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11月, 2022の投稿を表示しています

アジでがりがりなます

 秋になるといいマアジに出会うことが多くなる。マアジの産卵は春で、盆から秋にかけてもっともうまくなる。ただし、今は6月になっても卵をもっているのがいるし、かなり早くに卵を産んでいるものもいる。産卵期そのものがだらだらと長くなっているような気がしていて、そうなると必ずしもどの時期だからどう、ということは言えなくなってくる。 福岡のスーパーの店頭にはほとんど年中アジがあって、ときに刺身になるようなものが値引きで売られているとついつい助けて帰りたくなる。自分だけが、このアジの良さを分かってやれるんだと、そうやって自分に言い聞かせて買い物かごに放り込む。 さてこの日もアジも持ち帰って肩口のところを少し切って口に含むと大正解。大きめの長崎のアジだった。これでガリガリなますを作る。フナで作るのがもっともいいけれどアジでも構わない。 アジは三枚におろして皮を引いてから(ただし今回はそのように処理されているものを買っている)、厚さ5ミリから8ミリ程度の糸切りにする。要するに、魚を横長に置いて、包丁を縦に引いてスライスしていく。これにほんのり塩をまぶして5分ほど置く。水気が出てきたら拭き取って、今度は酢味噌と和える。酢味噌にはどんな味噌を使ってもよく、今回は麦と米の合わせ味噌で、酢を少なくする。味噌が甘ければ砂糖は加えなくていい。和えてから少なくとも15分くらいは置いて、味を馴染ませる。 大根は皮を剥いて、鬼おろしでガリガリとおろす。がりがりなますの名のゆえんである。量は好きなだけで構わない。先に酢味噌と和えておいたアジに加えてよく混ぜ、皿に盛って出す。 がりがりなますは和えたての、大根の辛みの立ったものがもっともうまい。これが弱まらないうちにガツガツと食べる。ここに七味を加えてもいい。魚が新鮮ですばらしければ酢の少ない酢味噌にした方がよく、魚がほどほどなら酢を多くする。

むかごごはん

 ついに秋が深まってきて、夜には涼しさというよりも寒さを感じるようになった。私はあらゆる炊き込みごはんを愛しているけれどもこの時期やっぱりやりたくなるのがむかごごはん。炊くと部屋いっぱいにむかごの香りが充満するのがすきだ。むかごというのは、山芋のつるに実る丸い実(ただし実際には実とは言えない)で、油で炒めて塩をつけて食べるのもいい。とにかく香りがすばらしいのだ。 むかごごはんはどうやってもうまいものだけれど、ひとつ言えることとしてもち米の比率は高い方がうまいと思う。むかごの小さい1パックを、2合分の米と合わせる。すなわち、うるち米ともち米とを1合ずつ合わせて、30分ばかり浸水させる。水の量は1.8合くらいにしてから、ここに酒を大さじ3、うすくち醤油を大さじ1.5。油揚げはいわゆる普通の安いすしあげを2枚、半分に切ってから細切りする。コウタケの塩漬けをひとつ、表面の塩気をしっかり洗い落としてから細かく刻む。むかごは適当に洗って、すべて炊飯器に放り込んで炊き込みごはんモードで炊く。 このうえない秋のぜいたく。大粒で、ねっとりとして最高のむかごだった。コウタケの塩気があるので塩気を控えたが、これがなければうすくち醤油をもう少し多くするか、塩を加えたらいい。

ソーミンタシャー

 福岡ではサワラとして売られている切り身のほとんどが標準和名で言うところのサワラである。ただし、稀にカマスサワラがサワラとして売られているケースがある。福岡産ではまずあり得ないが、長崎、鹿児島産なら可能性がないとは言えないし、実際に年に数回は見かけている。サワラとはかなり肉質が異なるので、クレームにならないかと勝手に心配してしまう。 サワラとの区別はそこまで難しくない。肉の色がごくごくわずかに黄色みがかっていて妙に透明感がある。皮があればもっと簡単で、サワラに特有の五月雨模様がないうえ、細かい鱗の痕跡が見える。サワラならほとんど目立たない。色は背側ならほぼ黒で、腹側なら銀色、不明瞭な縞模様が入っていることもある。 カマスサワラは肉に酸味があって、炊くとかたくなる。こういう肉は煮物もだめではないが、炒め物に向いている。それで、ソーミンタシャーである。タシャーではなく、タ・シ・ャー(ヤーが小さい)。タシャーとは簡単な炒め物のことを指す。ソーミンチャンプルーと言っても誤りではないそうだけれど、シンプルで、かつ豆腐の入らないようなものならタシャーと呼んだほうがいいらしい。 サワラの切り身を短冊に切ってしまう。小指くらいの太さにする。フライパンに米油を敷き、表面に火が入るまで炒めてから、さらにソーメン、甘長とうがらしを加えて油が絡むようにして炒める。味付けは醤油と塩コショウを最後にする。コーレーグースをたっぷりかけて食べる。切り身の魚は、煮つけ用、照り焼き用、フライ用などと書かれていて、見るからにその形のままで使えと命令しているかのように思われるかもしれない。しかしそんなことは完全に無視してじゃんじゃん切って、炒めたらよろしい。