りにして、ごまと合えて食べる。小さくて使いようのない、手のひら程度のマダイでも、鮮度のいいものを使ってこのようにしてやると存分おいしい。 この少し前、3月の末には冷凍する前のものを使って、茶漬けを作っていた。同じ 小鯛を皮ごと糸切りにして、僅かのしょうゆで合えたのち、お茶をかけ回して食べる。優しいタイの出汁がいじらしい。これは瀬戸内の小島の昔ながらの食べ方だという。

日本のレストランにあるようなカレーを作る

基本的にしばらくの間は、ツイッターでつぶやいた内容の引き写しをしていこうと思う。 なんでも先輩から普段作りのカレーをお裾分けいただいた。これを口に含んでみたところ、あんかけスパのあんと同様の方法で簡素にできるのではないか、と思い至る。とはいってもあんかけスパのあんを作ったことはないけれど、同様の空気を感じる。 そういうわけで、適度に手抜きな、日本のレストランにあるようなカレーを作ってみる。フライパンにサラダ油を引いて、牛ばらを焦げるぐらい炒めて皿にあげる。みじん切りのにんにくと冷凍玉ねぎ半分、セロリ半分をよくよく炒めてから、粗くスライスしてレンジで火を通した新じゃがを加えて適度に炒める。トマトピューレを400cc加えて、ワインをボトルに4分の1くらい、あと水を少しだけ足して、シャトルシェフに放り込む。一晩を経たらもう一度火にかけて沸騰させ、また日中シャトルシェフに。こうしてできたものをざるで裏漉しすると大量のペースト状のものができる。 これに適当に加水して、朝のうちにカレー粉を混ぜておいた。ホールスパイス(クミンシードやマスタードなど、あとは唐辛子)を油で炒って、これと合わせる。あとははちみつと塩、しょうゆで味を整えたらだいたい日本的なカレーになる。もう少し市販のルーっぽくしたかったら、ここにバターで炒めた小麦粉と、コンソメ、あとは味噌をわずかに加える。味噌は豆味噌を焦げないように炒めたものがいい。 なんでも先輩はにんじんを圧力鍋で煮込んだポタージュを使ったと言っていた。予想通り、じゃがいもでもほとんどおなじ味になった。 この日は珍しく赤ワインを飲んだ。ヨイツの日だという。

はじめに:このブログについて

平成も終わろうというこのタイミングで、ブログを始めてみようと思う。ツイッターではどうしても投稿内容が流れていってしまい、"公開メモ"としては若干の使いにくさがある。最近は切り身のことに興味があるので、切り身について、それと料理についてのあれこれを、おそらく比較的長くサービスを継続してくれそうなgoogleのブログを使ってメモしていくことにした。