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淡海のさかな、わたこ

ワタカという魚がいる。日本で唯一のクセノキプリス類で、かつての大陸とのつながりを象徴的に示す魚だ。日本列島の純淡水魚というのは、大陸と陸続きだった頃にやってきたものが遺存的に残ったものがほとんどである。なので、言わばそのいずれもが大陸とのつながりを示すものではある。ただし、ワタカはその風貌が明らかに国内の多くの淡水魚とは異なる。クセノキプリス類は現在も大陸側では普通の魚で、特に中国にはさまざまな種が現存する。日本国内の各地からも同様にさまざまなクセノキプリス類の化石が産出するが、現在にまで残ったのは古代湖琵琶湖淀川水系のワタカだけなのである。それが、現在ではアユやゲンゴロウブナなどの種苗に混じって各地に移植され、定着してしまっている。そればかりか、悲劇的にも本拠地の琵琶湖では絶滅寸前、文字通りの幻の魚となってしまった。滋賀県が毎年放流しているにもかかわらず、である。ワタカは5、6月に水位が上がると、琵琶湖や内湖湖畔の氾濫原環境へと侵入して産卵する。このような環境は一部の内湖を除いてほとんど失われてしまった。特に湖岸道路とそれに関連する開発の影響をどの魚よりも深刻に受けた。しかも、国外移入2種の侵入によってその数を信じられないほどに減らしてしまったのである。かつては地引き網でいくらでも獲れる魚で、沖島では高いニゴロブナの代わりにワタカ(わたこ)を鮓漬けすることが普通であったという。私が沖島を訪れた2006年にはすでにそのような状況にはなかった。近江八幡の近郊ではフナ釣りの邪魔になる魚であったというが、近年では滅多に釣れないという。比較的最近まで数がいたのが堅田内湖だが、こちらも外来魚の侵入によって壊滅した。
ワタカはどのような魚類図鑑であっても、骨が多く不味であるとか、安いと書かれている。安かったのは本当だろうが、果たして本当に不味いのかとかねてから考えていた。いくらたくさん獲れても、本当に不味い魚をわざわざ米を使って鮓漬けしたり、あるいは煮炊きしたりしないと思われたからだ。加えて、滋賀県東部でかつて聞き取った、わたこは冬には味がよくなる(が、フナには劣る)という話が気になっていた。
ここ九州の各地にもワタカは侵入、定着しており、場所によっては多数が生息している。冬場には捕まえたことがないが、試しにと思って網打ちに出かけた。この日はなぜか濁っていて、大小3匹のワタカを捕ることができた。


 ワタカは鱗の剥がれやすい、弱い魚だが、大きくなると鱗もあまり剥がれず、しかもなかなか死なない。持ち帰って頭を落としてみると、肉に脂がある。腸には脂が巻き、内臓の膜にも脂の塊がついている。これを2枚におろして皮側から5ミリ間隔で骨切りする。鍋に水3カップ、醤油大さじ4、ざらめ大さじ2、酢大さじ2分の1を沸かして、沸いたらワタカを入れる。肉が反ってくるのですぐに裏返してお玉の裏で押さえてできるだけ平たくして、強火で煮るとあくが出てくるからこれをとる。あんまりあくは出ない。3分ほど強火で煮たら落し蓋をして中火でよくよく火が通るように30分ほどかけて煮ていく。落し蓋にすき間がないと臭いがこもるので、注意したい。昔あったおじいさんに聞いた通り、煮始めではなく、火が通り切る頃になってきてからフナの臭いを強くしたようなくさい臭いが出てくる、全く不思議な魚だ。しかしくさいのをがまんしてそのまま煮ると、次第にまた臭いが抜けてくる。だから少し長いめに煮ないとだめなのだ。汁気がほとんどなくなったらできあがり。好みによっては水をもう少し増やして、あと15分くらい長く煮るのもよさそうだ。


肉は柔らかいがうまみがあり、目立ったクセもない。サケ臭さを抜いたサケのようだ。もう少し小骨を気にならないようにするためには、もっと細かく骨切りしたらいい。琵琶湖の骨切りはたいていこの程度である。熱いうちに食べても、また冷えてからでもうまい。脂気の多いのもいい。
これに気をよくして、手のひらより少し小さいものをじょきにする。じょきは背ごしのことで、骨を切るときのじょきじょきという音に由来する名前だろう。鱗をとって頭を落とし、苦玉をつぶさないように内臓をとりよく洗う。原鰭のあたりは基部付近から大きめに切り落として、あとは厚さ1.5ミリほどに骨ごと薄切りしていく。多少乱れがあってもいい。包丁はよく研いでおくこと。氷水にさっとさらして水気をとり、米味噌(甘くないもの)と酢をともに大さじ1杯でかき混ぜたものに混ぜ合わせて、2、30分置く。薄切りのねぎを和えたらできあがり。このじょきは本種のほか、ニゴロブナやウグイ、ハスでもすることがあるという。


頃合いになると骨も少し柔らかくなってうまくなる。噛むほどにわずかなうまみが出てくる。つい50年ほど前には、琵琶湖のひとびとはこういうものを食べていたのである。

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