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ゲンゴロウブナで鲫鱼湯

この冬は寒さがきびしい。
昨シーズンは歴史的な暖冬であったし、昨年の夏が猛暑、酷暑であったので、暑い方にからだが慣れていて、余計に寒く感じるのもあるだろう。
毎年、2、3回フナみそを作る。今年はこの激しい寒さのせいか、いつもフナがいる場所へ行ってもぜんぜんフナみそにちょうどいいサイズのフナが採れない。仕方がないのでやけくそで少し小さいものや、ゲンゴロウブナまで捕まえて持って帰った。私は基本的にゲンゴロウブナを煮炊きに使わない。簡単に言えばマブナに比べて一段味が落ちるからである。ただし、少しだけこのフナの肩を持つと、この厳寒期に限れば脂がついてそこそこ味がよくなっている。
大きなものから順に選ってフナみそとし、小さいのが余った。しばらく活けておくつもりだったのが使いさしのニラを使い切りたくて、普段はやることのない大陸の料理にしてみる。中国には鲫鱼湯、またそれに類する料理があって、これは要するに炒めたフナを水煮したものだ。たしかダウツンにもこのスープがあったと記憶している。
中国版のクックパッドのようなものでフナの料理を調べてみるも、ちょうど合致するものがないから、基本だけは守りつつも適当自由にやってみる。
フナは生きているものを使う。しばらく泳がせてフンを抜いておいた小ブナ、1匹90グラムほどのもの2匹の頭を叩いて気絶させ、鱗と内蔵をとる。この際胆嚢をつぶさないよう気を付ける。中華鍋にサラダ油お玉1杯を加え、ここにショウガのうす切り5グラムを加えて弱火で3分ほど熱し、よく香りを出す。火を強くして十分温まったらフナを加えて、両面をよく焼く。焼くといっても揚げるような感覚だ。それぞれの面を強火でまずしっかりと焼き付けたら、火を少しだけ弱めて、ときどき鍋を傾けて油をうまく使いながら、フナの表面に火を通していく。5分ほどでフナにあらかた火が通るので、ここに水450ccと、木綿豆腐半丁、これを9等分したものを加えて、強火でよくよく煮る。この際、ほんの少しだけ花椒粉を振る。はじめはほぼ透明だった水が、強火で炊き込むうちに白濁してくる。



アクは少しだけ取る。20分ほど炊いたところへ塩小さじ2分の1、それに長さ2センチほどに刻んだニラをひとつかみ加えて、火が通ったところで器に移す。なお器は別途、湯を入れて温めておく。



この白湯はラーメンの汁を思わせる濃厚さがあって、もちろんフナそのものもうまい。フナやコイの場合、骨から出るだしがきわめて重要だ。この料理は短時間でその良さを引き出すものとなっている。

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カワムツを食べる

カワムツという魚がいる。海のムツではなく、川のムツ。ムツというのは古語である。海のムツといえば今や高級魚の末席にあるような魚だけれど、カワムツはどうだろう。昔持っていた釣魚図鑑には不味と書いてあったし、そのほかの文献を読んでみてもオイカワより味は劣る、とか、とにかく比較的評判が悪いことが多い。私は幼少の頃からオイカワのおいしさを知っていたものの、カワムツについてはこうした事情からかなり最近まで食べる機会を逸していた。そもそも、カワムツはオイカワに比べると川の上流側、淵のような深いところにいることが多くて、私の主な活動範囲である平野部の浅い水路にはなかなか出てこない。少なくとも愛知県ではそうだった。 西日本で一般に川の小魚と言えばオイカワになると思うのだけれど、山手に進むとカワムツに変わる。たしかに、ここ九州でもカワムツはオイカワよりもより上流まで分布している。ヤマソバヤという呼び名は山にいるはやという意味をもつ。この山のハヤがひとびとにとっての重要なタンパク源であったことは疑う余地をもたない。その割に文献資料に欠けるので、やっぱり自分の足で昔の記憶を尋ねて歩く必要があるし、単にハヤとされている資料ではそれがカワムツであったのかオイカワか、またウグイやその他かということが分からない(文脈で分かることもある)。 さてそのカワムツを食べたくて、水辺に出掛けては黒々と群れをなしているところに突っ込んで、大小を取り合わせて持ち帰る。この時期は暑さですぐに肉が痛んでしまうから、よく冷やして持ち帰る。川のハヤは焼いたり揚げたりして食べる分には鱗をとる必要がない。大きなものは腹の中央あたりに包丁の切っ先で小さな切れ目を作り、そこから絞るようにして内蔵を押し出す。口からまっすぐではなく、少し尾がせり上がるようにして串を打つ。すなわち、串の先端は内臓の空洞を通って、臀びれの末端あたりから出す。平たい串を使えばこれでも魚が回ることはない。普通の塩焼きに比べたらかなり多い量の塩を振って、"塩だまり"ができるようなかたちで、手で塗りたくるようにして全身に回す。これをうまく焼き上げたら塩焼きとなる。家庭用の魚焼きグリルでも問題なくできる。はじめは強火で表面の水分を飛ばし、あとは弱火にして25分ほどかけて焼き上げる。焦がしすぎてはいけない。中まで焼けているかどうかという...

魚滋会2025琵琶湖再び編

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若あゆで背ごし

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