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カマツカの煮付けを

カマツカを煮て食べる地域は多い。福岡でははや(オイカワ)に次ぐ一般に名の知れた食用淡水魚なのであって、ときにこの魚が大好きだという方に遭遇する。私の出身地域ではすなくじと呼ばれていて(すなを"くじる"ことから)、まずいとされていた。私自身はというと、冬場にオイカワなどに混ざって捕れたものを、塩焼きや天ぷらにして食べることが多かった。
さてこのカマツカ、福岡での一般的な調理法は煮付けであり、ついで塩焼きとなる。島根の古書を読んでいると思いがけずカマツカの記述に出合う。能義平野ではごじょいし、斐伊川ではすなむぐりと呼んで、味のいいことを褒めている。島根の人びとは川魚を季節ごとに食べていた。カマツカの旬は産卵前の春とある。ちょうどいいところへ雌のカマツカをふたつ捕まえてきたので、旬らしく卵の味わえる煮付けをつくることとした。
カマツカは少しだけ水に泳がせて糞を出させてから、鱗を粗々取り除く。はらわたは除かない。口のところから竹串を打って体をまっすぐにし、素焼きにする。素焼きは焦げないように中火で行い、8割程度の生焼けで火からおろし、よく冷ます。串は抜き取っておく(うまく抜けなければそのままでもよい)。島根には地伝酒がある。地伝酒は万能調味料だ。小鍋に水1カップ半、地伝酒大さじ3、本みりん大さじ2を加えて、冷たいうちから素焼きのカマツカを入れて、中弱火にかける。カマツカのほぼ全身が煮汁に浸かるように、鍋は五徳のうえで傾けて火にかける。


煮たったらあくが少し出るのでこれをとる。3分ほど立ったら弱火にして、10分から15分ほど煮る。ここにうすくち醤油を大さじ1加えて、ひと煮立ちしたら火をとめ、皿に盛る。


カマツカはとても変なかたちをしている。背をこちらに向けた方がすがたがいい。素焼きにしてから使うと頭が落ちにくいし、なにより風味がよくなる。余計な臭み消しなどは必要ない。腹には目一杯の卵がつまっている。これはカマツカ料理のひとつの最適解と言えるだろう。地伝酒がカマツカのよさを最大限引き出している。

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