いわゆるお盆に休まなくなってしばらくになる。年によっては少しの休みがあるけれども、盆のさなかに川に行こうという気もあまり起きないし、となると家の中で過ごすか、本屋に出掛けてコーヒーを飲むかくらいになる。数年前には盆明けに合わせて休みをとり、薩摩半島をめぐったこともある。
今年は例年以上の仕事量で、毎週のように締め切りがやってくる。たまたま、数日間の余白が空いた。この余白に京都滋賀をたずねて、短い夏休みを堪能した。にょろぴょんくん、ハタツモリくん、遼太郎くん、とりふぁくんに大いにお世話になり、特にとりふぁくんにいただいたくずきりのおいしいことにいたく感動した。
私は日頃夏場の京都滋賀を避けていて、それは盆地が暑すぎるからである。ところが夏でないと味わうことのできないものにアユ、盛りのビワマス、ゴリがあり、これらを楽しむためにはやはり夏に出掛けるよりほかにはない。今回は実に20年越しの川床のさとも訪ねることができた。川というだけであれほどの冷涼をもたらすような自然の力と人の知恵はすばらしいと思う。このすばらしさの度合いというのは、クーラーのなかった時代には奇跡のような世界、まさにこの世の天国だったのではないか。
さて今回もアユを何度も食べ、そしてビワマスを食べてきた。ビワマスは禁漁期の2ヶ月間を除くほぼ年中出回る魚ながら、もっともうまいのは夏の間である。だいたい8月いっぱいくらいまでがしっかりうまくて、9月になると個体差は大きいが次第に味が落ちてくる。水温が高すぎない6月の方が鮮度のいいものが多い。かつて、ビワマスというのは秋の産卵のために河口や浜に近付いたものを捕るか、または川の中で捕まえるものだった(すべてではない)。このような産む直前のマスは脂が抜け、水っぽくなり刺身に不向き。それがある頃から沖合いに刺し網をかけて狙って捕らえるようになり、こちらが主流になってきた。また近年ではトローリングが多くなったので、釣り上げて神経締めを施し、きわめて良好な鮮度で流通させるものも増えてきた。これ自体はとても喜ばしいことだけれど、庶民にとっての高嶺の魚、としてのポジションのマスを残してほしい。鮮度が多少落ちる網のものには、それ相応の味があると考えるべきだ。
さてこのマスの1キロ300のものを分けてもらい、おろしてして自分流に食べる。ビワマスは刺身ばかりが褒められるけれど、私はこの、しっとりふわふわ系の肉質としてはマスの塩焼きは最上の部類だと思っている。おろして塩焼き用にカットしてからたて塩して、30分ほど常温で置いておく。これの表面を拭き取って、あんまり時間をかけないで焼き上げるようにする。魚屋で売られているものはもう少し水気が飛んでいるし、なにより焼きたてでない。一度冷めてしまうとこの味はもう戻ることはない。
このほか、刺身やたたき、煮付けなども作って楽しんだ。マスは煮付けがうまい。川魚店で売られているようなこってりしたものもいいけれど、作ったらすぐに食べてしまわないといけないような、薄味でふわふわに炊き上げるのもまたよろしい。こういう料理は保存が効かないので家でないと難しい。