川魚にも西高東低がある。これはすなわちオイカワの利用のことである。そもそも、オイカワは西日本を中心に自然分布する小魚で、本来東北地方などには分布していなかった。逆にこれが東高西低となっているのがウグイだ。
九州には全域にウグイがいるわけではない。ウグイのみられるのは、有明海、八代海に注ぐ大河川、その南の川内川、大分県山国川から宮崎県にかけての範囲で、玄界灘では唐津湾に注ぐ河川にいる。ただし、再生産がはっきりと確認されているのは現状松浦川だけだ。筑後川や矢部川ではオイカワを好んで食べるけれども、イダことウグイは小骨が多い、まずいと言ってほとんど食べていない。網にかかっても捨ててしまう。宮崎県に流入するいくつかの河川や、川内川ではウグイをタンパク源として食べていたが、これもいまは誰も食べていないだろう。
そんな中で、最近までこのウグイが好んで食べられていたのが松浦川である。松浦川では、産卵のために海から上がってくる回遊型のウグイを、人工産卵床を作ってトン単位で漁獲していた。ウグイとアユを主な漁業権対象種とした、内水面漁協も存在していた。ところが、90年代に入ってから漁獲量が明確に減少し、漁協も解散。最後の捕獲者がこの世を去ったことで、このイダの食文化は完全に潰えてしまった。とれない魚の食文化は維持できない。
ウグイは産卵のためにきれいな小石の瀬を利用する。松浦川では小礫の減少がつづき、今や岩盤ばかりになってしまっている。それでいて濁った水が川を汚している。こんな風ではウグイが健全に卵を産めるはずもない。もはや、ウグイが存在するかどうかも分からない。伝承によれば、イダ嵐という春の南風の嵐と、大雨のあとにイダがやってくるという。昨年は一度もウグイを見つけられずに終わってしまったイダさがしに今年も懲りずに挑戦し、ついにイダ嵐の翌々日、川の中にイダの小群を見つけることができた。そのときの興奮と感激は、冷静に言語化することのむずかしいものだった。
イダは刺身、皮の湯引き、あら汁、またイダめしなる炊き込みご飯で食べるという。幸いにして、刺身や湯引きについては写真資料が残っていたから、これにしたがって大きな雄を料理してみた。まさに産卵、放精しようという大きな雄は、食感こそ柔らかいものの、どこか海の魚、アジに似ている。アジから海の魚の金気を抜いたような、ねとっとした甘みの味わいがある。これを知ることができた感激と、この味を楽しむ風習が失われてしまったことの喪失感が交錯する。
もうひとつ、これはとっくに幻の味となってしまっている、イダめしを作ってみる。よく洗って鱗、内臓、血を除いたウグイを二枚におろし、骨のついている側を頭を含めて三等分にする。尾は不要なので切る。頭の中には血がたまりやすいから、ここをよく洗っておくことが重要だ。二つ割りにしてもいいだろうし、きちんと洗えていればしなくてもいい。米2合半を研いだら2合分の水で30分浸水させ、炊き込みご飯モードで炊きはじめる。20分で沸騰してくるから、ふたを開けてウグイを手早く並べ、濃口醤油を30cc加えてまたふたをする。炊き上がったらウグイを取り出して、身と骨とに分ける。とにかく小骨が多いので、根気よく、根気よく取り除く。ほぐした身をご飯と混ぜ、器に盛ったらできあがりだ。香り付けに大葉を乗せてみた。
ウグイはあまりうまみの豊かな魚ではないけれど、十分にご飯に味が移っている。それでいて、生のときにはアジのように思えたものが、肉の柔らかさがウグイのもつ風味と相まってモクズガニの肉で炊いたかにご飯を思わせるできあがりになっている。これは間違いなく川のものの味だ。ウグイを食べる地域は今でも東日本の各地にあるけれども、海のウグイを食べる地域はほとんどない。これは大型でより骨が気になることと無関係ではないだろうが、地域によってそもそもの味がちがうのかもしれない。松浦川のウグイは日本のその他のウグイとは遺伝的に異なるもので、むしろ大陸南部にいるものと共通性がある。